5-1話 ティッシュ配りのアルバイト
道頓堀川に掛かる笑比寿橋。
グリコの巨大看板で有名な場所と言えば、大抵の人はご存知であろう橋の袂で、サングラスをした小太りの男が、ティッシュを配ろうとしていた。
鉄太である。
彼はティッシュ配りのアルバイトをすることになった。
自身の希望からではない。開斗が色々な条件から考えた結果である。
その条件とは以下の通りである。
1……借金の金利分の返済。
2……漫才の仕事。
3……鉄太のリハビリ。
まず、最低限、借金の金利分だけでも返済しないことには、金島に足をへし折られかねないのでそれだけは避けなければならない。
松葉杖の漫才師など痛々しすぎて笑えないのだ。
ただ、借金の返済に固執するあまり、バイトをやりすぎるのは良いこととは言えない。あくまで、借金は漫才師としてのギャラで返済していく。
漫才を仕事として行える場所は、テレビ、劇場、イベント、笑パブなどがある。
この内、テレビに出るのは、まだ避けるべきと開斗は言った。
〈ほーきんぐ〉には、例の事件による知名度と話題性がある。再起の線で売り込めば、出してくれる番組はいくつかあるかもしれない。
しかし鉄太がイップスを発動して「使えないヤツ」のレッテルが張られては、それこそ芸人生命が経たれるに等しい。
あせりは禁物である。
次に劇場は、どこかしらの事務所に属していないと、出演はなかなか厳しい。基本的にお笑いライブを主宰する事務所が、所属タレント以外の者をブッキングすることはない。
鉄太らは笑林興業を辞めたため、現在どこの事務所にも所属していない。
別に泣きながら土下座すれば戻れなくもないだろうが、開斗が現社長の方針が気に入らないらしく事務所問題を保留にしている。
また、自分たちで小劇場を借り切って単独ライブするという手段もあるにはあるが、きっちり運営して黒字に出来るのかという問題が立ちはだかる。
笑林寺卒業後、すぐに笑林興業所属の漫才師として劇場などで活動していた彼らは、運営に関するノウハウがゼロなのだ。
そして、イベントは、事務所の枠を超えて漫才師が集められるという特性はあるものの、主催者が必要としているのはタレントの持つ集客力だ。
人気者であることが第一条件になる。
そんなワケで彼らが漫才できる場所は、今の所、個人経営の笑パブぐらいしかない。心咲為橋にある笑パブなら、なんとかなりそうだとのこと。
ただ、この笑パブで漫才が出来るのは、夜七時から前座として、十数分のワンステージだけだ。
仕事と呼ぶにはあまりにも短い。
また、鉄太の対人恐怖症にも似たイップスをなんとかしなくてはならない。
ということで昼間のバイトは、リハビリの一環として多くの人と接し、なおかつ片腕でもできるであろう、ティッシュ配りが選ばれた。
ティッシュが入ったダンボールの運搬はヤスが行っている。
なお、開斗はビル清掃のバイトをしているので、ここにはいない。
鉄太一人である。
彼は道行く人々に、なんとかティッシュを手渡そうとしたが、まったく受け取ってもらえなかった。
笑比寿橋には両側にアーケード街がある。
向かって北に心咲為橋商店街、南に笑比寿橋商店街がそれぞれ伸びており、人通りは極めて多い。
そのため、ティッシュ配り以外にも、ビラ配りやら風船配りといったライバルたちが少なからずいる。
このようなバイトをする者たちは、鉄太と同じくお笑いだけでは食べていけない芸人が多い。
ただ、彼らは上手いこと笑わせて、通行人に物を手渡しているのだが、鉄太にはそれができない。
結局、朝九時から夕方五時までに渡せたティッシュは五つ。
バイト代は歩合制であり、一つにつき3円なので、初日の報酬は15円だった。
自販機の缶ジュースが一本100円、最低時給が約500円という時代にである。
「気にすんなや。最初なんて誰でもそんなもんや」
笑パブの楽屋で、開斗が鉄太をなぐさめる。
ちなみに、笑パブというのは、漫才やコントなどお笑いを見ながら酒が飲める大人の社交場である。開斗の知り合いの漫才師の紹介で、この笑パブの前座の仕事を得た。
心咲為橋は大咲花において、その中心地といえる場所である。
笑林興業やらの運営する劇場などが数多くあり、またその周囲には幾多の笑パブが集まっており芸人の需要は高い。大咲花が笑業都市と言われる所以である。
「カイちゃんはええよな。運動神経メッチャええし……漫才辞めても野球選手とかなれそうやし」
「なれるか。野球ナメんな」
「じゃあ、板前とかどうや? 包丁使わんと素手で魚さばけそうやし……」
「運動神経どこ行った? だいたい、手刀ツッコミはそんな便利なモンちゃうわ。包丁とかハサミとかの代わりにはならん。――そないにテッシュ配りが嫌なら、辻漫才でもやってみるか?」
辻漫才とは、今で言う路上ライブである。前に空き缶を置いておけば、投げ銭を稼ぐことができる。どこの事務所にも属していない彼らが、昼間に漫才で稼ぐ手段はそれぐらいである。
彼らも笑林寺時代から卒業後しばらくは、それで小遣い稼ぎをしていた。
しかし、リハビリ中の彼らが、どれほどの収入を得られるのかは全くの未知数である。
「いや、カイちゃんまで、バイトやめたら借金の利子払われへんかもしれんやん。足へし折られるのは勘弁や」
幸いなことに開斗が借金を一本化してくれたおかげで、開斗のバイト代さえあれば、利息の払いは滞ることがないのだ。
「分かった分かった。もう出番や。行くで」
開斗に促されて鉄太はサングラスをかける。
プラスチック製の安物だ。さらに、レンズ部分の裏から黒マジックで塗り潰しており、掛ければほぼ目隠し状態になる。
しかし、鉄太は笑気を感じることが出来るので、開斗の笑気を追って舞台に上がることは、さほど難しいことではなかった。
そして、ほとんど前が見えない状態で、体に覚えこませた漫才を、ただただ機械的に行い、ギャラとして300円受け取った。
片や、7時間、汗だくで15円。
片や、20分、適当にやって300円。
鉄太の心にモヤモヤしたものが湧いた。
つづきは明日の7時に投稿します。
2020/11/17現在で約200PVを達成しました。
掲載を初めて見たものの読者を増やす方法が分からず、自分の小説など読みたいと思う人など一人もいないんじゃないかと不安でした。
ワラにもすがる思い出ツイッター広告を使ってみましたら、来訪して下さる方が少なからずいて、感謝感激です。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。