15話 悪役令嬢は目覚める
アイリスが“愛”というものを意識し出したのは、前世の三歳の頃だ。
午前中の授業を終え、午後からの自由な時間は当時のアイリスにすれば、ただただ退屈だった。
そんなアイリスは、好んで絵本を読んだ。
絵本は一人だったアイリスを十分に楽しませてくれた。
神話や英雄譚、お姫様と王子様の物語や人間と動物の物語、沢山の絵本を読んだ。
次第にアイリスは疑問を抱いた。
『どうして、みんな仲がいいの?』
幼いアイリスの疑問は至極単純なものであった。
周囲の人間と最低限でしか関わる事のなかったアイリスには、不思議だった。
家族が取り留めの無い話で盛り上がったり、食卓を囲み一緒に食事をしたり、それは、アイリスには分からなものばかりだった。
最初こそ奇妙に思っていたアイリスだったが、段々と絵本の世界の人々に羨望の念を抱くようになった。
絵本の世界は“愛”で溢れている。
いつの間にか、アイリスは“愛”を求めていた。分からない、知らない、だけど絶対に温かい何か。
幼いアイリスは漠然と思った。
…ほしい。
だが、そう思えば思う程に、アイリスは虚しさを感じた。
“愛”を望む程に、今まで気にも留めていなかった“孤独”が姿を現したのだ。
_______________
痛い。
至る所が痛くて痛くて、苦しいわ。
……そう言えばわたくし、何をしていたのでしたっけ。
「…ぅ」
ああ、身体が痛くて頭が回らないわ。
そう、確か…。
「…ゎぅん」
うん?誰ですの。
わたくし今は考え事を「…ん、わんっ」
「わぉんっ!!」
アイリスは眉間を寄せ、少し唸ると徐に目を開けた。
「…ぅん、カーディ、ナル…煩い、わ」
出てきたアイリスの声は随分と掠れていた。
「くぅぅん…くぅん」
カーディナルが今にも泣きそうな悲しげな声を漏らした。
あら?
カーディナルが飛び付いて来ないなんて珍しい事もあるものね。
まぁ、最近はカーディナルの身体が大きくなって飛び付かれると困るのですけれど。
それにしても、どうしたのよ。
そんな切ない声を出して…。
アイリスは身体を起こそうと身を捩り、顔を歪めた。
「…いっ、た」
痛い、痛いですわ!!
何ですのこの全身の激痛は!
アイリスは身体の痛みに耐えかね、身体を起こす事を諦めた。そして、身体を倒したまま辺りを見渡した。
アイリスの使用しているベッドの横にはカーディナルがポツンと椅子の上に座っていた。
カーディナルは心配そうにアイリスの顔を眺めている。
「…カー、ディナル、大丈夫よ」
アイリスはそう言ってカーディナルに笑いかけた。
…それにしても、此処は病室かしら。
うーん、冷静になって思い出したけれど、そう言えばわたくし、お兄様の魔法の中に飛び込んだのでしたわ。
それは…タダでは済みませんわね。
…わたくしとした事が、この様な事態を未然に防げ無かっただなんて。
「な、さけない…ですわ」
アイリスは自嘲気味にそう呟くと、嘆息を漏らした。息を吐き出すという行為だけでも身体は痛みを訴える。
……痛いですわね。
取り敢えず、治さなくては。
アイリスは痛みに軋む身体を何とか動かし、手の平を胸の上へと移動させた。
すると、アイリスの身体は蒼白の光に包まれる。
蒼白の光は少しの間淡く光を放ち、様やっとアイリスの身体に溶け込むように消滅した。
アイリスは痛みが消えた身体を悠々と起こすと「ん〜〜っ」と声を漏らして伸びをした。
治りが少し遅かったけれど、中々重症だったのね。
まぁ、それもそうですわね。…全身包帯だらけですもの。
アイリスは胸中でそう呟きつつ、包帯だらけの自身の身体を見回した。
「…あれ?」
アイリスは首や胸の辺りをペタペタと何度も触る。それから次に、焦った様に身体中をまさぐった。
「…無い」
「無いですわ、お父様から頂いた魔石の首飾り…」
アイリスは焦燥感に駆られながらも、記憶を辿る。
少しの間考え込んだアイリスは目を大きく見開いた。
「…まさか」
アイリスは記憶の中で最も不可解だった音を脳裏で反芻する。
『——パキィン』
…あれは、魔石が砕ける音だったのね。
成程ですわ。
普通に考えてみれば、わたくしは仮にも四歳児。この幼い身体であの魔法を受け、生きているのは奇跡に近いですもの。
あの魔石が魔法を抑制したという事ね。
「…まさか外部からの魔法攻撃も抑制されるなんて、お父様は一体なんて高価なものをわたくし等にわざわざ…」
「わぉん!」
「わっ!カーディナル」
アイリスが考え込んでいると、カーディナルがアイリスに飛び付いて来た。
カーディナルはムスッとした顔でアイリスを見た。そんなカーディナルに、アイリスは目を丸くしてから口に手を当て、にんまりと口角を上げた。
「あら、放置されて怒っていますの?」
「わんっ!!」
カーディナルは、分かってるなら構ってと言わんばかりに吠えた。
アイリスは先程の不気味な笑みを柔らかな笑みへと変える。カーディナルの頬にそっと手を添えると、困った様に微笑を浮かべた。
「ごめんなさい。
少しと言ったのに、随分と待たせてしまったわ」
「わぅ」
カーディナルは小さく鳴くと、アイリスの顔をペロっと舐めた。
「ふふ、擽ったいわ」
そう言いつつもアイリスはカーディナルを強く抱き締めた。
閲覧有難うございます。