13話 悪役令嬢は焦燥する
お兄様に魔法を教えたあの日から一週間程が経ちましたわ。
あれからお兄様は毎日の様にわたくしに魔法を教わりに来ましたの。
前世では、忙しいと言っていたけれど、あれ、嘘なのではなくて?という程ですわ。
でも断る理由も特にないので空いた時間にお教えしたのだけれど、お兄様覚えが早くて、初歩的な魔法は一通り身に付けてしまわれましたの。まだ、六歳ですのに流石と言えばいいのかしら…。
そう言えば、前世のお兄様は上級魔法も取得していらしたけれど、きっと、とても努力されたのね。
…だって、初歩中の初歩である『火球』が出来なかったのですもの。
まぁ、何はともあれ、順調にお兄様の魔法が上達しているのは、好ましい限りですわね。
コンコン。ギィ…バタン!!
…けれど、こうも毎日毎日来られてはわたくしもそろそろうんざりですわ。
引きつり気味の作り笑いを浮かべるアイリスの視線の先には、アイリスが返事をする前に既に入室しているセドリックが立っている。
「…お兄様、ノックをすれば他人の部屋に勝手に入っていいというものではありませんよ」
そう言って微笑を浮かべているアイリスの目は笑っていない。
カーディナルとの時間を邪魔されたアイリスは頗る不機嫌であった。
「いいだろ、少しだけだし。
それより早く行くぞ!今日から少し難しくなるんだろ?」
爛々とした瞳でそう言ったセドリックは、ソファーでカーディナルと寛ぐアイリスの腕を掴むと、カーディナルを見る。
「犬、アイリスを借りるぞっ」
「わんっ」
カーディナルは「仕方ない、貸してやるっ」と言わんばかりの面持ちでセドリックに吠えた。
セドリックはそのままアイリスの手を引っ張る。が、突然アイリスの腕を掴んでいる手にビリッと電流が走った。
「っ!?」
セドリックは、突然の手の平の痛みに反射的にアイリスの腕を離す。
そして、ビリビリと痺れる手の平をまじまじと見つめた。
「な、なんだ今の…?」
そんなセドリックに、アイリスは無機質な眼差しを向ける。
「お兄様、今日は行きません」
「えっ!なんでだよ」
今日も魔法を教えて貰えると思っていたセドリックは、アイリスに勢い良く顔を向けた。
「毎日お兄様に付き合わされて、もう、うんざりですわ」
「何言ってんだよ!!
やっと、いつもより難しい魔法を教えてくれるんだろ!?」
「何も、これから一生教えないとは言ってませんわ。
ただ、こう毎日毎日お教えするのはわたくしも疲れます。それに…」
アイリスは窓の外に視線を向けた。
そんな、アイリスに釣られてセドリックも怪訝な面持ちのまま窓の方へと視線を向ける。
外は灰色の分厚い雲が太陽を隠し、どんよりとした空気が漂っている。
「見て下さい、この空模様。
きっと、もう少しすれば雨が降ってきますわ。ですから、今日はわたくし外に出たくありません。それに、お兄様今日ぐらい体をお休めになられては?」
「……しかし、僕は…」
「お兄様。とにかく今日は嫌です。もう、出て行ってください」
しつこいですわ。
わたくしとカーディナルの時間をこれ以上邪魔しないで頂きたい。
「……分かった。悪かったよ」
アイリスの有無を言わせない様子にセドリックは渋々といった様に引き下がった。
そして、不満げな顔のままとぼとぼと部屋を出て行った。
全く、今世のお兄様はなんて我儘なのかしら。
アイリスは、はぁ、と溜息を吐き出すとカーディナルに目を向ける。
「カーディナル。貴方も貴方よ?
お兄様が来たら全力で反抗してもらわなくては、わたくしと貴方の大事な時間減っちゃうんだから…」
「わん!」
カーディナルは、「分かった!」と言う様に無垢な瞳でアイリスにひと鳴きした。
そんな、カーディナルをアイリスはジト目で見つめる。
本当に分かってるのかしら…。
「…まぁ、いいわ。
折角お兄様も居なくなったし、ゆっくり過ごしましょう」
「わん!」
_______________
アイリスは読んでいたページに栞を挟むと本を閉じ、目の前の豪奢な机に置いた。
アイリスの隣ではお昼寝中のカーディナルがぐっすりと寝入っている。
アイリスはカーディナルを起こさない様そっとソファーから立ち上がるとその場で背伸びをした。
セドリックがアイリスの部屋を訪れ、嵐の様に去って行ってから、二時間程が経っていた。
窓の外では、ぽつぽつと雨が降り始めている。
…随分と読み耽っていたみたいね。
アイリスは窓の外を見つめながらふぅと息を漏らした。
と、そこで
バタン。
「お嬢様」
アイリスは自室の扉を開けた人物に目を向ける。そこには、いつもと変わらない無表情なままの自身の専属の使用人、ハンナが立っている。が、ハンナは僅かに息を切らしていた。
使用人は通常であれば主人の許可がない以上勝手な入室は許されない。
それ以前に、ハンナの様な公爵家に仕える人間がこの様な初歩的な失敗を普通する事はない。
故に今、ハンナは非常に取り乱しているのだ。
アイリスはそんなハンナの心情を察し、叱責せず、冷静に口を開く。
「何があったの?」
「はい、先程から公爵家の敷地内でとても高ランクの魔力が充満しておりまして…。
只今、お嬢様の身の安全を確認に参った次第です」
「そう、ご苦労様」
「いえ。直ぐに解決して参りますので、どうかお部屋から出られませんよう、お願い致します」
ハンナは、アイリスに一礼すると部屋を出て行った。廊下にはハンナが走り去って行く音が響いていた。
アイリスは小さく眉間を寄せた。
魔力…?
…気づかなかったわ。
読書に夢中であったアイリスは高ランクの魔力が漂っている事に気づけなかったようだ。
本来、魔力を感知する事はとても困難で魔法に優れている者が意識して漸く、気づけるものであった。
そして、高ランクの魔力が空気中に溢れると、そのランクより下のランクの生物には、身体に害を及ぼす場合等があった。
まぁ、わたくしは大丈夫ですけれど、使用人達は鍛えているとはいえ苦しいんじゃ無いかしら。…だって、これ“A”…よね。
アイリスはその場で目を瞑ると空気中に漂う魔力に意識を集中する。
少しの間目を瞑っていたアイリスは、大きく目を見開いた。
「……!!
なっ、これお兄様!?それに…「くぅん?」」
狼狽していたアイリスは、カーディナルの呼び掛けにより、其方に目を向けた。
どうやら、アイリスの慌ただしい様子に目が覚めた様だ。
「…カーディナル」
「わん?」
アイリスはしゃがみ込むとカーディナルに抱き着いた。
「カーディナル少しだけ、お留守番していて頂戴」
そう言うと、アイリスは部屋を飛び出した。
窓の外は激しい雨が降り注いでいた。
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