Story 03
私が迷いに迷って森から出られなかったのに、騎士二人は迷いなく突き進みやがて森を抜けた。
森を抜けると霧が立ち込む湖があり、石造の桁橋を渡った先に草原がどこまでも広まっていた。民家は勿論、人里があるようには見えない。森を抜けたところでどこにあるかも分からない人里に、無事で辿り着ける保証はなかったのだ。そう考えると彼等に助けてもらえたのは幸運と言えよう。
もしかして、これがエイルの言ってた神様の加護ってやつかな。
異形の獣に追い掛けられ怖い思いをしたが、結果的には助かったのだ。自分を助けた騎士二人がどういう人物かは不明だが、悪人ではない事は確かだ。もし悪人であれば身包みを剥がされて金目のウェディングドレスや身に付けていた宝石類だけを盗られていただろうし、女である以上、女の尊厳を傷付けられる可能性もある。そう思えば最初に出会ったのが彼等で良かったと心から感じた。
そして空が白み始めた頃、小高い丘の上に建つ砦の前に到着し、やっと馬は止まった。
「おかえりなさいませ、ヴァン団長、シュロイズ副団長」
大きな門の前で待機していた騎士が、持っていたハリケーンランタンを掲げるとヴァン団長と呼ばれた男の前に乗っていた私に気付き、目を丸く見開いた。
「ヴァン団長、こちらのお嬢様は……?」
「保護した。アンはどこにいる?」
「アン先生なら自室にいらっしゃいますが……」
何か言いたげな騎士に馬を預け、口元を覆っていた黒いマスクを首元に下ろしたヴァン団長は私を再びお姫様抱っこをすると金髪の青年を引き連れ砦の中へと入って行った。
まだ夜明け前だからか、中は静かで人が活動している音は聞こえない。
等間隔で置かれた燭台で灯された廊下を進み、ひとつの扉の前で止まると両手が塞がったヴァン団長の代わりに金髪の青年もとい、シュロイズ副団長がノックをした。
「どうぞ」
中からハスキーボイスが聞こえると、シュロイズ副団長が扉を開けヴァン団長が先に室内へと入る。
「おかえり。今回も無事でなによ、り……」
部屋の中は至ってシンプルで、必要最低限の物しか見当たらない。
その室内には女性がひとり立っていた。長身のスレンダー美人で、亜麻色の髪を夜会巻きでまとめ、真っ赤な唇が際立つ白い服を着ている。
裾や襟に施された紺色の刺繍がされた白いナポレオンカラーのロングコートを肩に掛け、中に着ているクロスホルターの体のラインに沿った白いミニ丈のワンピースがスレンダーな彼女に良く似合っていた。
その女性はシュロイズ副団長と同様にヴァン団長と私を見るなり深緑のつり目がちな瞳を見開き固まった。
「ヴァン!!いくら独り身が辛いからって花嫁攫ってきちゃ駄目でしょ!!」
「……」
「やだもう。そんな汚いゴミでも見るかのような目やめてよね」
冗談通じないんだから、とケラケラ笑いながら女性はベットの掛け布団を捲り、背もたれにクッションをいくつか並べそこへ私を寝かせた。
「黎明の森で魔獣に襲われかけていたところを保護した。目立った外傷はないが、瘴気を吸っている」
私の頬や掌に出来た傷を診ていた女性の手がピタ、と止まる。
「黎明の森で?」
「あぁ」
「……分かった。終わったら呼びに行くわ」
どうやら彼女は出迎えた騎士が言っていた“アン先生”のようだ。彼女は医者らしく、ヴァン団長とシュロイズ副団長が部屋を出て行った後ウェディングドレスを緩め触診を始めた。一番酷い傷は足の裏だったらしく、アン先生は見た瞬間、顔を顰める。素足で森を全力疾走したのだ。擦り傷どころではないだろう。アン先生の表情を見ると相当酷いらしい。あまり自分では見たくない。
「一番酷い傷から治癒していくわね」
そう言うとアン先生の両手が淡い光に包まれる。
魔法が存在する世界だとエイルは言っていた。森の中で見たヴァン団長の片刃剣も魔法だったのかな、と呑気に思い返していた私は、両手の光を足の裏に近付けた瞬間、アン先生が険しい顔をしているのに気付かなかった。
「ね、ねぇ。貴女、属性は?」
「?」
質問の意味が分からず首を傾げると、アン先生は「そんな、まさか……」と呟いた。
えっと……何かまずいんだろうか……?
私が不安そうな顔をしていたのだろう。すぐにアン先生は優しげに微笑んでくれた。
「大丈夫よ。でも、そうね……さっきの二人が戻ったら、少し私達と話をしましょう?」
思わず反射的に頷いてしまう。
こちらの世界の言葉を話せない私がどこまで彼等と話が出来るか不安だったが、私も聞きたい事はあるのだ。この世界の事、さっきの異形の獣の事、魔法の事……挙げたらキリがないが、聞ける環境であれば聞いておいた方が得策だろう。
すべての治療を終えるとアン先生は部屋を出て行き、戻って来る時は先程の二人も一緒に戻ってきた。
シュロイズ副団長の手には分厚い本が数冊握られている。その本をベットに置くとシュロイズ副団長が最初に口を開いた。
「確認したい事がいくつかあるんだ」
コクリ、私は頷く。
「君はこの国の人間かな?」
首を横に振るとシュロイズ副団長は短く「そう」とだけ言う。
「その割には俺達の言葉が通じてるようなんだけど、話せない理由があるのかな?」
相手が話している事は理解出来ているのに、話す言語スキルがないんです。と言えたらどんなに楽か。
かなりもどかしい。例えるならば、日本で道に迷った外国人に「Where is the station?(駅はどこですか?)」と聞かれて質問されてる意味は分かるのに、「駅はこの先を真っ直ぐ行って三つ目の信号を右に曲がると正面にあります」と英語で言うスキルがないようなものだ。なんと答えるべきか悩み「あー」「うー」と私が唸っている間にも質問は続く。
「そうだなー。例えば君が敵対国の人間だから口がきけない、とか?」
……?……てきたいこく?敵対国?敵!?なんで!?
「敵。違う!!」
頭を勢い良く横に振り、思わず口から出た否定の言葉は片言だった。
どうやら私は一度聞いた言葉や目にした文字なら言葉にすることが出来るようだ。ちなみに“敵”はシュロイズ副団長の話した言葉から、“違う”はベットの上に重ねられた本の背表紙にミミズが這うような見知らぬ文字で書かれた≪魔法と魔術の違いについて 著ウィレム・アンモルノ≫という本から得た言葉だ。私の言語スキルは“聞く”“見る”はこちらの世界に対応しているようで安心した。
「うん。見た感じ敵対国の人間じゃなさそうだなぁっていうのは分かるんだけど、俺達は騎士だからね。国を守る義務があるんだよ。敵対国の人間なら捕縛対象だし、そうでなければ保護対象だし」
それによって私への対応が変わってくるようだ。捕縛と保護では意味合いが全く違う。是非とも全力で貴方達の敵でないことを証明させてほしい。身分証とか何もないですが。荷物のひとつも持たず夜中の森に花嫁姿で全力疾走していましたが。
……あれ、ちょっと待って。私……怪しさ満点じゃない?
だから疑われてるんだ私!!その事実に至りひとり焦る。
「はいはーい。落ち着こうねー。君が敵対国の人間じゃないことを証明するためにも俺の質問に答えてね」
「は、はい……」
「それに敵対国の人間だったら黎明の森に入れないんだよねー」
「黎明の森?」
シュロイズ副団長はベットの上に置かれた本を一冊手に取ると、中から折りたたまれた羊皮紙を私が見える位置でベットの上に広げた。
どうやら地図のようだった。
A3サイズほどの大きさで大陸、海、山、川などが描かれている。シュロイズ副団長が地図を指差したのは森の絵。森の周りを囲むのは湖で、さらにその周りは草原の絵が描かれていた。
黎明の森。
森の名前はそう記されている。
「ここは君を保護した森。この森は神聖な場所でね、我がヴェルフェイム王国が管轄しているんだ」
世界地図の左上に書かれている、ヴァルディガルトとはこの異世界の名前だろう。
世界は三つの大陸に分かれていて、中央の大陸が一番大きく三角形のような形をしている。左右の大陸は中央の大陸から海を挟んで斜め上にそれぞれ位置していた。
中央の大陸の大部分を占めるのがヴェルフェイム王国で、大陸の中心にある黎明の森を囲むように国土は広がっている。
「つまり、ヴェルフェイム王国の限られた人間しかこの森に出入りする事が出来ない」
限られた人間しか出入り出来ないという事は私は黎明の森に不法侵入したことになる。不法侵入も何も異世界転移後があの森だっただけで、侵入したわけではない。ただ、それを正直に話して信じてもらえるかは怪しい。
「黎明の森は常に結界が張られているんだ。入るには特別な魔道具が必要になる。問題は君がどうやって森に入ったか」
結界やら魔道具やら何やらファンタジーな言葉が出てきたが、とりあえず今は質問できそうにない。
それに、だからシュロイズ副団長とアン先生は私が保護された場所が黎明の森だと聞いて様子が変わったんだと理解した。入れる筈のない場所に、私がいたから。
どう説明するべきか、どこまで話すべきか、逡巡していると「それにね」とアン先生が先に話し始めた。
「貴女には光魔法が効かなかったのよ」
「光、魔法?」
「そう。光魔法はね、治療者の魔力を使って自己再生能力を一時的に高めて傷を治すの。でもそれが貴女には出来なかった……。ある筈の魔力が貴女にはなかったのよ」
「この世界で生きる人間は、生まれながらにして魔力を持っているんだ。それがない、ということは?」
入れる筈のない森にどうやって入ったのか。
この世界の人間ならば持っている筈の魔力を持っていない。
そのふたつから導かれる答えはーーー
それまで静観していたヴァン団長がベットに近付き両手を着くと、私と目線を合わせた。
バーガンディ色の鋭い目が私を射抜く。その目が、嘘は許さないと言っているようで、思わず肩に力が入った。
「お前は一体、何者だ」
肉食動物に狙いを定められたような感覚に、背筋がゾクリと震える。
ヴァン団長の目は、私を捉えて離さない。
ーーー正直に話す。
それ以外の選択肢は、私にはなかった。