1―4話 ショックで立ち直れそうにない
「おやぁ? どちらに行かれるのですかな? 立岩殿」
紫色のフードを被った男が、裏通りへの出入り口前で立ち塞がっている。笑月パレス3号室の住人、鷺山冷観である。
「ちょ、ちょっと、ここタバコくさいやろ? 外の空気を吸いたくて……」
咄嗟に思いついた嘘で誤魔化して外に出ようとする。
多分、鷺山は40才ぐらいであろう。そういえば球場へ来る際も一緒に電車で来た。体力的には新戸らよりも劣っているだろうし、何より走りにくそうなダボダボな服装をしているので、外に出さえすれば逃げられる可能性は高いはず。
だが、鉄太の言葉を受けると、鷺山は右手を顎に添えながらこう言った。
「ほほぅ。そうでしたか……私はてっきり皆をダマして裏口からこっそり逃げだすのかと思っていましたが」
(バレとる!!)ズバリ言い当てられて、鉄太は心臓が一度ビクンと飛び跳ねた。
「鷺山はん! 後生や! 見逃してくれ!! 少ないけどお金あげるから」
鉄太が財布をとりだそうとしていると、鷺山は微笑みながら「ご安心ください」と手で制し、続けて「別に私は立岩殿を連れ戻そうとは思っておりませぬ」とも言った。
「ホンマ?」
「もちろんです。立岩殿の意中の相手は他にいらっしゃるのでしょう?」
「いや、ホンマそうなんですわ!!」
以前似たようなことが有った気がするが、そんなことはどうでもよかった。唯一といっていい理解者の登場に泣きそうになる鉄太。
「ささ、早く行かれた方がよいでしょう。あと選別と言ってはなんですがコレをどうぞ」
鷺山は懐から薄ピンク色のブレスレットを取り出すと鉄太の右手に握らせた。
「ローズクリスタルブレスレットです。恋愛成就に効果がございます」
「神様や」
「はっはっは。皆さんそうおっしゃいます」
鉄太は鷺山に幾度もお辞儀をしながら裏通りの出入り口から外へ出た。そして、細い路地に駆け込むとすぐに角を曲がり球場の方へ向かった。
しばらく、走っては振り返っていたが、追手がいないことを確信できると足を止めて息を整えた。
そして、腕時計をポケットから取り出して時間を確かめる。現在の時刻は18時44分。打ち上げは20時からなので、まだ1時間以上の余裕があった。
普段であればネタ作りと言う名の妄想をすれば1時間程度あっという間に潰れる。だが今はそんな気分にならない。
時間をどのように潰せばよいか悩みながら歩いているとサウナの看板が目に入った。
「これや!」
鉄太は経済的な事情から毎日風呂に入る習慣はないのだが、朝戸に合う手前、昨日は銭湯に行った。だが、先ほど嫌な汗を沢山かいたので、ちょっとサッパリしておいた方が絶対よいはずだ。
「何かワテ冴えとるやん。もしかしてブレスレットのおかげか?」
握りしめていた薄ピンクのブレスレットを義腕にはめてみた。
なんか自信が湧いて来た。
そして、もし事が上手く運んだなら、鷺山にブレスレットの代金を払ってあげようと思った。
さて、サウナで汗を流しつついい感じに時間を潰した鉄太は、打ち上げ会場となる居酒屋〈豚一族〉へ向かった。〈豚一族〉とは豚料理をメインとする居酒屋チェーン店である。
一般的に考えて女性を口説くには適してる店ではないが、笑わせて好感度を上げるスタイルの鉄太には賑やかにしても注意されない店はむしろ好都合といえる。ただ、個室タイプの高級店ではなく低価格帯の店を打ち上げ会場にするあたりに不景気の波を感じた。
店の前に着いた鉄太はポケットから腕時計を取り出して時間を確認する。19時44分。やや早いのだがラジオ収録が中止になったという理由があるし、話題のきっかけには使えそうだ。
店の周辺はそこそこの人通りがあった。欣鉄ジャクヤークの応援衣装であるサンバみたいなコスプレの人が散見される。だがゲームセットの時間には少々早い。
試合途中で球場を去るということは試合が大して盛り上がっていないのだろうか? もしそうだとしたら観客に無駄足を運ばせた責任の一端が自分にもあるのではないか?
そのようなことを考えながら鉄太が店の前で身だしなみを確認しているその時、横から声を掛けられた。
「おう、遅かったやんけ。シシシシシシ」
この場に有り得べからざる声を耳にした鉄太は、オイルが切れた人形のようなぎこちなさで振り返る。
彼の目に映ったのは、路地からゾロゾロ出て来る藁部を筆頭とするパチンコ屋でおさらばしたはずの連中であった。
「な、なんで、ココが分かったんや? 発信機でも仕掛けたんか?」
肺腑から絞りだすような声で問いかける。
尾行は絶対されてないはずだ。心当たりがあるとすれば鷺山がくれたブレスットぐらいだ。
鉄太は義腕に付けていたブレスレットを慌てて外すと鷺山を睨みつける。しかし鷺山は顔の前で手をパタパタさせて無関係だと主張している。が、到底信じることなど出来ない。
(あんな詐欺師みたいな男がタダで物をくれるなんて怪しい思ったんや)
人間不信に陥る鉄太であったが、彼女らがココに辿り着いた理由は鉄太の考えているようなことではなかった。藁部はニタニタと笑みを浮かべながら種明かしを始める。
「アホか。そんなスパイみたいなマネするか。コイツ使うて霧崎兄さんから場所聞いたんや」
そう言って彼女がスカートのポケットから取り出したのは、ポケベルであった。
正解を示されても鉄太は理解できなかった。というのもこの頃のポケベルは、まだ文字情報を送ることができず、10桁までの数字しか送れなかった。なので、事前に示し合わせた数字の語呂合わせでは飲み屋の場所を伝えることなど出来るわけがない。
「分からんか? ピンク電話の電話番号を送って。あっちから電話してきてもらったんや」
何のことは無い。電話番号を通知するというポケベル本来の使い方に、ピンク電話を用いるというアレンジをしただけであった。
ちなみにピンク電話とは、いかがわしい電話という意味ではない。かつて喫茶店などに置かれていた料金回収機構を持った桃色の固定電話機のことである。この電話機は街角の公衆電話とは異なり電話番号が契約者の店主に知らされていた。なので、電話番号を聞くことができればポケベルで通知し、移動者同士で電話連絡を取ることが可能であった。
ただし、当然ではあるが着信側のピンク電話は料金を投入せずに使えてしまうので歓迎される手法ではない。使用するにあたってコーヒーの一杯でも頼むなどのマナーが求められた。
鉄太は悔しさと怒りに身を震わせた。
正直、ピンク電話のくだりはよく分かっていないが、それでも藁部が五寸釘経由で開斗から情報を聞き出したことは理解できた。
開斗には、自分が朝戸と付き合いたいと思っていることと藁部が嫌いであることを何度も言っていた。であるならば、藁部に打ち上げ会場の場所を教えて良いか悪いか判断できないはずがない。
「ん? 何んやこの匂い?」
突如、藁部がスンスン鼻をならしながら鉄太に近づいてきた。
「オマエまさか風呂入って来たんか!? ヤラシイ!」
「風呂ちゃう。サウナや!」
「一緒やろが!」
「ヤーラーシイ! ヤーラーシイ!」
ヤラシイコールを藁部が始めると住人たちも唱和した。
ちょっとした下心を見抜かれて恥辱に歯を食いしばる鉄太に、藁部は煽って来た。
「どうした? 早よ店に入らんかい。 シシシシシシ」
「入るけど、お前ら打ち上げ関係ないやろ。付いてくんなや」
鉄太は最後の抵抗を試みた。もちろん無駄であった。
「別にウチらはウチらで、この店で飲みたいだけや」
そう言うと藁部は鉄太を押しのけて店に進む。するとその後ろを「姫様ごちそうさまです」と言いながらアパートの住人らが続いた。彼女が住人らの飲み代を払うことで話がついているらしい。
その光景を怒りと共に見送りながら鉄太は考える。
何故、この女は人の嫌がることばっかりするのだろうか? 自分に好意を寄せていると思っていたのだが、もしかしたら憎しみに変わったのだろうか? だとしたらラッキーなのだが……。
「あら、鉄太さん。どうしたんですぅ?」
鼻にかかったような甘い声に弾かれたように振り返ると、そこにはタクシーから降り立った朝戸イズルがいた。
その瞬間、怒りの感情が蒸発して消え去った。
彼女は球場で会った時とは違う簡素な服でさらにメガネと帽子を装っており、パッと見誰だか分からないが鉄太は彼女の声と口調ですぐに判別出来た。
「あ、いや、今入ろうと思っててん」
「もしかして、開斗さん待ってるんですぅ?」
違うと言いかけて鉄太は思いとどまった。もし朝戸が「開斗が来ないなら帰る」などと言い出したらショックで立ち直れそうにない。
と、その時、「お待たせしたざます」と清算を終えたマネージャーの座枡がタイミングよく声を掛けて来た。
「イズルちゃん。立ち話もなんやから中で話そか」
鉄太は自動ドアの前に立ちドアを開けると、後ろの連中に見せつけるように大声で促した。
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次回、1-5話 「全力で、聞き耳を立てているようだ」
ゴールデンウィークなので
つづきは明日の4月29日、月曜日の昼13時30分にアップします。