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閑話4 兄の後悔と新たな風

「いつまでそうしているつもりだ」


  背後からかけられた声に僕は体を強ばらせた。その声の主が誰であるか分かっているのに、僕はある一点から目を逸らさない。


「早く治癒魔法を受けなさい」

「い、嫌です」


  生まれて初めての反抗だった。


「僕より先に、アイリスを治してください」


  生まれて初めてずっと目指していた、今も目指している人に口答えをする。


「今はアイリスを治せる医療魔導師がいない。しかし、王宮の魔導師がこちらに出向いてくれる。お前は先に治癒魔法を受けなさい」


  父の指示によって、おそらく魔導師が僕に近づいてくる。


「失礼致します」


  そう言って魔導師は僕の火傷した腕に手を翳そうとする。


「やめろ!!!」


  僕は声を荒らげてその手を止めた。魔導師の手は引っ込んでいった。


「セドリック」


  父がさっきより低くなった声で僕の名を呼ぶ。怖かったがそれでも僕は目を逸らさなかった。強く握りこんだ手のひらが痛む。手のひらの火傷が特に酷かったことを思い出したが、こんなのアイリスの傷に比べればかすり傷だ。


「治さなくていい。この傷を僕は背負うべきなのです…!!」


  断固として首を縦に振らない僕に、父は遂に折れたのか背後から溜め息が聞こえた。


「分かった。だが、せめて治療は受けなさい」


  僕は小さく頷いた。それが、お互いに妥協出来る答えだった。


  目線の先には、幼い少女が横たわっている。

  病院の白いベッドの上では、散らばる赤髪がよく映えていた。普段、まるで年上のように思えるアイリスは、あどけない顔で眠っている。こうしてみると、アイリスは僕よりずっと小さな子供で、妹なのだと改めて実感する。しかし、布団に隠れたアイリスの体は今、包帯だらけになっているのだ。


  こんな小さな妹に、僕は守られた。

  そして、傷つけた。




  治療を受けた僕は、母と共に帰宅した。


  馬車の中で、苦手な母と二人きりなんて普段は嫌なのに今日はそれどころではなかった。


  窓の外を眺める母の目は景色なんて映していなくて、心做しか顔色が悪い。眉間に皺を寄せる母を見て、きっと僕も同じ顔をしていると思った。


  お母様は僕達のことが嫌いなのかと思っていたが、案外そうでは無いのかもしれない。


  そんなことを思いつつも、やはりそれどころではなくて、お互い思い詰めた表情のまま屋敷に着いた。


  出迎えてくれた侍従達に、今回のことを謝って、僕は自室に戻った。


  ベッドに飛び込み、顔を埋める。一人になった途端、涙が溢れてきた。


「……うぅ」


  布団を握り締めた手が痛くて、余計に涙が止まらなかった。

 

  どれくらいそうしていたか。時間の感覚など無かったそこに、扉を叩く音が響いた。


「旦那様とお嬢様がお戻りになられました」


  勢いよくベッドから顔を上げる。そのまま僕は部屋を飛び出した。


  早くこの目で元気になった姿を見たかった。そして、謝りたかった。言うことを聞かずに、巻き込んでしまった妹に。


  まだ止まらない涙で滲む視界が鬱陶しくて、服の袖で乱暴に目元を拭いながら走った。


  ロビーを出てすぐの通路で、母がアイリスを抱きしめているのが見えた。直ぐに離れてしまったようだが、アイリスはいつも通り動いている。


「アイリス!!」


  力いっぱいにその名を呼んだ。こちらを向いたアイリスは何故か迷子のような顔をしていた気がしたが、僕は気にせずにアイリスに駆け寄って謝った。


「ごめんっ!!!ごめんアイリス!!!僕のせいで…」

「お兄様、顔を上げてください。この通り、わたくしは大丈夫ですわ」


 頭上からアイリスの声が降ってくる。大丈夫というアイリスの、火傷や傷だらけの体を思い出す。すると、また涙が溢れてきた。


「…アイリス、ごめん、ごめん本当に…ごめん」


  何度も謝る。


「お兄様」


  降ってきた声は有無を言わせないような声音で、僕は顔を上げた。アイリスが無表情にこちらを見つめている。


「そう思うならば、もうあのような無茶はしないと約束して下さいませ」


  アイリスの言葉に、自分が情けなくなった。


  そうだ。もうお前の傷ついた姿は見たくない。傷つけたくない…!!


「約束だ…!!僕はもう絶対にアイリスを傷つけない!!!」


  その意思表明でもするように、僕はアイリスを強く見つめた。しかし、アイリスはまるで幽霊でも見たような表情で動かなくなった。顔を青ざめさせ、徐々にその呼吸も荒くなっていく。


「大丈夫か?」


  あまりの顔色の悪さに、やはりまだ完治していないのかと手を伸ばす。


「いやッ!!」

「……!!」


  大きな拒絶の声に、思わず手を引っ込める。


  アイリスの様子は異常だった。まるで何かに怯えるような…いや違う。何かじゃなくて、僕達に怯えている。


  魔物に囲まれているかのような怯え具合だった。


「わん!!!」


  アイリスの傍にいた犬が吠える。犬を見つめたアイリスがこちらに顔を上げた時には、その顔は笑みを浮かべていた。


「大丈夫ですわ」


  アイリスはこんな風に笑うのか。


  今まで見てきた笑顔とはまるで違う。自然で美しい笑顔だった。




 ──────



  あれから数日、僕はアイリスに会う以前のような無機質な日々を送っていた。あれほどこだわっていた父への想いも、今ではそっちのけになっていた。


  勉強にもまるで精が出なくて、僕は机の上の進んでいない授業課題を見下ろして溜め息をついた。


  “秘密の特訓”も父により禁止された。あの日から、アイリスには会っていない。


  もう会う理由が無い。


  僕は机に肘を立て、組んだ手の上に額を置いて、また盛大に溜め息をついた。


「失礼致します」


  不意に伸びてきた手が、机の上にソーサーに乗ったティーカップを置いた。その中には紅茶が入っていて、湯気に乗って良い香りが鼻腔を満たした。


  顔を上げれば、専属侍女がこちらを見下ろしている。


「坊っちゃまのお好きなダージリンでございます」


  相変わらずの無機質さだが、その行動からは気遣いが窺えた。


「ありがとう」


  礼を言って、紅茶を一口含んだ。ダージリン特有の渋みが口に広がり、茶葉の香りが体の力を抜かせてくれる。


  …………。


「……まだ何かあるのか?」


  侍女が僕の横から移動せず、こちらを見下ろしている。僕は戸惑いがちに問いかけた。すると、侍女は少しの逡巡の後、口を開いた。


「一介の侍女が恐れ多くもこのようなことを申し上げるのは不敬かと存じ上げますが…」


  そう言い始めた侍女の顔には緊張の色が滲んでいた。侍女の珍しい態度に、好奇心を掻き立てられた僕は「構わない」と言って先を促した。


「……家族に会うことに、理由は必要無いかと思います」


  思いもしなかった言葉に、僕は目を丸くした。いつもは能面のような侍女の額には汗が滲んでいる。


「そう、なのか…?」

「はい。世間では、家族とはそういうもので御座います」


  侍女の言葉が耳の奥で反芻される。


  会う理由が無くても、会っていい…。


  心のもやが晴れていく。


「そうか、そういうものなのか…!!」


  自然と笑みが浮かぶ。僕は勢い良く椅子から立ち上がり扉へと向かった。すかさず後を着いてくる侍女を振り返る。


「ありがとう!!アイリスの所に行くから、お前はついてこなくていいぞ!!」


  気分が良くて上機嫌に言い放った僕に、侍女はいつものように「かしこまりました」と恭しく頭を下げたのだった。

閲覧有難うございます。

思ったより長引いてしまったセドリック視点が漸く終わりました!シリアスが続いたので次回からは、ほのぼの展開を入れていきたい…。

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