9-5話 逞しい、女性が鉄太を睨みつけ
恐怖の時間が終わり、続いて哀のパートが始まる。お涙芸人による満災である。
お怒り芸人と違ってお涙芸人の歴史はとても古く、紀元前の中国にまでさかのぼることができる。
葬儀の時に遺族の代わりに泣く、泣き女というのがそれである。彼女たちは独特な節回しをつけて泣く芸をして生計を立てていたのだが、やがて時代と共に廃れていった。
それを笑天下過激団が現代的な味付けをして復活させたのだ。
幕が開くと、壇は撤去されており、舞台袖から一人の女性が登場した。
〈クライクラウン〉というお涙芸人である。波田ぽろぽろと小越うっうーは自己紹介を済ませると、涙がペットが死んでしまったことを小越に報告する。
そして、そのペットと子供の頃から一緒だったこと、楽しかった思い出を語る。
すると小越は泣き始め、それにつられて劇場内から鼻水をすする音が聞こえ出した。
さらに、死んでいったときの様子を事細かに語りだすと、ついにはそこかしこで泣きだす人が続出した。開斗の右隣りのオバチャンはと言えば、ハンカチを取り出して大号泣する始末であった。
最後の楽のパートは、お気楽芸人の萬歳である。
萬歳というのは、もともとは新年を祝うめでたい言葉を歌に乗せたものだ。
現代ではコミックバンドという形で受け継がれるも、1960年代をピークにその後衰退。今では演芸場などでしかお目に掛かれない。
笑天下過激団の公演においては、感情のジェットコースターで疲れた観客にリラックスしてもらうため、最後にコミックバンドによる萬歳が行われる。
舞台上には〈まったりカルテット〉という4名からなる女性バンドが掛け合いを行いながら演奏している。
ただしその掛け合いは、無理に笑わせようとするものではなく、雑談に近いようなもので、子供がテストで100点を取っただの、近所のたこ焼き屋が美味いだの、どこそこのスーパーが安いだの、どうでもいいような内容であった。
楽のパートが終わりを迎えると、観客らはバンドの伴奏のもと手拍子を始めた。
すると、これまでの演者が次々と舞台に登場し、順々にお客に対してお礼を述べる。そして全員のお礼が終わると、歌と踊りが始まった。
「しょ~~てんしたげーーきじょーおー、またあうひーーまでーーーー。しょ~~てんしたげーーきじょーおー、またあうひーーまでーーーー」
歌と言っても、歌詞は「笑天下劇場また逢う日まで」の一つ、メロディーは2フレーズを繰り返すだけのもので、踊りも両腕と腰を右と左にスイングさせるだけのいたってシンプルなものだ。
もちろん藁部や五寸釘も歌いながら踊っている。ただ、藁部の顔は、漫才の時と違って表情は硬く、赤くなっている。
知り合いに、気味の悪いコスプレで漫才を見せることは平気でも、歌と踊りを見せるには照れがあるように思われた。
そして、観客も共に合唱し、歌が5回ほど繰り返されたあたりで幕が下り始める。幕が下りるにしたがって、観客の手拍子は徐々に拍手に替わっていき、押しの芸人の名前が叫ばれる。
開斗の右隣りのオバチャンも五寸釘と藁部の名前を手を振りながら叫んでた。
幕が完全に下りると、劇場内の照明が明るくなった。拍手もまばらになり、スピーカーから、観客に退席と忘れ物の確認の場内アナウンスが流れる。
「どやった? オモロかったやろ? ここの舞台はストレス発散に丁度ええねん」
「ええ、めっちゃオモロかったです」
開斗は、帰り支度をしながら問いかけてくるオバチャンにそう答えた。
鉄太も「せやな」と同意するが完全な社交辞令だ。正直な感想は「疲れた」である。面白いとか詰らないの次元ではなく疲労感が半端ないのだ。新興宗教とか悪徳商法に近いような気がする。
鉄太と開斗はホールから出ると、オバチャンにお礼を言って別れた。鉄太としてはこのままアパートに帰って寝たい気分なのだが、夜からは笑パブの仕事があるのでそんなことは言ってられない。
「じゃあ、心咲為橋行こか?」
「いや、楽屋挨拶行かなアカンやろ。タダ券貰てるんやで」
「いや、そうかもしれんけど……」
「テッたん。ワイら祝いの花も送ってへんやろ。せめて楽屋挨拶行くのが礼儀とちゃうか?」
「…………分かったわ。でも、関係者やないし追い返されるかもしれへんで」
鉄太は嫌々ながら楽屋を目指す。劇場の造りは大抵同じなので、どちらに行けばいいか見当はつくのだが、人の流れに逆らって、目の見えない開斗を連れて進むのには苦労した。
やっとの思いで楽屋へ続く通路に辿り着くと、そこには、関係者以外立ち入り禁止の看板が立っており、となりには警備役の逞しい女性が鉄太を睨みつけて来た。
「すんまへん。楽屋挨拶に行きたいんですけど……」
次回、9-6話 「と言うか、むしろ嫌いになってくれ」
つづきは10月2日、土曜日の昼12時にアップします。
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