6-1話 ワテのオトンの墓のヤツ
九月某日の黄昏時。大咲花府の中で北方に位置する町、笑堤。
黒いスーツを着た坊主頭の二人の男が、並んで歩いていた。
鉄太と開斗だ。
いつもと違い、二人とも帽子とサングラウスは身に着けていない。
開斗は左手に新聞紙にくるまれた花束を持っており、鉄太は肩からたすき掛けでバッグを下げている。
彼らは駅から不規則に曲がる道を三〇分ぐらいかけて歩き、ようやく目的地に到着する。
共同墓地である。
隣接する池を左に見ながら、墓地の中頃まで来ると彼らは足を止める。
目の前の墓石には、亞院家之墓と刻まれている。
ここは希代の漫才師にして天才笑理学者、亞院鷲太が葬られている場所であり、今日は彼の命日である。
彼らは、立岩鉄太の実父、亞院鷲太の墓参りに来たのだ。
すでに何人もの人が参拝したようで、墓石は清掃され墓前には饅頭やら果物やらがいくつも供えられている。
彼の現役引退から約二十年、死後五年経っているが、いまだに足を運んでくれるファンはいるようだ。
ところで、実の親子である立岩鉄太と亞院鷲太の苗字がなぜ異なっているのか?
親の離婚とか婚外子とかではない。
それは、鉄太が中学二年の時、将来漫才師になることを父の亞院鷲太に宣言したことに端を発する。
当時、亞院鷲太は〈笑林寺漫才専門学校〉を立ち上げており、校長に就任していた。そして、漫才師の専門学校はまだ日本に一つしかなかった。
そこに、実子を入学させれば何かしら問題が発生しそうである。亞院鷲太が校長を退いたところで問題は無くならないであろう。
それほど彼の名声は高かった。
しかしだからといって、漫才師の師弟制度を否定して漫才師の学校を立ち上げた彼が、実子を漫才師へ弟子入りさせるというのは、それはそれで変な話である。
もし、もっとありふれた苗字なら問題なかったのかもしれない。
亞院という苗字は目立ちすぎた。
悩んだ挙句、亞院鷲太は高校進学を期に、鉄太を笑媛県にある妻の実家へ養子に出すことにしたのだ。
鉄太と開斗は線香を焚いて墓前に手を合わせる。実のところ、鉄太はずぼらなので、久しく墓参りに来ていなかった。
今年来たのは、心機一転して漫才に打ち込むことを報告しようと、開斗から強引に誘われたからだ。
「……なあ、カイちゃん」
「なんや」
「このお供え物、持って帰ってええよな?」
「はぁ?」
「他人の墓のヤツやないで。ワテのオトンの墓のヤツやで」
「いや、そんなん聞かれてもハイって言われへんわ。 ワイのオトンの墓ちゃうし。バチ当たるんちゃうか?」
「え? 何? カイちゃん、もしかして幽霊とか信じてる人?」
「幽霊とか信じてへんかったら、オマエさっき誰に何をお祈りしたんや」
墓前で漫才のようなやり取りをしていると、辺りに黒い靄のようなものが風に乗って流れてきた。
鉄太は普通ではないそれに警戒感を露わにする。
「カイちゃん……」
「あぁ、陰の笑気や……」
つづきは明日の7時に投稿します。