16話 悪役令嬢は帰宅する
馬車でのチャールズとの掛け合いを少し変更致しました。
「ところで…、カーディナルその脚はどうしたのかしら?」
「わぅん?」
アイリスが微笑を浮かべてカーディナルに問い掛けると、カーディナルはこてんと可愛らしく首を傾げた。
カーディナルの脚は泥だらけである。
それ故にカーディナルの今いる真っ白な布団は泥が付着し、先程カーディナルのいた椅子も泥だらけである。
そして、アイリスの付近は肉球の跡で塗れている。
アイリスが肉球の跡を辿れば、それは窓に続いていた。窓は乱雑に開かれており、足跡は窓の外へと消えていった。
アイリスは元は真っ白だったであろう肉球模様の部屋を見やり、更に笑みを深めている。
「カーディナル。
貴方、ここまで一人で来たの?」
「わん!」
「……そう」
カーディナルは誇らしげに胸を張る。傍らでは、カーディナルの余りの無邪気さに項垂れているアイリスがいた。
「…カーディナル。病院はね、動物が入っては行けないのよ。それに、此処まで少し距離があったでしょうに…」
恐らくわたくしが運ばれたのは、国で最も大きく設備も整っている王都ロンドのロンド国立病院の筈ですわ。
わたくしはかなりの重症を負っていた様ですし、王都に在住の貴族はまず他には行かない程に、この病院には名医が多くいらっしゃる。
屋敷からこの病院までは、少しばかり時間が掛かってしまうのだけど、カーディナルのその泥だらけの脚を見る限りきっと、森を抜けてきたのね。
わたくしの為にここまで来てくれたのだと思うと、心がじんわりと温かい…けど。
「貴方に何かあったらどうしますの?森には魔物が居ますのよ?
貴方では太刀打ち出来ない凶暴なもの達が居ますの。…幸い今回は出会わなかった様だけど、もうこんな無茶してはいけませんわっ!」
「くぅん…」
アイリスの突然の怒気に、カーディナルは先程までブンブンと振っていた尻尾を下ろし、眉尻を下げた。
アイリスはそっと口を開く。
「…でも、嬉しかったわ。ありがとう」
「わん!!」
アイリスが微笑むとカーディナルはまた尻尾ブンブンと振り、元気に鳴いた。
アイリスはカーディナルを撫でながら、部屋を見渡した。
「…この肉球模様すごく可愛いけど、誰かが来る前に何とかしな……!!」
アイリスは不自然に言葉を止め、目を見張った。
…不味いですわ。
通路の方からバタバタと複数の足音がアイリスのいる部屋へと近付いてくる。
ガチャッ!
開かれた扉からは、上等な魔道服に身を包んだ者、医師であろう者、看護師であろう女性が数人。そして、アイリスの父チャールズ、一同が切羽詰まった面持ちで慌ただしく入室した。
入室した一同の中から「…え」と言う声が漏れ出した。恐らくは看護師の中の誰かだろう。
一同は目を見張り硬直したまま動かない。
貴族の為に用意されたそこそこ広い病室内を沈黙が支配する。
肉球模様の部屋に、平然と起き上がっている重症だった少女と泥だらけの獣。
一同が何処をどう突っ込めばいいのか訳も分からない予想外過ぎる状況に呆然とする。が、一人沈黙を破る者がいた。
「アイリス」
絞る様に出された低い声がアイリスを呼んだ。
「…はい」
アイリスは僅かにビクリと肩を震わせ声の主へと視線を向けた。そして、アイリスは目を見開く。
初めて父の感情に触れたからだ。
常に無だったチャールズの表情が、今は違った。小さな小さな変化である。初対面の者が見れば無表情だと言うだろう。
だが、アイリスには父が今にも泣きそうに見えた。
チャールズは静かにアイリスの元へ寄ると、アイリスをじっと見詰めた。
「…治癒魔法を使ったのか?」
「はい。申し訳ございません、軽率な事を…」
アイリス自身も感情が表情に出にくい性分の為、現在、一見無表情なアイリスの顔は恐怖で青ざめている。
病院の者達は無表情で会話する親子に若干、気味の悪さを感じつつも、先程の親子の会話から最も不可解で有り得ない言葉に困惑していた。
「プライレス公爵閣下、これは一体どういう事でしょうか…?」
一同の中から魔導士らしき男がチャールズに問う。チャールズは男に顔だけを向けた。
「娘が自分で治した」
一同は愕然と立ち尽くす。
「そ、それは治癒魔法を使いあれ程の怪我をプライレス公爵令嬢が治したという事ですか…?」
今度は、医師らしき中年の男が狼狽を顔に漂わせながらチャールズに問いかけた。
「そうだ。
それよりも、娘の状態を確かめてくれ。完全に治っているとも言えないからな」
「か、畏まりました!」
_______________
その後、アイリスは身体中を隈無く確認され、別状なしと判断された。
因みに、カーディナルも泥を綺麗に洗い落とされた。
そして、現在アイリスは馬車に揺られていた。馬車の中には、アイリス、カーディナル、チャールズの二人と一匹。
カーディナルは既に眠っており、馬車内は静寂に包まれ、馬車の走る音だけが響いている。
アイリスは流れ行く外の景色を眺めながら、居心地の悪さとチャールズへの恐怖から内心、汗がダラダラであった。
き、気まずいですわ。
カーディナルどうして寝ちゃうのよ…!!
アイリスはそんなことを思いながらも、先刻慌ただしくてチャールズに聞けなかったことを口にする。
「お兄様は、その…大丈夫でしたか?」
遠慮がちなに発された言葉に、チャールズの視線がアイリスに向けられる。
「ああ、セドリックは軽傷で済んだ」
「そうですか」
アイリスは小さく息をついて安堵する。次いであることを思い出し、顔を青ざめさせた。
「…あ。わ、わたくし頂いた首飾りを壊してしまいました…申し訳ございません」
「気にするな。
それよりもアイリス、魔法は何時から扱えた?」
心臓が跳ねる。アイリスの顔からさらに血の気が引いていく。
「…カーディナルを助けた頃には既に」
覚悟はしていたけれど、やはり怖いものは怖いですわっ…。
アイリスは膝の上に置く手の平をギュッと握り締める。
「そうだったか」
想像していたよりずっとやんわりとしたチャールズの返答に目を丸くした。
「怒らないのですか?」
「…?何故怒る必要がある。
むしろ扱えるのならばそれでいい」
「そ、そうですか…」
狼狽するアイリスに、チャールズは特に気にした素振りも無く淡々と返事をした。
アイリスは外の景色に目を向けたチャールズを見詰めた。いつもと何ら変わらない冷淡な無表情が今は不思議と恐怖を感じさせない。
アイリスは頭を静かにそして、深く下げた。そんなアイリスに、チャールズは小さく目を見張った。
「お父様、嘘をついて申し訳ございませんでした」
「ああ」
そう言ったチャールズの表情は微笑を浮かべているかの様に優しげであった。
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