13-3話 突然尻をまさぐられ
〈ウフフ座〉で特にトラブルもなく仕事を終え、二人が次に向かったのは、〈下楽下楽〉である。
本日最後の仕事先だ。
正直な所、笑パブとして最低ランクの〈下楽下楽〉は、最早彼らが出演するような店ではない。
しかし、最も苦しい時に使ってくれた恩義から、今も小遣い程度のギャラで出演しているのだ。
ところが、オーナーの下楽からは、早く卒業しろとも言われていた。
店にとっては、腕の確かな漫才師がいた方が良いに決まっているが、彼女は儲けるために店をやっているのではないと言う。どうしようもない芸人を救済するためにやっているらしい。
鉄太と開斗は楽屋に到着した。
もちろん〈下楽下楽〉には個室などないので、ピークタイムを任される芸人でも大部屋である。
楽屋には5人の男がいた。
縦縞スーツのオッサン二人、触覚を付けたオッサン、猫耳を付けたオッサン、あと星条旗の頰っ被りをした若い男である。
それぞれ、スーツ二人は、コンビ名〈ポンビキズ〉のポン松島とポン飛田。
触覚と猫耳はコンビ名〈アリババ〉の有金ガメルと猫馬場パクル。
そして頰っ被りの若者はピン芸人の〈マウス小僧〉だ。
月田とヤスのコンビはいない。
前座が終わって帰ったのではなく、本日のシフトに入っていないのだ。
〈満開ボーイズ〉が卒業すれば、彼らにも、もう少し出番が回ってくるかもしれない。そのようなことを考えながら、鉄太は『おはようございます』と挨拶をして開斗と共に楽屋に上がった。
すると早速、〈アリババ〉の二人、有金ガメルと猫馬場パクルが絡んできた。
彼らは、鉄太らと比べて一回り以上年上の中年コンビである。
「おうおう、テレビ見たで。ド変態さん」
「そんなに痛いのがエエなら、なんぼでも協力するにゃー」
「兄さん勘弁して下さいよ」
猫耳のオッサンが、低い声で語尾に「にゃー」を付けて絡んでくるのは相当キツイ。
鉄太は愛想笑いしながら、小突いてくる猫馬場パクルの猫パンチを避ける。
しかし、何かと先輩風を吹かせて来るクセに一切奢ることのない彼らのことを鉄太は嫌っていた。
「それはそうと立岩。お前、イズルちゃんのTELゲットしたんやてな。ちょっとだけ見せてくれんか?」
有金ガメルが笑顔でにじり寄って来た。
「あ、あれはテレビのヤラセですわ。ホンマはもろてません」
咄嗟に嘘をついた鉄太は、尻ポケットの財布を右手で押さえながら、開斗の後ろに隠れるように移動する。
「今の話、詳しく聞かせてくれ」
「うわっ!?」
振り返ると、服の上に赤色の縄で亀甲縛りをしたオッサンがいた。
なんと、いつの間にか〈マゾ西錠〉が舞台から戻ってきており、鉄太の後ろから声をかけて来たのだ。
「マゾ師匠、聞いて下さいにゃー。コイツ、テレビでSMゴッコして、朝戸イズルちゃんの電話番号もろたんですにゃー」
「なんやて!! イズルちゃんとSMゴッコしたやと!!」
「なんか間違ってる!」
「立岩! ワシとマゾ勝負せい!」
「マゾ勝負って何やねん!」
鉄太が叫んだところに大喝が飛んできた。
「お前ら! ええ加減にせい!」
そのハスキーボイスに全員が凍り付く。
声の主は振り返らずとも分かる。オーナーの下楽笑子だ。
「店の中まで丸聞こえや。全く、そんなんだからいつまで経ってもお前らはアカンのや」
〈アリババ〉と〈マゾ西錠〉の三人は叱られて声もなく項垂れる。ここでは誰も彼女には頭が上がらないのだ。
鉄太が窮地を救われてホッとしていると、キビシイ声を浴びせられた。
「〈満開〉の二人。ちゃっちゃと支度せんかい。もうすぐ出番やろ」
鉄太と開斗はオーナーの説教が終わると、すぐに小汚いカーテンをくぐってステージに立った。
店内は微妙な空気になっていたが、その程度、彼らの腕であれば問題なく処理できることである。
ステージが始まってすぐ店内に爆笑が巻き起こった。
事件が起きたのは、ステージを終えて鉄太がトイレに行った時であった。
〈下楽下楽〉のトイレは小便器が一つ、大便用の個室が一つである。
基本、男性しかいないので、入り口のドアは取っ手でありカギがかからないタイプである。
鉄太が小用を足していると誰かが入って来て、突然尻をまさぐられたのだ。
「何や!?」
驚いて、首だけ振り返ると、ポリ袋を被った不審者がいた。
そのポリ袋には二つの穴が空いており、その穴を通して不審者と目が合った。
一瞬、特殊な変態かと思ったが、そうでないことにすぐ気づいた。
その男は、鉄太の尻ポケットの財布を奪おうとしているのだ。
もし、鉄太の財布が長財布だったら簡単に盗られていただろうが、彼の財布は二つ折りであり、しかも肥満の尻肉がポケットを圧迫しているので、簡単には取り出すことはできない。
「何すんねん!」
鉄太は叫びながら身をよじった。
すると、小便が弧を描き、鞭のように不審者のズボンに叩きつけられた。
「汚いにゃー!」
ポリ袋の不審者はそう叫ぶとドアを開けて逃走した。
取り敢えず、鉄太は身を整えてから外にでる。
「どないしたんや?」
トイレから出るとドアの脇で待っていた開斗から事情を聴かれる。
鉄太は、先ほどの出来事を手短に話した。
鉄太は開斗を連れて歩き出す。
別に慌てる必要はない。
どうせ犯人は笑パブ内にいるのだ。
次回、13-4話 「盗られた物とは何ですか?」
つづきは11月21日、日曜日の昼12時にアップします。