11-2話 漫才は、オモロイ仕事言うたけど
客のヤジを受けてゴールデンパンチの漫才はテンポが悪くなった。増々調子にのってヤジを飛ばすサラリーマンたち。
言い返せない相手に対して一方的に罵るその姿は見ていて胸糞悪い。
しかし、鉄太は動かない。開斗もオーナーも動く素振りを見せない。
このような最下級の笑パブに来る客に品性を求める方が間違いであるし、ヤジというのはある意味通過儀礼である。
ただ、鉄太は心配であった。
昔、月田は笑パブで、ヤジった客と乱闘騒ぎを起こしているのだ。
そして今、ヤジられている月田は、とても漫才をしているとは思ないほど険しい表情をしている。
(最後までガマンするんやで)
鉄太は祈るような気持ちで見守る。だが、その祈りは天に通じることはなかった。
「己ら大概にせえ!」
怒声が店内に響く。
(アチャー……)
凍り付く舞台を見て、鉄太は顔を覆いそうになったが、思わず二度見した。
怒鳴ったのは月田ではなくヤスであったのだ。
激変した彼の言葉遣いに、金島でも憑依させたのかとビビっていたら、ヤスは舞台から降りてヤジっていた客の前に行くと説教を始めた。
「さっきから喧しいんじゃ。ダマって聞いとれ!」
その剣幕にサラリーマンたちは一瞬怯んだが、もとよりストレス発散に来ているような連中である。席から立ち上がり、「何やとぉ? コッチは客やぞ!」とメンチを切り一触即発の事態になった。
他の客は「やったらんかい」と無責任に煽り出す。
鉄太は青ざめた。
乱闘になるのであれば、流石に止めなければならない。開斗の目が見えない以上、その役割こなせるのは自分しかいない。
数発殴られる覚悟で鉄太は立ち上がった。
ところが、そこで意外なことが起こった。
なんと月田が、ヤスと客の間に割って入り、「すんまへん」と頭を下げると、ヤスの手を引っ張って、カーテンの奥へと連れて行ったのだ。
あっけに取られたサラリーマンたちだったが、かといって追いかけて白黒つけようとまでは思わなかったらしい。
彼らは席に戻るとせせら笑いながら酒を飲みだした。
ホッとする鉄太の肩を開斗が叩く。振り返ると彼は、短く「行くで」と言った。
「何じゃ裏に連れ出て? やるつもりか?」
「ちゃうわアホ。さっきから声がデカいねん。客席に聞えるやろが」
裏口の方から、月田とヤスの言い争う声が聞こえてきた。
楽屋見舞いに、行こうとした鉄太と開斗であったが、どうやら月田はヤスを裏口から外に連れ出したようだ。
彼らのタメ語の口調に、鉄太はちょっと新鮮な印象を持った。
というのも、普段彼らと会話すると、月田は語尾に「~っす」、ヤスは「~でやす」という感じの敬語調なのだ。
「おい、テッたん。どないしたんや」
足を止めた鉄太に開斗が問いかけた。
「しっ」
鉄太は開斗の耳元で短く答えた。そしてドアの向こうへと耳を澄ました。
「月田。あんなにバカにされたのに頭下げるとか腰抜けか? 己それでも男か? 悔しくねーのか!」
「悔しいわ!」
「だったら……」
「悔しい言うたんは、バカにされたからやない。漫才で客を笑わせられんかったからや」
「客ぅ? あんなのクレーマーじゃ。客じゃねー」
「いいや客や。むしろええ方の客や」
「はぁ?」
「ええか。文句を言うてくれるってことは少なくとも、オレらの漫才聞いてくれとんのや。シカトされることに比べたら遥かにマシなんや」
パチパチパチパチパチ。
鉄太の隣で拍手が鳴った。開斗が月田の言葉を聞いて拍手をしたのだ。
その音でこちらの存在に気付いたのだろう。外の話し合いはピタリと止まってしまった。
鉄太としては、後輩たちが自力で解決できるのであれば、口を挟まない方が良いと思っているのだが、開斗はそれと違う考えのようだった。
ため息を吐きつつ裏口のドアを開ける鉄太。
「あっ、先輩!! お疲れさまっす!」
鉄太と開斗を見た月田は姿勢を正して挨拶をした。ヤスも驚きつつ会釈をした。
「成長したな月田」
「これは、お恥ずかしいトコを……」
開斗に褒められて恐縮する月田。しかし、ヤスは不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「コラ、ヤス! 先輩やぞ。ちゃんと挨拶せんかい!」
「うるせえ! あっしはもう辞める! 先輩とか関係ねぇ! 何が一番オモロイ仕事じゃ! こんなの酔っ払い相手のサンドバッグじゃろ!!」
ヤスは月田に不満を叩きつけ、右足で思いっきりアスファルトを数回踏みしめた。
「ははははは」
「何がおかしいんでやす!」
ヤスは、笑い声をあげた開斗に食ってかかった。
「いやスマンスマン。少し昔のコト思い出してな」
開斗は一拍置いてからヤスに語り掛けた。
「お前の相方の月田はな、昔、笑パブの客にバカにされて、暴力事件起こしたんやで」
「ちょ、ちょっと! 霧崎先輩、勘弁して下さい!」
突然黒歴史を暴露された月田は、悲鳴を上げるように抗議した。
一方、ヤスは、多少落ち着きを取り戻したようである。
「だから何でやす? あっしにも人にヘコヘコ頭を下げる人間になれってんでやすか?」
「ん? オマエは金島のオッサンにも頭を下げへんのか?」
「そ、それとこれとは話が違うでやす」
「一緒や。失敗したら謝る。これのドコが恥ずかしいんや。それよりも未熟な芸を見せる方がよっぽど恥ずかしいと思わんか?」
「……あっしは別に漫才師になりたいわけじゃねぇでやす。人にバカにされてまでやりたくねぇって話でやす」
面白くないと罵倒されて辞めたくなる。これは大抵の漫才師が通る道である。
幼いころから漫才師になることを志してきた者でさえそうなのだ。無理矢理やらされることになったヤスの心が折れるのも当然といえた。
「さよか。じゃあ辞めればええやろ」
「ちょっ、カイちゃん!」
「霧崎先輩!」
突き放す発言をした開斗に、鉄太と月田は慌てた。しかし、開斗は両手を広げて彼らを抑えて言葉を続ける。
「だがな、ヤス。オマエ事務所辞める覚悟あんのか?」
「辞めるのは漫才でやす。どうして、あっしが事務所辞める話になるんでやす?」
「オマエ誰に言われて漫才やっとんのや? 金島のオッサンやろ? 命令聞かんようなヤツはクビにされるんとちゃうか?」
(果たしてそうだろうか?)と鉄太は思った。
以前、金島はヤスが漫才に向いてなかったら他のことをさせればいいというような話を聞いたことを思い出した。
その話を金島に振ったのは開斗であるので、当然開斗は知っているはずだ。
知っていてそのような脅しをかけるのだから人が悪い。
ただ、ヤスはその話の場に居合わせていなかったので、金島の胸の内は知らないのだろう。彼の顔は一気に青ざめた。
開斗はさらに追い打ちをかける。
「事務所辞めて、別んトコで働いたとして、また嫌なコトあったらすぐ辞めるんか? さっき月田のこと腰抜け言うとったが、すぐ逃げるヤツは腰抜け言わんのか?」
ヤスは言い返すことも出来ず両手を握りしめて俯いている。
すると月田はヤスの正面に立ち、両手で肩を掴んだ。
「漫才はな、オモロイ仕事言うたけど楽な仕事ちゃうねん。オマエがどうしても漫才やりたない言うなら辞めてもええ。でもそれは一度客を笑わせてからにしてくれ」
ヤスはしばらくのしてから「分かった」と小さい声で答えた。
次回、第十二章 生放送
「12-1話 街の奇人のコーナーで」
つづきは10月31日、日曜日の昼12時にアップします。