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笑いの方程式 大漫才ロワイヤル  作者: くろすけ
第十六章 クビ
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16-5話 鉄太は無視を決め込んだ。

「……やっと……着いた……」

「ホンマやで」


 夜10時を過ぎた頃、鉄太は開斗を連れてアパートの前まで辿り着いた。


 二人とも上半身は肌着である。スーツとYシャツは、ケータリングを持ち帰る用の予備のカバンに入れている。


 普段は目の見えない開斗を介助している鉄太であったが、今はどちらかというと開斗に支えられているようなフラフラな状態であった。


 それというのも、夜の公園で開斗の投球練習に付き合わされたからだ。


 鉄太としては、チェンジアップとかいう遅い球の練習だからこそ応じたのであるが、いざ練習をはじめると、開斗は速球も交えて来たのだ。


 全く持って洒落(しゃれ)にならなかった。


 開斗にとって昼も夜も変わらないかもしれないが、鉄太からしたらボールが視認しにくい分、夜のキャッチボールは昼の何倍も怖かった。


 しかも、ミットもキャッチャーマスクもないのだ。


 速球を投げて来た時など、マジで自分を殺しに来ているのかとさえ思った。


 そんなワケで、投球練習には十数分程度しか付き合っていなかったが、鉄太のHPはイエローゾーンまで減っていた。


「ただいま~~」


 鉄太はアパートの引き戸を開け、靴を脱ごうと土間に視線を落とした。


しかし、その時、視てはならない物を見てしまった。


 なんとそこには、女物の履物が2足、鎮座していたのだ。


 それが誰のモノなのか考えるまでもなかった。


(アイツらまた来とんのか……)


 痛恨の一撃を喰らい絶望に打ちのめされる鉄太。


 HPが一気にレッドゾーンまで落ち込む。いっそHPがゼロになってくれたらとさえ思った。


 こんなことなら、もっと公園で投球練習に付き合っていた方がマシだったかもしれないと後悔した。


 とはいえ、回れ右して公園に戻る体力もない。


(まだや……まだ他の住人の女が来たっちゅう可能性もゼロやない)


 鉄太は歯を食いしばりながら、開斗を上がり(かまち)に腰かけさせた。


 するとその時、1号室のドアが開き、住人の日茂(ひも)が顔を出した。


「あ、こんばんは」


 鉄太が挨拶すると、日茂(ひも)は廊下奥の方向を向いて叫んだ。


「殿やーーーー。殿のお帰りやでーーーー。フォーーーーーー!!!」


 すると、他の部屋のドアも次々開いて、新戸(にいと)鷺山(さぎやま)羊山(ようさん)醐味(ごみ)らが顔を出した。


 前に一度見たシーンだ。


 これで、〈丑三つ時シスターズ〉がいることが確定してしまった。


 鉄太は覚悟を決めて靴を脱いだ。


 鉄太が開斗を連れて廊下を進むと、後ろから住人たちがゾロゾロ付いてくる。


 なんで自分ばっかりこんな目に遭うのか。


 階段を上りながら、鉄太は世の中の理不尽さに(いきどお)を覚えた。


 しかし、漫才師たるもの怒気を発するのはご法度である。


(なんじ)怒る事なかれ〉

 

 笑林寺漫才専門学校で習う十戒(じっかい)の一節を唱えながら心を落ち着かせる。


 2階に上がると、ソースの焦げた匂いが鼻孔をくすぐってきた。


 この前食べたお好み焼きとは違い、もっと酸味が強いことから、今夜のメニューは焼きそばなのかもしれない。


(うまそうなやな……)


 鉄太は部屋の前に蠅のように集った2階住人の鳥羽や武智(むち)ら、を押しのけて8号室に足を踏み入れた。


「おかえりなさい」


 すると、ドレスにエプロンを付け、台所で焼きそばを調理していた五寸釘が鉄太らを出迎えた。


 まるで新妻のようである。


 ただ、「ただいま」と応じた自分たちの姿を見て、笑顔から心配そうな表情に変わった。


「どないしたんです? その恰好(かっこ)?」


「ちょっと公園で投球練習してたんや」


「ケンカでもしてたんかと思いましたわ」


「そんなワケないやろ」


 自然な調子で会話する二人を見ながら鉄太はほっこりした気分になった。


 この様子なら、二人がひっつくのも遠い将来ではないだろう。


(あ、でも、そうなったらワテの払わなあかん家賃が増えてまうな)


 鉄太が自分勝手ことを考えながら奥の居間に目を向けると、そこには五寸釘と同じようにドレスを着た藁部(わらべ)がいた。


 なぜ彼女らは、このボロアパートに似つかわしくない装いで来たのだろうか?


(あれ? そう言えば前来た時もドレスやなかったっけ?)


 鉄太が記憶を探ろうした時に、「先輩おかえりっす」と声を掛けられた。


 藁部(わらべ)と五寸釘に気を盗られ過ぎて意識の範囲外だったが、他にもう一人、月田がいたのだ。


(そらそうやな)


 当たり前だが、月田がいたから部屋に彼女らが入れたのだ。


 いくらなんでも、無人の部屋のカギをピッキングして入るような女たちではないと思いたい。


「おう、戻ったで月田」

「ただいま月田君。ちょっと着替えるから場所あけてくれる?」


 開斗と共に居間に入った鉄太は、部屋着に着替えるためにちゃぶ台をどかすように月田にお願いした。


 月田が立ち上がりちゃぶ台を隅に寄せようとする。一方、藁部(わらべ)は鉄太と目を合わせることなく無言で居間から出て行った。


 憎まれ口の一つでも叩かれる思ったが意外であった。


「ケンカでもしたんすか?」

「知らんわ」



 とりあえず、鉄太らが着替え終わり、ちゃぶ台の上の大皿に焼きそばが盛られると、またもや住人たちの一発芸が始まった。


 彼らはこのために新ネタを練習して来たようで、前よりもレベルが上がって盛り上がった。


 ただそんな中、藁部(わらべ)の様子がややおかしいのに鉄太は気付く。


 黙して座っているのは同じなのだが、いつものような太々(ふてぶて)しさが感じられないのだ。


 とは言え、話しかけると裏目に出るのは経験から学んだことである。


 鉄太は無視を決め込んだ。

次回、16-6話 「魂を、売るには安い金額だ」

つづきは1月22日、土曜日の昼12時にアップします。

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