閑話2 兄は教わる
僕は今、森の中にいた。
キョロキョロと辺りを見回す。何の変哲もないただの木立だが、森の奥には魔物がいるのだと思うと居心地は最悪だ。
何故僕がこんなところにいるのかと言えば、アイリスに魔法を教わることになったからだ。
庭は魔法を使うには適してないから、ここでするのだとアイリスは言っていた。確かにここは開けていて庭よりは適しているだろう。
しかし、わざわざこんな森の中でやらなくてもと、額に嫌な汗が滲んだ。
「お兄様。魔法をお教えする前に約束して頂きたい事がありますわ」
不安を頭の隅に追いやりアイリスを見遣る。
「お兄様には、此処での事を全て秘密にして頂きたいのですわ」
わざわざ秘密に…?
僕は疑問に思いながらも頷いた。
「それぐらい別に構わないが、何故わざわざ?」
アイリスは少し間を置くと、笑みを浮かべて言った。
「お兄様と二人だけの秘密にしたいのですわ!」
…はぁ?
どんな理由があるのかと思えば、中身の無い回答が帰ってきて、拍子抜けした。
何故意味もなく僕と秘密をつくる必要があるんだ?
目の前でストレッチを始めるアイリスを眺めながら、僕は内心で盛大に首を傾げた。しかし、いつまでも突っ立っている訳にもいかず、アイリスにならってストレッチを終わらせ、“秘密の特訓”が始まった。
ボフンッ。
出てくるべき火の玉の代わりに、自身の手のひらから出てきたのは黒い煙。
「…お兄様。もう一度やって頂いても…?」
「………分かった」
悔しい。何故僕には出来ないんだ。
逸る気持ちに任せて、力一杯に魔法を行使する。そのあまり、口からは力む声が漏れた。
ボフンッ。
結果は同じだった。
いや、むしろさっきより煙が大きい気がする。
「……下級魔法の中でも簡単な『火球』を不発させるなんて…お兄様、ある意味天才ですわ」
「…なっ!う、うるさいぞ!!」
アイリスの言葉がグサリと胸に突き刺さる。あまりに情けなく、悔しく、恥ずかしく顔に熱が集まっていくのを感じた。握った手のひらに力が篭もる。
今まで、僕にはやれば出来ないことなんてなかった。出来ないことも少しの努力で出来るようになった。
“優秀”、“秀才”と呼ばれてきたことに少なからず誇りを持っていた。
しかしここ数日の間で、僕の“誇り”は音を立てて崩れている。
魔法に秀でたプライレス家に生まれながら、僕は魔法が出来ないのか…?
目を丸くしてこちらを見る妹の視線が、より僕を惨めな気持ちにさせた。
「そう言えば、お兄様は六歳ですからもう“魔力測定”に行かれたのですよね。結果はどうだったのですか?」
アイリスが話題を変える。
「ん?“A”だ」
気持ちを切り替えたふりをして、問いに答える。
魔法の使えないランクAなんて、滑稽なだけだ。
じわじわと黒い感情が胸の中でシミを作っていく。
「不発の原因が分かりましたわ」
「…!!本当か!」
心臓が一際大きく脈打った。
原因が、あったのか……?
そして直る?
先程の負の感情が一掃されたように、期待に胸が高鳴る。縋るようにアイリスを凝視した。そんな僕を気にした様子もなく、アイリスは淡々と答えた。
「ええ。簡単に言いますと、お兄様は力み過ぎているのですわ」
「……力み、過ぎ?」
それだけ…?
「はい、力み過ぎです。
お兄様は“A”ですから、多大な魔力を持っていますわ。そして、『火球』は魔力消費の少ない初歩的な魔法です。そんな初歩的な魔法の発動にお兄様は高ランクの魔力を物凄い勢いで大量に手の平に集めたのです。
強い魔力が急激に集められた事によって『火球』は不発に終わり、一箇所に集められたままの魔力がその場で爆発を起こしたのです。
そして、煙となった魔力が手の平から押し出されてきたのです」
「そんな事になっていたのか…」
凄い。アイリスの解説に思わず感心する。
「…ん?だが、何でアイリスがそんな事まで分かるんだ?」
アイリスはまだ魔法を習っていないはずなのに。
首を傾げる僕にアイリスは答える。
「この前読んだ魔法の本にその様な事が書いていましたわ」
「そうなのか…?」
僕は生返事をしながら考える。
図書室にある魔法の本は一通り読んだが……、そんなことを書いてある本など無かった。僕が見逃していたのか?
「ま、まあ、兎に角ですわ!
お兄様、今度はわたくしの指示に従って、もう一度『火球』をしてみて下さいませ」
やけに張り切ったアイリスの声に、思考の海から浮上する。
そうだ。今は魔法に集中しよう。
そう思い、「分かった」と強く頷いた。
──────
ボシュッ!!
自身の手のひらから真っ赤な炎の玉が飛び出した。大火傷してもおかしくないほどの火力なのに、熱くは無かった。
これが魔法。
初めて行使した火球はアイリスの魔法によって消火されたが、僕の目には揺らめく炎が焼き付いていた。
今もまだ、体を流れる魔力を鮮明に感じ取れる。魔法を使った余韻がゆっくりと僕に実感させる。
それもこれも――
僕は妹を見る。
母を小さくしたような少女。その真っ赤な髪が陽光に透けてルビーのように輝く。僕と同じ明るい碧色の瞳はこちらを訝しげに見ている。
僕は感極まってアイリスを力いっぱいに抱き締めた。耳元で悲鳴が聞こえた気がしたが、今の僕にはどうでもよかった。
「出来た!!出来た!!」
心底嬉しかった。僕は出来損ないじゃなかった。そして、それを教えてくれたことに感謝した。
「アイリス!お前のお陰で出来たぞっ!!」
興奮さめやらぬ僕の頭がぎこちなく撫でつけられる。
「よく出来ました。お兄様」
初めて向けられた柔らかい声音に戸惑う。
今まで感じたことの無いなんだかむず痒いような、気恥しいようなそんな感情が僕を満たした。
なんだこれ。
戸惑う。こんな感覚は初めてだ。
だけど、不思議とこの温もりをずっと感じていたいと思った。
閲覧有難うございます。




