Story 02
誤字訂正しました。
軍服→騎士服に訂正しました。
2017/12/8
不思議な夢を見た。
私はウェディングドレスを着たまま大きな樹の前にしゃがみ込んでいて、目の前の樹を見上げていた。
見た目はガジュマルに良く似た樹で、無数の気根が絡まり合い太い立派な幹と縦横無尽に枝を広げた姿は神秘的だ。樹の根は地面から剥き出し、私の周り以外を覆っている。まるで空間そのものを侵食しているかのように見えた。
私の周りを綺麗に円になるように樹の根が避けているのが気になって立ち上がってみると、足元に魔法陣が彫られていた。
二つの正三角形を逆に重ねた六芒星に、正三角形の角にはそれぞれ小さな円があり複雑な紋様が隙間なく描かれている。さらに六芒星を中心に円が二重に囲んでいて、内側の円と外側の円の間には日本語でも英語でもない見た事がない文字で埋まっていた。
複雑な魔法陣に暫し魅入っていると何処かから笑い声が聞こえてきた。
辺りを見渡すと自分が神殿の中にいると気付いた。
コンクリートでも木材でもない、石材で造られた神殿は損傷が激しい。天井はもともとはあったのだろうがほとんどが崩れ落ちて青空が見える。
大きな樹は吹き抜けになった天井から伸びていて、神殿と一体化しているようにも見えた。
どうやら自分は神殿の奥にいて、笑い声は外からするようだ。
笑い声に誘われるように外に出ると、辺り一面色とりどりのお花畑だった。そのお花畑をふわふわと浮いているこれまた色とりどりの光の球体。赤、青、黄色、白っぽいのもあれば黒いのもいる。楽しそうな笑い声はどうやら光の球体達から発せられているようだ。
「あなた、だあれ?」
「どうやって此処に来たの?」
あっという間に光の球体達に囲まれ身動きが取れなくなる。
「あなた良い匂いがする」
「ウィルウィプス様の匂いもするよ」
「この匂い好き」
匂い?私は香水をつけない方なので体臭だろうか。それともシャンプー?でも、そもそもこれは夢なのに匂いって分かるんだろうか。
くんくんと嗅いでみてもやっぱり夢だからか匂いは分からない。首を傾げていると黒い突風が吹いた。青空だった空はどんより曇り空になり、花弁は黒い風と共に空へと舞い上がる。
「起きて、起きて」
「ヤツが来ちゃう」
「逃げて、遠くに」
逃げる?どこに?ヤツって?
聞きたい事がたくさんあるのに声が出ない。そろそろ夢が覚めるのか、徐々に意識が覚醒し始めているのが分かる。
「また会えるから大丈夫」
「ぼくたちは君の味方だよ」
「またね。闇夜の姫君」
光の球体達の声がどんどん遠ざかっていった。
***
目が覚めると夢と同じ神殿の中にいた。
目の前にはガジュマルのような大きな樹、足元には夢の中で見たのと同じ魔法陣。夢と違うのは空が真っ暗で星が瞬いているのと、見慣れた月とその隣にある真っ赤な月があることくらいだろうか。
「本当に異世界にきちゃったんだなぁ」
地球だったら有り得ない二つ並ぶ月を見て思わず呟く。
月明かりの中、自分の体を確認してみるも十七歳の体なのかは分からなかった。十七歳から二十五歳まで身長はほぼ変わらなかったし、今ここに鏡があれば顔付きで判断は出来るんだろうが、今は出来そうにない。
死んだ時も、死後の世界でも、夢の中でもウェディングドレスだったからなのか理由は分からないが、異世界転移後も私の服装はウェディングドレスのままだった。
それは良いがこのままでは動きづらい。まずは着替えの調達……と、そこまで考えて着替えよりも大事なことに気付く。
この世界で生きていく為の衣食住の確保だ。その衣食住を確保するにはお金が必要。無一文の今、家を借りるという選択肢はない。住み込みで雇ってくれる所を探すしかないが、会話すら成り立つのか怪しい。
……不安しかない。
でも立ち止まっている暇はないのだ。どんなに不安でも進まなければ何も変わらない。
「とりあえず、ここがどこなのか確認してみよう」
意気込みながら神殿の外に出ると、夢と同じく花畑が広がっていた。月明かりしかないから花の色までは識別出来ないが、夢の通りなら綺麗に咲き誇っているのだろう。
周囲を見渡すと神殿は森で囲まれていて、この周辺に人がいるようには見えない。
まずは人里を目指そう。それでこの世界の情報収集をして、どうやったら暮らしていけるのか足場を固めていこう。
ただ、懐中電灯もなければ松明もないため夜の森を歩くのは危険だ。靴はヒールの高いパンプスだし。
神殿の中で朝になるまで待って、明るくなったら森を抜けよう。
そう決めながら神殿に戻ろうと振り返った時だった。
黒い大きな獣が、そこにいた。
形は狼に近いが大きさは私の知っている狼よりも何倍も大きい。毛の代わりに無数の蛇のような形状をした黒い触手で覆われていて、仄暗い赤い目は確実に私を捕らえていた。
聞こえてくるのは獣の荒い息遣いと、心拍数の上がった自分の心音。
このままでは殺される。本能がそう叫んでいるけど、私の足は地面に縫い付けられたように恐怖で動かない。
仄暗い赤い目以外を黒い触手に覆われた獣の顔が、恐らく口があるだろう場所の触手がうねうねと動き出す。その様は身の毛がよだつほど不気味で異様。口があるだろう部分の触手は上下に分かれると低い獣の咆哮を上げた。ビリビリと鼓膜が揺れる。
獣の触手に覆われた後ろ脚が力強く地面を蹴ったのを見て、咄嗟に左に飛び込んだ。
ウェディングドレスのボリュームのあるパニエがクッション代わりになり痛みは感じなかったが、咄嗟に避けていなければ今頃獣の餌食になっていただろう。獣は勢い余って神殿の門があったらしい石材で造られた柱に突っ込み本能のままバリバリと食べている。
私はほとんど無意識にヒールの高いパンプスを脱ぎ捨てると、ドレスのスカート部分をたくし上げ音をたてないようにじりじりと森へと後退した。
ーーーパキッ
あぁ、神様、私の不幸ホイホイは未だ健在なのでしょうか……
小枝を踏み付けた自分の素足を恨めしく見る。
小枝が折れる音に反応して獣の動きがピタリと止まった。そして獣が態勢を整えようと再び動き出したのを見て、私は一気に獣に背を向けて森へと走った。
どこに向かっているかなんて分からない。どこに逃げれば良いのかさえ分からない。とにかくあの獣から逃げなくては、次に食べられるのは私だ。石材で出来た柱でさえ噛み砕けるということは、人間の骨さえも簡単に噛み砕いてしまうだろう。
自分が食べられているところを想像してしまって思わず背筋が凍る。悪い想像を振り切るように、走る速度を上げた。
もうどのくらい走っただろう。
時間にしたら数分なのだろうが、とても長い時間を走っている様にも感じる。
本来だったら危機を回避して幸運人生のスタートっていうのも異世界転移したからなかったことになったんですか?とか。
この世界の神様から加護を授かったんだよね?え、本当に私に加護があります?とか。
ちょっと神様、話が違うんですけど?とか。
脳内でエイルや神様に愚痴る余裕も、もうない。
正直、足も肺も精神力も全てが限界を迎えていた。
走っても走っても森から抜ける気配がなく、周りは走り出した時と同じ変わり映えのない景色。獣は一定の距離を開けてずっと私を追い掛けて来ていた。今よりも距離を開けるでもなく、逆に縮めようともしない。もちろん追い掛けるのを諦める気配もない。
もしかして、私が疲れて走れなくなるのを狙っている?
その考えに至ると後ろにいる獣がより一層恐ろしく感じた。
今も虎視眈々と私が走れなくなるのを待っているのだ。
「ッ!?」
気持ちが切れたのか、木の幹に足をとられ派手に転倒してしまう。
急げ、立て、立ち上がれ。脳から体に指令を出すも限界を迎えた体は言う事を聞かない。足はガクガクと震え役に立ちそうになかった。
一定の距離感を保ったままだった獣の足音が近くから聞こえる。振り返ると獣はすぐ近くまで来ていた。
月明かりが不気味な獣を照らす。
一歩、また一歩とゆっくり近付いてくる獣が口を開くと真っ赤な口内と立派な牙が歪に生えているのが見えた。体を覆う黒い触手とは違って口内の触手は赤く、それが涎のように口から垂れ落ちると、じゅうう、と音をたててまるで硫酸のように草を溶かしていく。
「ひっ!!」
小さな悲鳴を上げ、思わず後ずさる。
逃げられないと確信したのか、獣は私に向かって突進してきた。そして私を頭から食べる気なのか、鼻を刺すような異臭がする口を大きく開けながら私の身長より高く飛び上がった。
死んだ……
刹那、視界が黒に覆われた。
なにが起こったのか分からなかったが、耳をつんざくような獣の雄叫びが辺りに響き渡り、やがてそれは威嚇する唸り声に変わる。
視界を覆っていたのが人の背中だというのに気付いたのは数秒経ってからだった。
女の自分よりも遥かに大きく、後ろ姿だけでも分かる筋骨隆々な身体は漆黒の騎士服をその身に纏っていた。その男の手には身の丈ほどもある巨大な幅広の黒い片刃剣が握られている。左肩から掛けられた同じく漆黒のマントが夜風で揺れる。
その男が手にしていた片刃剣を構えたのと、獣がこちらに向かってきたのは同時だった。
一瞬だった。
巨大な片刃剣を大きく振りかぶると、獣の脳天目掛け振り下ろす。
獣は左右真っ二つに割れ、触手は黒い砂となって崩れ落ちていく。そして血の代わりに黒い霧を出しながら、獣は絶命した。
私は、ただ呆然としていた。
「大丈夫か?」
耳に心地良い、お腹に響くようなバリトンボイスだった。
いつの間にか振り返っていた目の前の人物は、赤に褐色がかかったバーガンディの瞳を私に向けていた。褐色の肌に騎士服と同じ黒色の短髪、口元は黒いマスクが覆っている。鋭い眼光と左目から頬にかけて走る古い傷跡が男に怖い印象を抱かせるが、男以上に獣への恐怖が勝って怖いとは思わなかった。
そして同時にあれ?とふと気付く。
男が発した言葉は日本語でも英語でもなく、異世界だから当然かもしれないが全く聞いた事のない言葉だった。でも、どうしてか私は男の言葉を理解していた。聞こえてくるのは知らない言葉なのに、脳内では日本語に翻訳されているのだ。でも異世界の言葉を理解出来る一方で、私はこちらの世界の言葉を話せないようだった。その証拠に「だ、大丈夫です」とか細く口から出てきたのは日本語だった。
「立てるか?」
そんな私に苛立つ様子もなく、男は手を差し出す。
未だガクガクと震える自分の足を見るとひとりでは立てそうにない。男の厚意に甘えようと手を伸ばすも出来なかった。
あ、あれ?腕が……動かない?
体を支えるのが精一杯で、腕を上げようにも痺れてうまく動かせなくなっていた。
「瘴気を吸ったのか」
そう言うなり男は片刃剣を地面に突き刺す。手を離すと片刃剣は地面に沈んでいった。男が土に埋め込んだのではない。水中に沈んでいくかのように、ゆっくりと言葉通り沈んでいったのだ。
異世界、すごい……
呆気にとられている私を余所に、男の右手は私の背を、左手は膝裏を支え軽々と抱き上げた。
「ひぁッ!?」
これは、お姫様抱っこというものでは……
身体に力が入らない私は彼にしがみ付く事も出来ず、肩口に頭を預ける形になってしまった。
予想以上に彼の顔が近くにあって、思わず視線を下げる。羞恥心に震えていると複数の馬の蹄の音と、足音が聞こえてきた。
「ヴァン、こっちの討伐終わったー?」
条件反射でパッと視線を上げると、金髪の見目麗しい青年がいた。
胸下まである緩く波打った金色の髪を右耳の下で黒いベルベットリボンでまとめ、私を抱き上げている男と同じ口元には黒いマスクと黒い騎士服を着ている。垂れ目に左目の下にある泣き黒子が色気を醸し出していて、黒い騎士服より白い騎士服の方が似合いそうだと思った。
青年は私を見るなりサファイアのような瞳を見開き数秒固まった。
「え?え!?ヴァン、その花嫁さんどっから攫ってきたの!?」
「……」
「はいはい、そんなに睨まないでよー。で?実際は?」
「……魔獣に襲われかけていたところを保護した」
「何処で?」
「此処だ」
「此処で、ねぇ。もしかして瘴気を吸っちゃったのかな?」
「そのようだ。手当をしに戻るぞ」
ヴァンと呼ばれた男は金髪の青年に私を預けると、黒い毛並みの馬に跨る。
金髪の青年は男のしようとしている事を理解しているらしく、何も言わずに馬上の男に向かって私を抱き上げた。グイ、と力強く引き上げられる。視界が急に高くなり、私は馬の上で再び男に抱きかかえられる事になった。
「うぁ、あの……」
「舌を噛みたくなかったら口を閉じていろ」
思った以上に高さがあるだとか、男との密着度が高いだとか、どこに連れて行こうとしているのかとか、様々なことが一遍に頭に浮かんでオロオロしていると、背中からバリトンボイスが響いた。
口を閉じるとお腹に回った男の腕に力が入る。
片手は私を抱え、もう片方は手綱を握っているが不安定な感じは全くない。
聞きたい事はたくさんあったが、この世界の言葉を話せず質問する術がないのと、手足が痺れて動けない私は馬が走る足を止めるまで男に抱きかかえられてジッとしているしかなかった。