17-4話 入れ墨を、額に刻んだ老人が
ウヒョヒョ座の支配人は額の入れ墨を指しながら語る。
「ワシも昔、同じ勘違いしとってな。コイツはその若気の至りや。しかし、ワシが普通の男だとしてもワシとお前との間には大きな開きがある。分かるか?」
「……分かりません」
苦し気に答える西錠に下須は「ならば立ってみい」と言い彼を立たせると、亀甲縛りの下の服をつまんだ。
「何で服、着とんのや?」
「そ、それは……服着てへんと逮捕されますやろ」
意地の悪い質問だと鉄太は思った。
確かに服を着ずに亀甲縛りで出歩ける人間は真の変態であろう。
だが、そんな人間が本当にいたなら西錠の言うように逮捕されるはずなので、支配人の求める人材は塀の向こう側にしかいないことになってしまうのではないだろうか?
鉄太の疑問を余所に、下須は自分の禿げ頭を右手でピシャピシャと叩きながら、さらに西錠へと質問をする。
「……なるほど、逮捕か……なるほどなるほど。しかし、お前は試してみたんか?」
「試すって何をですか? そんなん試さんでも分かることでっしゃろ?」
「確かに、全裸やパンツ一丁の男が亀甲縛りして外歩いてたら即逮捕されるやろ。でも、今のお前から上着1枚脱いだぐらいで逮捕されると思うか?」
「……思いまへん」
「ほな、上半身だけ裸ならどや?」
「……分かりまへん」
「つまりは、そーゆーこっちゃ。お前は極めようとしてへんのや。だから、服の上から亀甲縛りした程度で自分が一番の変態やと思いこんどんのや」
支配人からの痛烈なダメ出しを受けて西錠は1歩後ろによろめいた。
しかし、そこで踏みとどまると自分を縛っていた赤い縄を解き始める。
「やったら、極めて見せますわ!」
そう叫んだ西錠は、上着と肌着を脱いで上半身裸になると再び自分を縛り始める。
「支配人! もし、この恰好で大咲花城まで行って戻ってきたら認めてくれまっか? 俺が本物やと」
「まぁええやろ。お前がホンマにそれでお城まで往復できたらウチで雇ってもええで」
決死の形相で訴える西錠に対して、返事する下須はまるで鼻くそでもほじってるのかと思うほどのいいかげんな言い方だった。
「約束でっせ、支配人!」
西錠は、そう言うが早いかドアを開け駆けだして行った。
部屋に残された者たちはあっけに取られたように固まっていたが、そんな中、押目が開け放たれたままのドアに向かった。
そしてドアを閉めた。
てっきり西錠の挑戦を見届けるために後を追うのかと思ったのだがそうではないようだ。
ただ、そう思ったのは鉄太だけではなかったようでクンカが下須に尋ねた。
「見にいかんでええんか?」
「そんな必要ないやろ」
支配人の返答に、人のことを信じられる度量があるのかと見直した鉄太であったが、その心証はすぐに裏切られる。
ブーメランパンツの老人は立ったまま執務机の上の黒電話に手を伸ばすとダイヤルを回し始めた。
「あ、もしもし? 警察です? 今、西心咲為橋あたりで、上半身裸に亀甲縛りした変質者が、大声で何やら叫びながらお城の方に走って行きました。気持ち悪いんで逮捕しといて下さい」
なんと、支配人は警察に通報したのだ。
受話器が置かれた後、クンカが西錠の服を拾いながら下須を窘めた。
「イッちゃん。相変わらずエゲツないな。後でフォローせなあかんコッチの身にもなれ」
「これは親切や。アイツ、変態になりたがっとたやろ。警察に逮捕されて新聞にでも載れば、晴れて世間様から本物の変態として認知されるちゅうもんや」
「どこが親切やねん。ってか、さっき若気の至りとか言うてたけど、イッちゃんが入れ墨したの40過ぎてからやろ」
「ツッコむの遅すぎるわ。そんなんやからお前はいつまで経ってもうだつが上がらんのや」
クンカの言う〝イッちゃん〟とは、支配人のアダ名なのだろう。
気心のしれたような二人の掛け合いを聞いていて鉄太はふと浮かんだ疑問を口にした。
「あのぉ……お二人はコンビとか組んではったんですか?」
「せやで。〈下水道〉って名前で漫才やっとたんや」
そう答えたのは支配人だった。彼の本名、外須一郎がその由来とのことだ。
字面的に、相方のクンカの本名、久彩澄が一切反映されていないコンビ名だが、それは彼らのパワーバランスによるもののような気がする。
劇場の支配人になれた男と最下層の笑パブでくすぶっているドブ芸人では、当時から発言権に格差があってもおかしくはない。
鉄太は切ない思いで自分が生まれる前から芸人をやっていた男を見る。
その憐れむべきドブ芸人は勝手にソファーに座ると下須の後に付け足した。
「でも、大して売れんくてな。そのうちイッちゃんがオホホ座のポコナと結婚しくさって、〈ジュゲーム〉っちゅうコンビ名で夫婦漫才始めてな。ワシらのコンビは自然消滅したんや」
しかし、元相方の言に下須は怒りを交えて反論した。
「自然消滅? ワシらの結婚式にお前がウエディングドレスで乱入して式メチャクチャにしたからやろ」
「メチャクチャて。ただのお茶目な余興やろ」
「どこがお茶目や。ワシがオマエをどうやって愛したかとかデタラメ並べ立てたやろ。そしたら、アッチの親族が本気にして、ホモの偽装結婚やってカンカンになったんや。ほんで、お前とコンビ解散するって土下座してようやく許してもらえたんやろ」
一気に捲し立てたあと、下須は唖然として立ち尽くす鉄太と開斗に声を掛けた。
「おい、お前らいつまでつっ立とるんや。取り敢えず座らんかい」
下須に促されて、開斗と共にソファーに座った鉄太であったが、聞き逃せないワードを耳にしており、混乱しかけた頭の情報整理をする。
(オホホ座!? ポコナ? ジュゲーム?)
確か、オホホ座の総支配人は昔、藪小路ポコナという芸名で、〈ジュゲーム〉という夫婦漫才をしていたと聞いたことがある。
であるならば、ウヒョヒョ座の支配人である目の前の老人は、オホホ座の総支配人の旦那で、藪小路ポコピということになる。
さらに、オホホ座の総支配人が藁部の母親であると昨日耳にした。
ということは…………目の前にブーメランパンツ一丁で佇む、美少年の入れ墨を額に刻んだこの老人が、藁部の父親だということになる。
下膨れの顔は確かに彼女とよく似ている。
藁部はオホホ座の総支配人に似ていないと不思議に思ったが、実は父親似だったという事なのか。
また、藁部が異常に屈折した性格なのも、こんなのが父親であれば当然なのかもしれない。
図らずとも、いくつか疑問が解消された鉄太であったが、だからといって気分がスッキリしたわけではなかった。
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次回、17-5話 「説得に、鉄太の心は惑ったが」
つづきは2月6日、日曜日の昼12時にアップします。