9話 悪役令嬢は逡巡する
「有難うございます。
…では、わたくしは失礼致します」
アイリスはぺこりと頭を下げると、扉へと歩みを進めた。
「アイリス」
呼び止められると思ってもいなかったアイリスは思わず身体を硬直させたが、直ぐにチャールズへと向き直った。
「私からも話がある」
アイリスは目を瞠った。
チャールズと目が合ったからだ。
先程まで書類に向いていた瞳は、アイリスをじっと見据えていた。
「な、なんでしょうか?」
その冷徹な瞳を真っ向から向けられたアイリスは動揺を隠しきれずに吃った。アイリスの額から汗が伝う。
「アイリス、お前は先程言っていた仔犬を助ける為に治癒魔法を使ったそうだな?」
「はい。使いました」
アイリスは今度は吃る事無く言葉を紡いだが、出された話題に心臓が大きく脈を打った。
「あれは、意識してやったのか?」
…ああ。まずいですわ。
わたくしってば、本当に馬鹿ね。
流石のお父様でも、三歳の娘が上級魔法なんてもの使えば気にもなるわ。
「………分かりません」
困った末に、アイリスはこの場を切り抜ける言葉を見つける事も出来ず言葉を濁した。
「そうか。お前は幼いからまだ分からなかったのだろうが、これは上級魔法と言って、これを使えるという事はとても凄い事なんだ。
それに、その年でこの魔法を使えたのならば、他の上級魔法も使える様になるだろうな」
「…そうだったのですね」
………。
……ごめんなさい、お父様。実は分かっていますし…もう既に他の上級魔法もそれなりに使えますのよ…。
アイリスは冷や汗をかきつつも、素知らぬ顔できょとんと首を傾げた。
「ああ。だから、この魔法は緊急時以外は使うな。人目の多い所では特にだ。
…危ない輩共が寄り付いてきて色々と厄介な事になる。」
確かに、わたくしが攫われでもしたら面倒ですものね。
「…分かりました。これからは気をつけますわ」
返事をしつつ、アイリスは瞼が重たくなっていることに気づいた。
……そろそろ、眠たくなってきましたわ。
普段ならば今はもう熟睡中であるアイリスの身体が眠気を訴え出した。
「…ふあぁ」
アイリスはチャールズの前にも関わらず、我慢出来ず欠伸をした。
「………ご、ごめんなさいっお父様!」
アイリスは慌てて口を抑えると頭を下げる。
「いや、引き留めてすまなかったな。
だが、最後に渡しておきたい物がある」
チャールズは引き出しから何かを取り出すと、机と同じデザインのシンプルながらも上品な椅子から立ち上がった。そして、アイリスの前へと歩き出す。アイリスの前に辿り着いたチャールズはアイリスの身長に合わせるように床に片膝を付けて屈んだ。
「え、お父様何を…」
アイリスはチャールズの行動に酷く困惑した。が、そんなアイリスの首にチャールズの腕が回される。
なっ!い、一体何ですの…!?
…チャリ。
「…え?」
「これは、魔力を抑制する作用がある。お前は分からないままに魔法を使った様だから、何時また、意識しないままに上級魔法を使うか分からないだろう?」
アイリスは自分の首にぶら下がるそれを手に取った。
「…これは」
それは、とても美しい宝石、いや魔石を綺麗にカッティングしネックレスにした物だった。
アイリスはその魔石から勢い良く顔を上げ、チャールズを見た。
チャールズは何時もと変わらない無表情のままである。
チャールズは突然の余り絶句するアイリスをそのままに立ち上がると、椅子に戻った。そして、書類を手に取る。
「…何を棒立ちしている。早く戻って寝なさい。私も、まだやる事があるからな」
今度はアイリスに目を向けそう言うと、チャールズはまた、書類と睨み合いだした。
呆然と立ち尽くしていたアイリスは、チャールズの言葉に我に返った。
「あ、有難うございます。お父様」
アイリスは足早に執務室を退室すると、早足で自室に戻った。
自室に入ると、カーディナルが尻尾を降って出迎えてくれた。そんなカーディナルに先程まで張り詰めていたアイリスの心が緩んでいく。
「カーディナル…貴方ってば本当に可愛い」
アイリスはカーディナルを抱き上げると、そのフサフサ、フワフワの毛並みに顔を埋めた。
…もふもふ。
もふもふもふ。
もふんもふん。
「…ぅわんっ!!」
「…あっ!」
カーディナルは不機嫌な声を上げアイリスの腕から飛び降りる。アイリスは物足りないと言う様に眉間を寄せ、カーディナルににじり寄って行く。が、そんなアイリスをカーディナルはジト目で見つめながら距離をとった。
…あれ。そう言えば、カーディナル何時もならもう寝ている筈なのに…。
「カーディナルわざわざ起きてくれていたの?」
「わんっ!」
カーディナルは当たり前だ!と言う様にドヤ顔で鳴いた。そんな、カーディナルにアイリスは笑みを零す。
「…もう、本当に困りますわ。
カーディナル、貴方ってばわたくしを喜ばせる天才なんじゃないかしら?
ほら、おいで」
アイリスはその場に屈むと、カーディナルに向けて手を広げた。
「わん!!」
先程までアイリスと距離をとっていたカーディナルは躊躇無くその腕に飛び込む。
アイリスは自分の腕で楽しそうに笑顔を浮かべるカーディナルを抱え、ベッドへと向かった。
ふかふかのベッドに身体を沈めたアイリスは隣で小さく丸まるカーディナルに目を向ける。
「カーディナル、ありがとう。おやすみなさい」
「わんっ」
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すーすーと、隣から健やかな寝息が聞こえる中、アイリスはどうしても、寝付けずにいた。睡眠を欲していた筈のアイリスの身体は今は随分と覚醒してしまっている。
アイリスは自身の首に下げられた魔石を手に取り眺めていた。
別にアイリスは魔力の抑制など無くても、自分でコントロール出来るのだが、それを知らないチャールズはアイリスに魔石を与えたのだ。
………初めて、初めて
初めてお父様に直接何かを貰ったわ…。
アイリスは前世の頃から一度もチャールズから、家族から手渡しにプレゼントを貰った事など無かった。それは何時だって、使用人の手によって渡されていた。
だから、この魔石のネックレスを与える事が面倒事を回避する為だけであったとしても、アイリスは嬉しく思ってしまうのだ。
…駄目ね。
わたくし、まだ心の奥底で期待してしまっているみたいですわ。
……まだ…望んでしまっているのですわ。
けれど、仕方ないじゃないっ…。前世の17年間つもりに積もった想いはそう簡単には捨てられてくれないのですものっ!
…他でもない、誰でもない…
………家族に、愛されたいと…思ってしまうのですもの…。
アイリスは魔石を握り締めた。そっと目を閉じ、深く呼吸をして心を落ち着かせる。
望んでしまっては駄目。欲しては駄目。
手に入らないものを求めると自滅する。
それは駄目。
それは、前世の二の舞ですわ。
アイリスは魔石から手を離した。
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