2-6話 悪夢のような推測を
ギクリとする鉄太。
そういえば、開斗は目が見えないのだが、笑気を纏う人間は認識できるのであった。
「掃除や掃除!」
鉄太が口から出まかせを言った時、ちょうど柱時計から鐘の音が5つ鳴り響く。
「あぁ、もうすぐ五寸釘らが来てもええ頃か? 今日はえらい気が利くやん」
「まぁ、たまにはな……」
上手いこと誤魔化せたと思う鉄太であったが、ウソをホントにするために本気で掃除をする羽目になった。
掃除を終えた鉄太が居間でくたばって横になっっている時、部屋のドアがノックされた。
続いて「失礼します。五寸釘です」との声が聞こえて来た。
(おや?)体を起こしつつ鉄太は微妙な違和感を感じた。
来訪者が五寸釘であるためか開斗が立ち上がった。目が見えないとはいえ自室の間取りは体に染みついているようで、笑気の反射なしでもドアの所まで難なく歩いて行けるのだ。
「よお来たな。入ってくれ」
「おじゃまします」
「おじゃまします」
開斗の招きに対して、2人分の声が聞こえた。残念ながら藁部も一緒に来たようだ。
「ところで兄さん、今日は他の皆さんはいらっしゃらないんですか?」
「あ、ああ、そうかもしれへんな」
五寸釘の問いに微妙に歯切れの悪い開斗。
鉄太は先ほど感じた違和感の正体に気付いた。今日は彼女らが訪れた時、恒例の「姫が来たで~~~~」という呼び声がなかったのだ。
もちろん今現在アパートに他の住人がいないというわけではあるまい。ただ、先ほど女性の本物を見てしまったあの3人からすれば、今日は目を汚したくないと思っても不思議ではなかった。
「誰もおらんなら、食材余ってまうで。シシシシシ」
「作り置きしますんで、後で皆さんに振舞って下さい」
「大丈夫や。その内帰って来るやろ」
鉄太と同じように開斗も呼び込みがない理由に感づいているだろうが、開斗は無礼な住人たちのフォローをした。
そりゃそうだろう。相手を不機嫌にさせたところで良いことなんて一つもないのだ。五寸釘と朝戸の仲が悪いのであれば尚更、朝戸が来たことは隠し通すのが吉である。
ところが、居間に入って来た五寸釘は鼻をスンスンとさせながら辺りを窺い出した。、
「霧崎兄さん……もしかして、誰か女の人来はりました?」
(こっわ)
どうやら、五寸釘は2時間ぐらい経っているにも関わらず朝戸の残り香を嗅ぎ取ったようである。
一瞬の間を置いて開斗が「あぁ、オーマガのアシの娘が来とったけどな。ちょい前に帰ったで」と落ち着いたトーンで返答した。
「もしかして、2人っきりで会うてたんです?」
「3人でや。3人。テッたんもおったわ」
その言葉を聞いた五寸釘は、畳を貫くかのような眼光で睨んできた。鉄太は言葉を発することも出来ず首を縦に何度も振った。
「へ~~~~。そうなんですか。それにしても何やえらい部屋がキレイなってる思ったら。朝戸イズルをここに呼んだからですか~~~~」
「ちゃうちゃうちゃう! 掃除したんはあの娘が帰ってからや」
「証拠隠滅のためですか?」
「喃照耶念!」
浮気に関するわずかな痕跡も見逃さない女の能力に慄いていた鉄太であったが、このまま放っておいては2人が喧嘩別れしかねない。そんなことはこの部屋にいる全員が望んでいないはずである。
とは言え、五寸釘をなだめる自信は鉄太にはない。ヘタなことを言ったら火に油を注ぎかねない。なので、流し台前からこちらを覗き込んでいる藁部に、何とかしろとアイコンタクトを送った。
「ゴッスン。霧崎兄さんのことが信じられへんのか?」
「いや、ぜんぜん信じてるよ。ただ、ズル子がな……」
「ただやないわ。付き合う前からそんなコト言うてたら、アカンのとちゃうか?」
効果覿面。
思惑通り、藁部の言葉に五寸釘は素直に従い、「すいませんでしたと」頭を下げる。開斗も「かまへん、かまへんと」笑い流し、危機回避に成功した。
彼女たちはエプロンに着替えると、流し前に行き料理を作り始めた。
鉄太は相方と共に苦笑しながら窓際の壁にもたれ掛かった。
だが、安堵したのも束の間だった。
流し前から五寸釘が問うてきた。
「霧崎兄さん。冷蔵庫に上のコップとスプーンが置いてますけど、これ何ですの?」
(アカン!!)
鉄太は自分の顔から血の気が引くを感じた。そのコップとスプーンとは言うまでもなく朝戸が使った物であり、後で楽しむために鉄太が洗わずに隠しておいたものである。
開斗がこちらの様子を窺いながら口を開いた。
「あぁ、それなぁ……」
「カイちゃん! カイちゃん! カーーイちゃん!! カイちゃん!!」
鉄太は右腕で開斗の肩を掴むと、余計なことを語らせないように体を揺さぶって強引に止めた。
そして、「いや~~。実はそれ、ちょっと悪くなってて掃除の時に捨てよう思てて、除けといたヤツやねん」と、咄嗟に思いついた言い訳を口にする。
「ふ~~ん。じゃあ、今からウチが捨ててくるわ」
「待って待って! オマエは料理で忙しいやろ。そんなことまでさせられへんわ。ワテが捨てて来るから大丈夫や」
鉄太は慌てて立ち上がると、流しの前に行き藁部からスプーンとコップを受け取った。
「あ、悪いけどドア開けてくれる?」
隻腕なのでコップを持つとノブを回せないのだ。
(クソッ! 折角の計画が台無しや)
鉄太としては、スプーンとコップは色々楽しんだ後に、家宝として飾っておくつもりであった。
(庭の隅にでも隠しておいて後で回収しよか。でもアリとか集っとったら嫌やな。隠す前に楽しんどこか)
そのようなことを考えながら廊下に出ようとした時、藁部が耳元で囁いて来た。
「もしかして、それ、朝戸イズルが使こてたヤツか?」
「アアアア、アホなこと言うな! そんなわけないやろ!」
「うわっ。キーーショ! コイツ変態や。朝戸イズルが使こたスプーンとコップをペロペロするつもりやで」
ズバリ言い当てられて動揺が隠せなかった鉄太の否定など、藁部には通じなかった。
彼女は、気色い、気色いと小学生のように囃し立てる。
屈辱に身を震わせていた鉄太であったが、ついに我慢の限界を超えた。
「気色く悪くてスマンな! コレがワテや! 文句あるか!」
そう叫ぶと鉄太は廊下に腰を下ろしコップを床に置いた。
目の前のオカッパ頭の女が自分に好意を寄せていることは知っている。また、彼女の幼稚な言動が恋愛経験の少なさからくることも察している。
であるならば、相手のレベルに合わせて拒絶の意思を伝えるしかない。
鉄太は意を決して、コップから取り出したスプーンを口に含んだ。そして、襲い掛かって来るであろう罵倒や暴力に対して身構えた。
だが、予想に反して藁部は恥じらうように顔をそむけただけであった。
そして、おかしなことはそれだけではなかった。クリームが付いていたはずのスプーンからは何も味がしなかったのだ。
そこから導き出される答えとは……鉄太の手が震えだし吐き気がこみ上げる。
(ま、まさか)
その悪夢のような推測を肯定したのは五寸釘だった。
「兄さんが手にしたスプーンとコップはこのみぃがペロペロしたやつやで。本物はコッチや」
薄ら笑いを浮かべた五寸釘がコップとスプーンを掲げて見せると、これみよがし洗剤をたっぷり付けて洗い始めた。
鉄太は号泣しながらアパートを飛び出した。
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次回、3-1話 「ワムセンと、いう商品を扱って」
つづきは6月9日、日曜日の昼13時30分にアップします。