未成年
もともと両腕というタイトルで公開してましたが、修正かけました。
タイトルの未成年はB'zの「The 7th Blues」の楽曲です。
この話は長編で書いている小説になります。書き終えたら上げるかもです。
僕は毎朝、起きたらまず始めに、両腕を10分ほどじっと見つめることが、習慣になっている。いつ頃からそうしていたかは覚えていないが、「あなたは、物心ついた時から、自分の両腕をよく見ていたのよ。」と母が言っていた。そのことをすることに、意味はないことだと分かっていても、毎日、両腕を数分は確認してから、僕は一日を始める。今朝も、まだ、暖かい布団の中で、いつも通り、手の甲が見えるように、自分の腕を見つめる。成長期を終えた男子のものにしては、細い腕だと思う。少し日に焼けた腕には、黒い毛が生えていて、向きはやや不規則に、うっすらと生えている。そして右腕には、黒子はないが、左腕には三つの黒子がある。さらに、手の甲の肉を透けて細い青い血管が生えているのが見える。それを見るたびに僕は、あの人が、少し余分な肉があった美しい脚から、見えていた血管を飽きることなく、いつも眺めていたのを思い出す。あの人は、夏が終わるころにこの街から出て行ってしまった。行先も、連絡先も僕には教えてくれなかった。どこに行ってしまったかも、もう分からない。探すことが不可能だと分かってしまったとき、僕は、あの人のことを全て忘れてしまうように努力をした。それが最善であることが分かっていても、脳みそに絡みつくようにして忘れることを許さない。何もない僕があの人にしてもらったことは、とても大きなもので、あの時の僕にとっては、あの人が世界の全てだった。
どんなに、あの人のことを考えようとも、自分の体に変化が起こることはない。全ていつもと同じだ。指を鳴らせば、乾いた少し高めの音が鳴り、指の付け根を痺れるような痛みが電流のように、骨の内側に残る。手首を握れば、親指の腹が中指の爪を覆える。親指の腹に触れている爪は腕に比べてほんの少しひんやりとしている。手首の肉を軽く引っ張れば皺ができて、つまんだ親指と人差し指の力をわずかに緩めるだけで、引っ張る前の元の形にすぐに戻ろうとする。あの人も、僕の血が少しだけ入っているから、同じように細い腕をしていたような気がする。あの人は今、どこに住んでいて何をしているのだろう。また考えてしまう。そんなことを考えても、学校の退屈な授業のように、飽きることは一切無かった。
十分ほど、あの人のことを考えてから、それ以外の思考もすべて止めた。あの人が教えてくれたことは、たくさんある。それでも、ジントニックと「山崎」のロックの味、ショートピースの吸い方、ドビュッシーのピアノソナタぐらいしか、あまり良く思い出せないのは何故だろうか。それほど、まだあの夏から日にちは経っていないはずなのに、もっと大事なことがあったような気がする。こうして考えるだけでも、いまだに幸福感を感じられるが、これ以上考えてしまうといくら時間があっても終わらない。僕は、幸福感を感じられる布団から這い出て、僕は両腕を眺めるのをやめて、制服に着替えて、学校へ向かった。
自分の高校へ歩く。11月の中旬に入って、手袋なしで外を出ると、数分で、手が雪のように冷たくなる気温になり、コートを着て通学する生徒も、すでにいる。今朝の曇った空の隙間から漏れる日差しは弱く、すれ違う他校の男児高校生の歩みは僕よりも軽く、朝食を取らなかった僕の体は、ほんの少しの空腹感を訴えてくる。後半年足らずで、高校にも行くことはなくなる。学校に行くことは、もう人生でこれが最後になるのだろう。それでも、全く名残惜しいと考えることはなく、登校するたびにもう帰りたいと思う。これもいつもと同じだ。
教室に着くともうほとんどの生徒が席についていた。進学をする予定のない僕は、自分の席について小説を読む。目つきの悪いクラスメイトが、何か言いたげに、僕を遠くから眺めているのを感じる。彼は、夏まではよく絡んできたが、もう僕に話しかけることはない。彼の視線を痛いほど感じても、僕は反応しないように努めた。そうやって、卒業の日まで、全てを流すように高校生活を送るのだろう。僕は、もともと人嫌いだったが、あの夏を境に、全てのものがより一層嫌になってしまったのだと思う。
いつもと大きくは変わらない退屈な授業を受けた後に、誰にも話しかけられもせず、誰にも話しかけずに、学校を終えて、家に着いた。家について、しばらくすれば、母が夕飯を作ってくれて、多少の家事を手伝えば、また自分の部屋にこもることが出来る。母の料理は美味かったし、風呂に入れば、その日の負の感情が流れていく気がしたし、今日読み終えた小説のラストは素晴らしかった。けれども、何か足りないという気持ちは、何をしても埋められなかった。好きな音楽を聴いても、酒を飲んでも、叫びながら走っても、変わらなかった。あの人がいなくなった後、何を試しても、気が晴れることは無かった。
そうして、僕は高校を卒業をするまで、特別なことは、何も起きなかった。ただ、小説を書くようになった。小説家になろうとは思ってはいなかったが、小説を書き始めた日から、4年間強が経つが、僕は小説を書かなかった日は一日もない。僕は昔から何かを満たすのを見るのが好きだった。コップに水を静かに注いで溢れたりすることや、ジグソーパズルを完成させることが好きだった。高校生の時、僕が、何もかも嫌だったのは、自分の力で何か足りないものを埋めることはできないと思っていたからだと思う。それでも、僕は真っ白なノートに文字を埋めるのも好きだった。その時の感覚を正確には思い出すことはできないが、間違いなくそれを小説にしようという意識はあった。ただ自分にそれが出来るか出来ないかを、はっきりとさせたくなかったから、きちんと小説にはしなかっただけだと思う。ただ、小説を書いてみると、存外悩まずに書けた。初日から、没頭するように、朝まで書き続けた。
小説を書くことに没頭して、気づいたら大人になっていて、小説家になっていた。プロの小説家になって様々なテーマを書いた今でも、高校の時に書いたあの人についての小説だけは、書ききれずに残っている。完成させようと思えばいつでも完成させることはできるが、納得のいく出来のものはどうしても書き上げられなかった。それなりに売れている小説家になった今、物欲はおおよそ満たされている。けれども、それでは足りず、今ある安定した生活を投げ出してもいいから、あの夏に戻りたいと思うことが時々ある。戻ったところで、今の僕でも何もできることはないとは知っているが、そう思う。そう思うのも両腕を見つめるのと同じで、特に意味はないのだろう。
そして、完成を諦めたいと思いつつ、どこかで、諦める自分を許せないと思っている。もしかしたら、僕は、あの頃の自分に足りないものを埋めるために、小説を書き続けるのかもしれない。