9-6話 と言うか、むしろ嫌いになってくれ
「すんまへん。楽屋挨拶に行きたいんですけど……」
鉄太が用件を伝えると、警備の女性はあからさまに警戒して目の前の男二人を観察し始めた。
「……別にどうしてもってワケやないんで、無理なら無理って言うて下さい」
相手が拒否しやすいように付け足す鉄太。しかし、開斗が横から口を出す。
「〈丑三つ時シスターズ〉に挨拶したいんや。霧崎と立岩と伝えれば分かるはずや」
警備の女性は開斗の言葉に、「ちょっと待っとれ」と言い、鉄太らから目を離さないようにして、トランシーバーを使って連絡を取り始めた。
「何や知らんけど、変な男が二人、丑三つさんに合わせろって来てますけど、どないします?」
どうやら警備の女性は、鉄太らを不審者と決めつけているようだ。
鉄太は心の中で、どうか追い返されますようにと祈る。
しかし、自分たちを睨みつけて大声て通話していた女性が、どんどん声のトーンを落としながら背を向けていくのを見て、残念ながら願いが聞き届けられなかったことを察した。
通話を終えた女性が振り返った時、満面の笑みを浮かべていた。そして、「ここを真っすぐ進んで、突き当りを左に曲がって下さい」と道案内までしてくれた。
鉄太は開斗を連れて廊下を進む。途中、黒いローブ羽織ったデブとヤセの二人とすれ違う。〈サバト〉の二人だ。
彼女らは鉄太たちを見ると、ギョっとしたように固まっていた。
鉄太は、もしかして自分たちの正体が気づかれたのかと思った。4年前の〈大漫才ロワイヤル〉で〈サバト〉には迷惑をかけていたのだ。
しかし、彼女たちは何も言ってこなかった。
よくよく考えてみれば、〈サバト〉とは4年前に一度会っただけなのだ。
むしろ、ただの不審者と思われているのかもしれない。
なにしろ開斗はサングラスをしているし、鉄太の左肩は義腕とショルダーパッドでパツパツなのに加え、鉄太は目の見えない開斗を誘導するために腕を掴んでいるのだ。知らない人からすればかなり怪しい二人組であろう。
鉄太は〈丑三つ時シスターズ〉の楽屋までたどり着くと「ここにドアがあるで」と手を取って開斗に教える。楽屋挨拶に行こうといったのは開斗なので、開斗が挨拶するのが筋というものだ。
開斗は何か言いたげな様子だったが、そのままドアをノックした。すると中から「はい、どうぞ」と、五寸釘の声がした。
「失礼するで」
そう言いながら開斗がドアを開けて中に入ると、鉄太もその後に続く。視界の端には|〈サバト〉の二人が、まだこちらをジッと見ているのが映っていた。
相当警戒されているようだ。
楽屋は、白い壁面で清潔感のある中部屋だった。テーブル前のソファーには五寸釘と藁部が腰かけていたが、二人はまだ白装束のままである。五寸釘は開斗を見ると駆け寄って来た。
「霧崎兄さん。ありがとうございます。さ、どうぞコッチ来て座って下さい。畳敷きやないんで、そのままで大丈夫です」
五寸釘は口元を隠しながら開斗の手を引いてテーブル前の奥側のソファーに座らせた。お歯黒のことを気にしているようだが、開斗は目が見えないのだから気にする必要ないのにと鉄太は思った。
「ちょっと待って下さい。お茶持ってきますんで」
そう言うと五寸釘は、鉄太の脇をすり抜け楽屋の外に出て行った。
開斗の正面、テーブル手前のソファーには、藁部が藁人形の縫いぐるみを抱えて座っている。
鉄太は開斗の隣に座ろうとすると、藁部が自分の隣をバンバン叩く。
「そこはゴッスンの席や。オマエはコッチ」
一瞬足を止めた鉄太だが、彼女の言葉に従うのも癪なので、開斗の隣に座ろうとした。
すると藁部は身を乗り出して、開斗の隣のシートにペッペとツバを吐き掛けた。
「うわっ!! 汚っ!! ……信じられんことするな」
「オマエがそっちに座ろうとするからやろ!」
藁部の隣に座るのは嫌だが、藁部のツバの上に座るのはもっと嫌なので、鉄太は仕方なしに彼女の隣に座った。
そこへ五寸釘が、お茶の缶を4本持って帰って来た。
「お待たせしました」
彼女は「どうぞ」と言いながら缶を各人の前に置くと、藁部がツバを吐いた上に座ってしまった。
「あっ!」
驚いて叫ぶ鉄太。てっきり藁部から一言あるかと思っていたのだが、彼女は言う素振りすら見せなかったのだ。
「え!? 何、何? 何なの?」
「いや、そこにコイツがツバ吐いてたんやけど……」
「このみん、どういうコト?」
状況が把握できない五寸釘は藁部に尋ねる。すると藁部は全く悪びれることなく言う。
「そいつが、ゴッスンの席に座ろうとしたから、ツバ吐いて守っただけや」
「そうなん? ありがとうな、このみん」
「うえぇぇぇぇ!? ええの!?」
あっさりした五寸釘の反応に驚く鉄太。もしかしたら二人がケンカするかもしれないと、言ってしまったことに若干気が引けていたのだ。
「ええわ。どーせこの後すぐ洗濯出すし」
「なかなか男前やな」
「嫌やわ霧崎兄さん、乙女捕まえて男前やなんて。さっ、お茶飲んで下さい」
開斗の言葉に恥じらう五寸釘。彼女は缶のプルトップを開けてから開斗の手に持たせる。そして、いつ零してもいいように、ハンカチを取り出して見守り始めた。
鉄太も片手で缶をプルトップを開けてお茶を飲む。
隣の藁部がこちらを見ずに鉄太のスーツの裾を引いて来た。
「何や?」
「……ウチらの漫才どやった?」
彼女は藁人形のぬいぐるみをギュッと抱きしめている。
漫才の出来を聞いてくるということは、ネタはこの女が作っているのだろう。
正直に言うべきかどうか迷う鉄太。
このような質問の場合、「オモロかった」以外の答えは相手の不興を買うものである。
だが、「オモロかった」などと言ったらどうなるだろう? あのネタをそこらじゅうでやられてはたまらない。
どう返せば正解なのか。
悩んでるうちにふと思った。別にコイツの不興を買って困ることがあるのかと。
と言うか、むしろ嫌いになってくれるのなら、ラッキーかもしれない。
鉄太は意を決して告げる。
「オモロなかったで」
次回、9-7話 「〈ほーきんぐ〉とは何者ぞ」
つづきは10月3日、日曜日の昼12時にアップします。