独りの要塞 【月夜譚No.86】
ここでの待機を命じられて、どのくらいが経っただろうか。ほんの数日だけのような、もう何年も過ごしているような、曖昧な時間の感覚の中にいる。
深い森の奥に位置する洞窟。上官から命令を受けた男は、そこでの生活を余儀なくされていた。
男の属する国は、海を越えた大国との戦いの最中だ。大国に渡った男はある隊の一員として行軍していたが、敵国の急襲に遭い、その圧倒的な戦力差に敗走するしかなかった。防戦一方になる戦いの中でも、必死に走り逃げる最中も、仲間は次々と倒れていった。
森に逃げ込んだ隊の上官は、一人また一人と要所に兵を待機させながら前に進んだ。いつ自分の番が回ってくるだろうと冷や冷やしていたが、いざ命令が下った際には意外なほど冷静に拝命していた。
要は、待機という名の体の良い捨て駒だ。そんなことは最初から判っていたし、自分の力ではこのくらいでしか役に立たない。だからこれで良いと思うが、一つだけ心残りがある。
国に残してきた、妻と息子。自分のせいで不幸にさせてしまったあの二人には、殆ど何もしてやれなかった。せめてこれからは、幸せになって欲しいと願う。
茂る木々の向こうから、耳障りな音が近づいてくるのが判った。男は傍らに置いておいた銃を手に立ち上がる。瞑った瞼の裏に浮かぶのは、家族の明るい笑顔。大丈夫だ。彼等の為だと思えば、何だってできる。
一度深呼吸をした男は、つと木々の間を睨めつけた。