19-6話 二の腕に、当たる胸の感触は
16時8分前。
息も絶え絶えになりながら、鉄太は大咲花スタヂアムに到着した。
それに比べて、月田、開斗、五寸釘はさほど息があがっていなかった。健常人からしてみればジョギング程度の運動である。
「お疲れ様でやす」
地面にへたりこむ鉄太に挨拶してくる者がいた。
ヤスだ。
ただ、とても返事を返せる状態ではないので、鉄太は手だけを上げて応じた。
すると月田が「待ったか?」などと言いながら近寄って来た。
どうやら、月田とヤスは大咲花スタヂアムの入り口で待ち合わせをしていたようだった。
相方の方を見ると、五寸釘が開斗の汗をハンカチで拭っており、よい雰囲気であった。
しかし、彼女と目が合った時に、その表情は険しい物へと変わっていた。
五寸釘が睨みながらこちらに来る。
「ハァ…ハァ…な、何?」
「アンタなんで、このみん置いてきたん?」
身構える鉄太に、五寸釘が食って掛かって来た。
相方を置き去りにされたことが気に入らなかったようだ。
「いやいやいや…ハァ…ハァ…そんなんしたら…ハァ…ハァ…遅刻してまうやろ」
「メッチャ早く着いてるやん」
五寸釘は腕時計を指しながらなおも責めてくる。
だが、そこに助け舟をくれたのは開斗だった。
「まぁまぁ、許してやってくれ。テッたんは今日の主役やからな」
「主役は、霧崎兄さんとちゃいますの?」
「テレビ局にとったらテッたんが主役や。ま、そんなことより、久しぶり走れて楽しかったで。今度また、頼めるか?」
「ええ、喜んで。ほな、今週の木曜日とかどないです?」
次のデートの約束を取り付けた五寸釘は一気に機嫌が良くなった。
取り敢えず胸をなでおろした鉄太であったが、あることが気になって辺りを見渡す。
球場前には視界を遮るように放射状の羽根を背負った人たちが少なからずいた。サンバダンサーのようにも見えるが、彼らは欣鉄ジャックヤークの応援団員である。球団マスコットが孔雀なので、そのような装いになったのだ。
もちろん鉄太がきになっているのは、そんなことではない。金島の姿が見当たらないことだ。
取り敢えずヤスに尋ねてみる。
「社長はんはどこにいてはるんや?」
「馬券でも買うてるんとちゃうか?」
そう返したのはヤスではなく開斗だ。
大咲花スタヂアムの階下部分には古書店や料理教室など様々なテナントが入居しており、その中に場外馬券売り場もあるのだ。
金島は競馬好きらしいので、そちらにいると考えるのはおかしなことではない。
しかし、ヤスは否定した。
「社長は来やせん。ライブの準備が忙しいとのことで」
その答えにホッとする鉄太。
あの男がいて良いことなどあるハズがない。
「用事があるなら電話できるでやすが」
「ないないないない」
鉄太は、携帯電話をカバンから取り出そうとするヤスを、慌てて押し留める。
「そんなことより、ワテらもう行かなアカンねん」
駐車場にはえーびーすーテレビの中継車が見えるので、テレビスタッフはすでに会議室にいると思われる。
会って早々ではあるが、鉄太はヤスに別れを告げた。
そして、入場ゲートへと向かうため、五寸釘から開斗の補助を変わろうとした。
ところが、彼女は鉄太を無視してゲートへ歩き出した。
どうやらどうやら自分は五寸釘からあまり快く思われていないらしいと鉄太は感じた。
藁部への接し方を問題視しているのもあるだろうが、一番の理由は開斗に対する独占欲であろう。
であるならば、むしろ鉄太にとっては介助の負担が減るのでありがたいことである。
なんならアパートの空いている7号室に二人で暮らしてくれても良いとさえ思った。
また、一方の開斗も彼女が付いてくることを普通に受け入れているようだ。
なので、鉄太は「もういいから代われ」などとは言わないことにした。
五寸釘は開斗を介助して歩くが、その距離はあまりにも近く、開斗はやや歩きにくそうであった。
ただ。幸せそうではある。
後ろから見守る鉄太は、相方の幸せを喜びつつも、何か癪に障るので、前の二人を自分と朝戸に置き換えてみることにした。
しかし、二の腕に当たる胸の感触はどうなのか、どんな匂いがするのかなど具体的な妄想に入った直後に終わってしまった。
五寸釘は入場ゲート前までたどり着くと立ち止まったのだ。
「ウチはここまでや。霧崎兄さん、また後ほど」
「おう。ありがとな」
彼女の引き際に鉄太はホッとした。
もしかして、五寸釘は会議室にまで付いてくるつもりではと、少し懸念していたのだが、やはり彼女は常識人であった。
「じゃあ、後は頼みます」
介助を代わるべく、五寸釘は鉄太に頭を下げた。
鉄太が了解の返事をしようとしたその時、
「おはよーございまーーすぅ」
横から甘ったるい声が耳朶を打った。
鉄太は反射的に振り向く。
するとそこには、期待通り朝戸イズルがいた。そしてその隣には、座枡とかいう中年女性のマネージャーもいた。
「イズルちゃん、おはようさん。こんなとこで会うなんて偶然やね。もしかして運命ちゃうか?」
五寸釘に返事することなどすっかり忘れ、鉄太は朝戸に軽くボケで対応した。
「や~~だ~~。何言っているんですか。鉄太さん面白~~い」
朝戸はコロコロ笑いながら鉄太の肩をタッチした。そして返す刀で開斗に近寄ると「今日は宜しくお願いします」と手を握った。
鉄太は自分も手を握ってもらえるかもと、急いで右手の手汗をズボンで拭って身構えた。
ところが、彼女は五寸釘の方をじっと見て、鉄太の所に来ることはなかった。
手を握ってもらえずに悔しいと思う心もあるが、それ以上に、五寸釘の様子がおかしいのが気になった。
彼女はあきらかに朝戸の視線から逃げるように体の向きを変え、顔を隠すように背けていた。
コミュニケーションモンスターには似つかわしくない行いである。
そんな五寸釘に朝戸は、嗜虐的な響きを含む声を掛けた。
「あ~~れ~~? もしかして、釘ッペじゃない?」
次回、19-7話 「親睦を、深めることができるだろう」
つづきは3月19日、土曜日の昼12時にアップします。
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