5-2話 目ん玉は高う売れるんじゃ
あくる日も、鉄太はティッシュ配りを行う。
結果は七つだった。
もしかして場所がよくないのかと思い、翌日は笑比寿橋からアーケードの中の方へ移ってみたが、結果は三つだった。
四日目ともなると、この無意味としか思えない行為に心が折れたのか、鉄太はティッシュを配ろうともせず通路脇に座り込んだ。
そして、笑パブの仕事の時間が近づくと自分のポケットにいくつかティッシュをねじ込み、通行人に渡したことにして体裁を取りつくろった。
その日から鉄太は、朝から夕方まで通路脇で座り続けた。普通の人は退屈で耐えられないだろうが、その点、鉄太は大して苦に思わなかった。
小学校の時から、授業を一切聞かずにロクでもないことを妄想して、一日をすごしていたからだ。
おかげで勉強は一切できなくなったが、対価として妄想力と、その妄想を記憶する力を手に入れた。
鉄太の漫才のネタは、小学生の時から積み重ねた妄想であった。
その上、妄想を部品のように記憶しており、それらを脳内でブロックのように組み立てることで、即興で漫才を行うことが出来るのだ。
六日目。この日は朝から雨が降っていた。
鉄太はいつものように通路脇でぼーっと座り込んで、『道路を全部アーケードにしたらええのに』『でもそしたら傘屋が困るな』などと、しょうもない妄想にふけっていると、いきなり横から蹴り飛ばされた。
「何サボとんじゃワレ!」
サングラスを下にずらして見上げると、アロハシャツの男がいた。
金島である。後ろにはヤスもいる。
「社長はん! ……いや、ほんのちょっと休憩で、今さっき座ったとこですねん」
「……ワシも舐められたもんじゃ」
はいつくばる鉄太の前に、金島がしゃがみこんだ。
そして、手に持っていた火のついた煙草を、鉄太の右手の甲にギュッと押し付けて灰皿代わりにした。
鉄太は大げさに泣き始め土下座で許しを請う。
「ホンマ堪忍してください。座ってたんは、今だけ……今だけですねん」
「左様か。なら、そこら辺の店のモンに聞いて、確かめてみるけぇ」
「待ってください! 話、聞いてください!」
立ち上がろうとした金島の足首をつかんで、鉄太は嘆願する。
「ワテ、この仕事、合うてへん思いますねん。一所懸命やっても全然なんです」
突如、アーケード街で起きた暴力沙汰。通行人が足を止めようとするのを「何、見とんじゃ」と、ヤスが追い払う。
「一所懸命っちゅう言葉は、いつからこんなに安っぽくなったんかのぉ?」
そう言うと金島は、鉄太が顔に掛けていたサングラスを指で摘まんで取り上げる。が、違和感を感じたのかサングラスを天にかざした。
「なんじゃ、このグラサンは? 塗りつぶされとるやないかい。こんなモンかけてティッシュ配ろうしとったんか?」
「リハビリですぅ。それないと人が怖いんですぅ。お願いしますんで返して下さい」
神仏にでも祈るかのように、合わせた両手を上げる鉄太。
「まさかと思うが、笑パブでもコレはめて漫才しよるんけぇ?」
低音の効いた金島の問いかけに、鉄太は、目をそらすことで答えとした。その件に関しては、彼自身、客に対する不誠実さを感じてはいた。
「ムダなことしよるのぉ」
何がムダなのか?
言葉の意味を図りかねている鉄太に、金島は強い言葉で断言した。
「笑パブに限った話じゃないが、前座の漫才なんぞ誰も聞いちゃおらん。――なぜなら客がおらんけぇの」
金島はノドで笑いながら、見せしめにするかのように、鉄太の目の前でサングラスを片手でボキボキとへし折った。
「!」
何か反論せねばと思ったが、鉄太の口は岸に打ち上げられた魚のようにパクパクするのみで、意味のある音声を紡ぎだせなかった。
「そんなに人目が怖いんなら、目ん玉引っこ抜いたらどうじゃ? 前に霧崎が腕がのうても漫才できる言うとったが、目ん玉もなくたって漫才できるじゃろ。――目ん玉はの、高う売れるんじゃ」
金島の両手が鉄太の顔に伸びてくる。
迫りくる恐怖に鉄太は目を硬くつむると、頬を抱えられマブタの上を指でグリグリなでられる感触が伝わってきた。
耳元でささやかれた言葉は鉄太を震え上がらせる。
「座りたければ、なんぼ座っとってもええんじゃ。ただ、利息が払えんようなら分かっとるよな? 今の内に目ん玉引っこ抜かれるか、足をへし折られるか選んどけ」
指の感触はすぐになくなったが、しばらく目を開けることができず、恐る恐る目を開けた時には、金島の姿は目の前になかった。
ホッとして上体を起こした時――
つづきは明日の7時に投稿します。
次回、5-3話 「役に立たないアドバイス」