13-5話 ワテも携帯買うたろか
夜10時過ぎ、地下鉄守口駅に電車が到着すると、パラパラと人が下りて来る。
改札口へ行くのに、多くの人は階段よりもエスカレータを利用するため、人々は駅の中央部へ向かう。
仕事で疲れた人間たちは、まるで天国へ誘われるかのようにエスカレータで上昇していく。
そんな列の最後尾に、白い杖を持った背の高い男と、それを介助する小太りの男がいた。
鉄太と開斗である。
バリアフリーという概念が希薄な時代である。エレベータのある駅はほぼないので、エスカレータを使わざるえないのだ。
ほどなくして、地上フロアに着くと、鉄太は改札には向かわずに通路の壁際に開斗を立たせてこう言った。
「ちょっとウンコしてくるからここで待っててくれる」
「ウソつけ。どうせ今からあの女に電話するつもりやろ」
「……なんで分かったん?」
「そんなルンルン気分でウンコに行くヤツはおらん」
鉄太は開斗の洞察力に舌を巻いた。
もしかして、もしかして笑気で感情を読み取ることも出来るのだろうか。
「電話しても出るのはどーせあのマネージャーやで」
「何でそんなこと言うねん!」
あのネットリする視線を思い出し、身震いをする鉄太。
そして、デリカシーのない相方に立腹しながら、構内の公衆電話コーナーに向かった。
この頃、スマホはおろか携帯電話すらほとんど普及していなかったので、駅にはやたらと公衆電話が設置されていた。
台の上に横並びに置かれた5台の公衆電話機は全て使用中である。
外は雨が降っているので迎えでも呼んでいるのだろうか。
鉄太は彼らの通話が終わるのを待つことにした。
しばらくすると、空きが出来たのだが鉄太はそこに行こうとしない。
今から電話を掛ける相手はグラビアアイドルなのだ。
もし、聞き耳を立てられて、ゲスな週刊誌に会話内容をリークされれば彼女に迷惑が掛かってしまう。
鉄太は誰もいなくなるまで待つことにした。
しかし、次の電車が来る前にいなくなってくれないと、延々と待つことになるのではないか?
待ち時間がやたらと長く感じる。
こんなことならアパートに電話を引いておけばよかったと後悔した。
そもそも公衆電話だと、こちらから掛ける分には問題ないが、相手から掛けてこられないではないか。
朝戸から電話番号を聞かれた時、アパートに電話がないことを告げたらなんと思われるだろうか。
鉄太は初めて電話を持っていないことのミジメさを痛感した。
(カイちゃんに電話することバレたんやったら外のボックスにしとけば良かったな)
駅の外に個室の電話ボックスがあることを思い出し、後悔を始めた時、ようやく最後の一人の通話が終わった。
電話を終えた利用者の中年男性らが、気味悪がるように鉄太を見ながら去っって行った。
鉄太は盗み聞きされることを警戒しているが、この時間帯の利用客は仕事帰りであり、夕方のテレビなど見ていないだろう。
当然、鉄太が朝戸の電話番号をゲットしたことなど知らないはずだが、そこまで思い至らない。
無人となった公衆電話機のコーナーで、鉄太は右腕で財布を取り出し、電話番号を書かれたメモとテレフォンカード、通称〈テレカ〉を台の横に置いた。
このテレカはグラビアアイドルの水着姿がプリントされたもので、鉄太がプロマイド代わりに持っていた宝物だ。
7年近く使わずに取っておいたため表面はカッスカスに掠れており、電話で使う以外の実用性はほぼなくなっている。長年お世話になった彼女には申し訳ないがここで使うべきだろう。
別れを告げるべく最後にもう一度ハイレグを眺めていると、ふと気付いた。
(アレ? これイズルちゃんちゃうか?)
自分に向けて微笑みかけるその眼差しには朝戸イズルの面影があった。
(これ運命やん! 道理で何か見覚えがあるような気ぃしてたんや!)
テンションがあがった鉄太は、緑色の受話器を取りテレカを挿入口に差し込んだ。
電話機のデジタルカウンターの度数は50を示し、市内であれば15分ぐらいは話せるはずである。
若い女性に電話するにはやや遅い時間かもしれないが、いつでもいいと言質はもらっている。
鉄太はメモを見ながら、番号を間違えないように注意深くボタンを押していく。
(何や、この番号……)
市外局番は099から始まっていた。大咲花とその周辺の市外局番は06か07から始まるのが普通だ。
(もしかして携帯電話か?)
鉄太は金島から緊急用にと聞いていた携帯電話の番号と似ていることに気が付いた。
ホッとする鉄太。
もし、彼女が実家の電話番号だったら、父親が出てきて話がこじれる可能性があるが、携帯電話なら出るのは朝戸本人だろう。
(いっそワテも携帯買うたろか)
携帯電話はメチャクチャ高いと小耳に挟んだことがあるが、いくら高くても自動車に比べればずっと安いはずだ。
それに誰もが持っている自動車より、ほとんどの人が持っていない携帯電話の方がカッコよく思える。
携帯電話を買う意思を固めつつ、鉄太は最後の番号を押した。
受話器を耳に押し付けるも自分の鼓動が爆音のように轟き、コール音すら聞き取りにくい。
(さっきのエビソード、イズルちゃんに話たら何て言うてくれるやろ?)
第三者の立場で考えれば、かなりの確率で相手が「気持ち悪い」と思うことが予想できるが、恋する男は全てポジティブに考えてしまう。
2回目のコール。
開斗が言った『出るのはどーせあのマネージャーやぞ』という言葉が思い出される。
もし、あのマネージャーが出たら何んて言うべきか? あらかじめ考えておかなかったことを後悔する。
3回目のコール。
もしかしたら、このままずっと出てくれないのではないかと思ってしまう。
一旦切って、マネージャーが出た時の対応を考えるべきか?
しかし、3回目のコールが鳴り終える前に音が不意に途切れる。そして受話器から聞こえてきたのは、耳馴染みのある甘ったるい声だった。
『もしも~~し。朝戸イズルで~~す』
「も、もしもし、立岩です。今日はホンマお世話になりました。一言お礼が言いたくてお電話させてもらいましたが、ただいま、おじ、お時間大丈夫でしょうか?」
鉄太はあらかじめ考えていた挨拶を一気に捲し立てたが、その途中で、まるで鉄太の言葉など聞いていないように、朝戸が話し始める。
『ありがとう。電話をくれたあなたにだけ、秘密の情報教えちゃうね~~』
「え!? あ、スンマへん。もしもし……もしもし……」
『実は~~私の10冊目の写真集、小悪魔将軍の発売が来月の6月10日に決定しました~~』
なんとかコミュニケーションを取ろうとする鉄太であったが、受話器から聞こえてくるのは録音されたテープを再生しているかのような一方的な告知だった。
呆然とする鉄太。
しかも、50と表示されていたはずのデジタルカウンターがいきなり20に減っていることに気が付いて叫び声をあげる。
パニックを起こした鉄太は受話器をフックに戻すと何度もガチャガチャと上下させた。
ピピーという電子音と共にテレカが吐き出される。
恐る恐るカードを取り出すと、残り度数を示す数字の10と30の間に穴が開けられていた。
次回、13-6話 「悔しさに、再び涙がこみ上げる」
つづきは11月28日、日曜日の昼12時にアップします。