16-3話 本当に、投球練習するつもり
「何やねんあのババア! ホンマむかつくわ」
駅からアパートへの帰り道、開斗が何度目かの悪態を吐いた。
彼の言うババアとは下楽のことではない。オホホ座の総支配人、藪小路ポコナのことである。
月田とヤスへのアドバイスを終えた鉄太は、黒スーツに着替えてからオホホ座に向かった。
しかし、オホホ座の入り口で守衛に入店を拒まれ、さらにオホホ座とその系列店すべてとの契約解除を宣告された。
総支配人からの言伝によると、オホホグループの品位を汚すような活動をしていたことが契約解除の理由とのことだ。
恐れていた事態が現実になってしまった。
「契約解除するなら前もって事務所に連絡しとけや。とんだ無駄足踏ませよって。そう思うやろテッたん」
同意を求められて「せやな」と返事した鉄太だったが、どちらかと言えば、オホホ座の総支配人より開斗の方にムカついていた。
そもそもこのような結果を招いたのは全面的に開斗の責任だと鉄太は考えている。
まず、ことの原因となった変態的なキャッチボールを始めたのは開斗であったし、総支配人からの忠告を無視する決定をしたのも開斗なのだ。
「まぁ、あんなお高くとまった笑パブなんかこっちから願い下げや。笑パブは他になんぼでもあるし」
ナンパに失敗したチンピラのようなことを言う相方に苦笑する鉄太。
仮にオホホ座グループと同じ量の仕事を取ることが出来たとしても、ギャラは安くなるだろう。
また、直接的な収入以外にも、ケータリングを持ち帰ることで節約できる食費などを考えれば、実質的に3割ほど収入が減るのではないかと思う。
しかし、契約解除を告げられた時、鉄太は非常に残念に思ったが、だからといって開斗を責め立てるほどの怒りは湧いてこなかった。
もしかして、オホホ座のネタを検閲して語句を修正させる行為を疎ましく思っていたからかもしれない。
「テッたん。明日から新しい営業先を探しにいかんとな」
「ワテ、もう一回、ティッシュ配りのバイトやってみようかな。そしてたらまた商店街から売れ残りもらえるようになるかもしれへんし」
「アホか。志低すぎやろ。ワイらはもう次のステージに移っとんのや。それは他の連中に譲ってやれ」
「いや、次のステージやなくて、他のステージに行ってる気がするわ」
お笑いではなく変態というステージに。
「ところで話変わるけど、この辺に公園あったよな? こっとそこ寄ってくれるか?」
「公園!? いや知らんけど」
「マジか。じゃあ、ワイの言う通り歩いてくれ」
「まぁええけど何すんのや、カイちゃん」
「行ってから話す」
鉄太は開斗のナビゲーションで公園に向かった。
ただ、公園は駅とアパートを結ぶ道沿いからやや外れた所にあり、開斗もあまり行き慣れた場所ではないらしく、また夜中ということもあり、たどり着くまでにはかなりの時間を要した。
着いた頃には開斗は少々機嫌が悪くなっていた。
「どんだけ時間かかっててんねん。一駅ぐらい歩いたんとちゃうか?」
しかし、機嫌が悪いのは鉄太も一緒だ。そもそも迷ったのは開斗のナビが悪かったからではないのかと思っていた。
自然と語気も荒くなる。
「話って何や? わざわざ公園で話さなアカンことって何んやねん」
「いや、投球練習しよう思ってな」
「ちょっと勘弁してやカイちゃん。明日でエエやろ」
鉄太は本気で嫌がった。
公園といっても、ここはいつも練習している公園よりずっと狭い。どちらかと言えば空き地みたいな場所であり、子供だってこんな所で野球はしないだろう。
そして、おまけに夜なのだ。外灯はあるものの公園全体を照らすほどの光量はない。
こんなとこでキャッチボールをして人の家のガラスでも割ったら目も当てられない。
「いや、ここでしか出来ん練習があんねん。付き合うてくれ」
「絶対嫌や言うてるやろ。それに今、ワテらが着てるのスーツやで。破れたらどーするつもりやねん」
色々と不満が溜まっていた鉄太はスーツを着ていることを盾に頑として応じなかった。
「じゃあエエわ。ワイ一人でやるからテッたんはそこで見とれ」
開斗は足元にカバンと杖を置くと、手刀を周辺に振るう動作を始めた。
知らない人が見ればさぞ狂気じみた行為と思うだろうが、これは100歩ツッコミで放たれた笑気の反射から周辺の構造物を把握しようとしているのだ。
歩き疲れていた鉄太は入り口近くのベンチに腰を下ろした。
しばらくすると、開斗は笑気を飛ばすのを止めて、足元に置かれたカバンから硬球を取り出した。
どうやら本当に投球練習するつもりらしい。
「ちょっとカイちゃん。ここホンマ狭いし金網も低いねん。ヘタに投げたらよその家のガラス割ってまうで」
ここは小学生が集団登校の前に集まる場所みたいであり、フェンスも大人の腰あたりまでしかないのだ。
「大丈夫や。目の見えへんワイにとって昼も夜も一緒や。黙って見とれ」
セットポジションに構えた開斗は、人の忠告を無視して勢いよく腕を振り下ろした。
「ちょっ!」
短い悲鳴を上げた鉄太は、反射的に腰を浮かせた。
ただ、悲鳴の後に言葉が続かなかったのは投げられたボールに違和感を感じたからだ。
ボールの速度は腕の振りに比べて明らかに遅く感じた。
外灯に照らされ、ほのかに白く浮き上がったボールは公園の端に届く前に落ちると闇の中に消えて行った。
「チェンジアップや」
唖然とする鉄太に開斗はドヤ顔で言った。
そして、ボールを探すべくフェンスの方に歩いていった。
小説家になろうの評価の☆や感想を頂ければ、励みになりますのでよろしくお願いします。
次回、16-4話 「悪魔のような微笑みを」
つづきは1月15日、土曜日の昼12時にアップします。