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笑いの方程式 大漫才ロワイヤル  作者: くろすけ
第五章 克服
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5-4話 ずいぶん、笑気も陰っとる

 ヤスも去り、一人になった鉄太。


 しかし、あることに気づいて焦る。

 サングラスを金島に壊されてしまったのだ。


 あのサングラスなくして、大勢の通行人相手にティッシュ配りをする自信がなかった。


 足元でバラバラになっているそれは、とても修復でどうこうできる状態ではない。新しいサングラスとマジックを買おうにもそんな金持ってなかった。


 この時代、百円ショップは噂レベルの存在なので、品物を安く手に入れようと思えばバッタ屋と呼ばれているディスカウントストアに行くしかないが、それでも五百円近くはかかるのだ。


 また、携帯電話はほとんど世に出回ってなく、ポケベルと呼ばれる何桁かの数字を無線で送ことができるデバイスが普及していたが、借金で四苦八苦している彼らは当然持っていないので、鉄太が開斗に連絡を取る手段もない。


 もう今日はあきらめて笑パブに行こうかと思ったが、マブタの上の生々しい感触がよみがえり、そうすることを躊躇(ためら)わせた。


 切羽詰(せっぱつ)まった鉄太は、ダンボールの中からティッシュをつかみ取り、なんとか配ろうと必死に足掻(あが)き始める。


 しかし、相変わらずティッシュを受け取ってもらうことができず、アーケードに照明が灯る時間になっても一つとして手渡せてはいなかった。


 ついに鉄太はティッシュを配ろうとするのを止めた。


 叫びたくなる衝動をなんとかこらえる。

 漫才もロクにできず、焼きそばもロクに売れず、ティッシュ配りさえロクにできない。


 世の中から、自分に存在価値などないと宣告されたように感じた。吐き気を伴う虚脱感に足がわななき立っていられなくなる。


 地面に両手両膝をつき、歯を食いしばっていると、引きつった頬の上を生暖かい感触が伝った。


 涙だ。


 いつまでそうしていたのだろうか?


 ふと視線を上げると、雑踏の隙間からこちらを伺っている不審な人物が目に入った。


 その不審な人物は、黒ずんだ笑気を身にまとい、夏なのに長そでを着ており髪もボサボサ。こちらの身の危険を感じずにはいられないような男だった。


 ―――なんのことはない。パチンコ屋のマジックミラーに映った鉄太自身の姿であった。


 人々の行き交うアーケードを、鉄太は四つん這いで横切りはじめる。


 道端でうずくまっている男には目もくれない人々も、この奇行には対処を決めかね、ヤバイ奴がおると遠巻きにしだした。


 しかし鉄太は、周囲の様子などお構いなしに、そのまま前に進む。


 マジックミラーの前に辿り着つくと、自分の顔をよく見てみる。目は血走っており、口は半開きで無精(ぶしょう)ひげが生えている。しかも、汗と涙にまみれた顔はいかにも臭そうだった。


「……誰やコイツ……」


 実のところ鉄太は、心の奥底で己の姿を人気者であった頃の姿と認識していた。


 それゆえ、舞台に上った時、自分の想定と人々の反応とのギャップが、彼の脳内でパニックを誘発した。そして、それが積み重なった結果、舞台に上がり客の顔を見る行為が、イップスの引き金になってしまったのだ。


 乾いた笑いが、彼の口からこぼれる。


「……そら、誰も近づかんはずや……」


 鉄太は、自他とも認めるブサイクであった。顔だけではない。体形もブサイクであった。ちっちゃい目、おちょぼ口、父と母の悪いとこを寄せ集めたと、親戚によく言われた。


 でも、鉄太にとって自分のブサイクは誇りであった。漫才師にとってブサイクは才能の一つと父に教えられ(うらや)まれていたのだ。


 ところが、今、目の前に映る男の姿はブサイクではなくブキミであった。


 鉄太は腕を失ってから鏡を直視することができなくなり、身だしなみに気を使うことが無くなっていたのだ。その上、人と目を合わさないようにサングラスをしてもなお地面ばかり見ていた。


 これで、どうして人を笑わせることができようか。


「ずいぶん、笑気も(かげ)っとるなぁ」


 マジックミラーに映る自分の笑気をよくよく見てみれば全体的に黒ずんでいた。


 一般的な笑気は、淡い光の粒のように見える。


 それが、今の鉄太が放つ笑気は、カビの胞子のような黒い(もや)のようなものが多分に混じっており、嫌悪感の元になっている。


 どうして今まで気にならなかったのか。


 しばらくマジックミラーを見つめていた鉄太であったが、意を決すると服を脱ぎだしてブリーフ一丁になった。


 そして、衆人が見守る中、アーケード中に響き渡るような絶叫を上げた後、〈笑林寺漫才専門学校〉の校歌を歌いだした。


つづきは明日の7時に投稿します。


次回「ワイは坊主にならへんで」

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