19-4話 目玉焼きにはマヨネーズ
鉄太は、地下鉄出入り口の階段の先に並んでいるショッキングピンクのTシャツを着た人々が老人であることに気付く。さらに、その老人たちに見覚えがあることも。
「どないした?」
足を止めた鉄太に、二つ上の段で藁部が振り返って尋ねてきた。
「ここはアカン。他の出口に、」
進路変更の提案をしようとした鉄太であったが、すべてを言い終える前に、突如、風切り音と共に尻に激痛が走った。
「痛った! 何しはるんですか! 武智さん!」
「さっさと行かんかい先生。 ブチ殺すぞ」
武智は、先生と呼ぶ相手に使うべきではない言葉を吐くと、再び短鞭を振るった。
追い立てられた鉄太は、悲鳴を上げながら階段を駆け上った。そして、地上出ると、ピンクシャツの一団に拍手で迎えられた。
「なぁ、これ、一体何なん?」
「こっちが聞きたいわ」
藁部にそう答えた鉄太であったが、おおよその見当は付いていた。
それが証拠に、老人たちの中にはクンカと西錠がおり、さらに中年の巨漢が一人混じっていた。
その巨漢とは、えーびーすー放送のディレクター兼、構成作家の島津正太郎である。
彼は今日の始球式で、〈満開ラジオ〉のゲリラ収録を行うと言っており、老人たちは周囲の注目を得るための撒き餌といったところだろう。
武智が、徒歩ではなく電車移動に付いて来たのも、この出入り口に誘導するために島津が指示したに違いない。
ピンクシャツの老人たちは、豆球チームのメンバーたちだ。
エアロビ、ミニスカ、ステテコルーズソックスやハイヒールを履いたジジイの集いは他にあるはずがない。
また、よく見れば、彼らが着ているピンクシャツには大咲花アイアンズとプリントされていた。
「霧崎どん。立岩どん。お待ちしてたでごわす」
その声に反応して開斗が聞き返した。
「ごわっさんか? 何でこんなトコにおんのや? 球場で待っといたらええやろ」
そうなのである。
収録予定場所は大咲花スタヂアムなのだから、ここで待ち伏せている意味が分からない。
「二人の晴れ舞台に花を添えようと思っただけでごわす」
鉄太は袖を引かれて横のおかっぱ頭をみる。
「この人誰や?」
扇子で顔を仰ぎながら豪快に笑う肥満体を、藁部が、不審な眼差しで観察していた。
「えーびーすー放送のディレクターや」
鉄太は彼女に、このいがぐり頭が自分たちのラジオ番組のディレクター兼、構成作家であることと、本日ラジオ収録を行うことを手短に伝えた。
すると横から聞いていた五寸釘が進み出て、島津に頭を下げた。
「わざわざディレクターさん自らお出迎えいただいて有難うございます。本日の〈満開ボーイズ〉の収録、どうかよろしくお願いします」
良く出来た娘であると、五寸釘に対して鉄太は思った。
放送局のディレクター相手に、芸人である自分たちの自己紹介を一切せずに、相手を労いつつ〈満開ボーイズ〉の引き立てを願うなど、なかなか出来ることではない。
藁部などは挨拶をするどころか、鉄太に隠れるようにして島津を睨んでいた。
「なぁなぁ、あのピンクのシャツの背中のSとかMとかプリントしてあるの何?」
再び藁部に袖を引かれた。
彼女の言うように、老人たちが着ているシャツの背中側には白色でアルファベットのSやMが大きくプリントされていた。
あと、右胸の下にも小さくSとかMとかプリントされている。
無論、鉄太は知っている。
それが、各人の特殊性癖の属性を示していることを。
以前、下楽下楽での会合で、ユニフォームに関するアイデアを聞かされていたからだ。その推測を裏付けるように、二重属性の島津の胸の所には小さくSMと両方の属性がプリントされている。背中には大きくSMとプリントされているはずだ。
しかし、それを藁部に伝えるのは躊躇われた。変にイジられる材料を与えたくないからである。
しかし、それと同時に本当に知らないのだろうかと猜疑の念が湧き上がる。それと言うのも、彼女が父親経由でこの集団の情報を知っている可能性がなくはないのだ。
そこで、鉄太は気付いた。
スパイ行為を行っていた押目の姿が見当たらないことに。
二人を会わせてみたら何かしらのボロは出るかと思って辺りを見渡してみたのだが、考えてみれば、あの男はどのツラ下げて鉄太の前に現れることが出来るのかという話だ。
仕方がないので、藁部の表情を観察する。からかってくる時にしている厭らしい笑みは浮かんでいない。本当に知らなさそうだ。
だから適当に誤魔化すことにした。
「多分、服のサイズや。SサイズとかMサイズとかいうやつや」
「はぁ? そんな服ないやろ。背中にでっかく服のサイズ書いてあるとかダサすぎるわ。それに一人、縄で縛ってる人いてるやん。何やアレ? どっかで見たことある気ぃするけど……」
いぶかしむ藁部に鉄太はあせる。彼女が五寸釘に問いでもしたら、五寸釘は開斗に尋ねるだろうから即バレ不可避である。
「じゃあアレやアレ。好きな調味料や。目玉焼きにソースかマヨネーズ、どっち掛けんのか書いてるんや。ソースがS、マヨネーズがMや」
「アホか! 目玉焼きは塩やろ!」
「いや、目玉焼きにはマヨネーズや」
「マヨネーズかけたらマヨネーズの味しかせえへんやろ。もしかして、お前マヨラーか? だからそんなブクブク太ってんのか?」
「マヨラー馬鹿にしてんのか? やったら今後、お好み焼きに絶対マヨネーズかけんなや」
マヨネーズを貶され、思わず反論する鉄太。
漫才師を辞めてからの極貧時代、カロリー的に彼を助けてくれたのはマヨネーズといっても過言でないのだ。
「誰もお好み焼きの話しとらんやろ!」
鉄太の剣幕に、一瞬驚いた藁部であったが、すぐさま言い返すと鉄太の背中を思いっきりグーパンした。
なんだかおかしな方向に話題が変わっていたが、結果として話を逸らすことに成功した。
そして、藁部と食生活が合わなさそうだという事を発見し、心の中でガッツポーズをした。
今まで、なんとか彼女に嫌われる方法を模索してた鉄太であったが、ようやく糸口を見つけた気がした。
調味料に限らず、食べ物に関しては対立する要素が少なくない。
今後、彼女の志向と反対側を選択していけば、相容れない人間と思い、恋愛対象から外してくれるかもしれない。
「立岩どん。よかですか?」
五寸釘と談笑を終えた島津が話しかけて来た。
「何ですか。ごわっさん」
「これ渡しとくんで、始球式で二人に着てほしいでごわす」
そう言うと島津は手にしていた手提げの紙袋を鉄太に手渡そうとしてきた。
次回、19-5話 「足腰は、少しばかり鍛えられ」
つづきは3月12日、土曜日の昼12時にアップします。