Story 00
はじめまして。初投稿です。ガラスハートなのでお手柔らかにお願い致します。
神様、話が違うんですけどぉおおお!?
全力疾走しながら、私はこの場にいない相手に向かって心の中で絶叫した。
本当は声に出して叫びたい。でも、それをしたら確実に舌を噛む自信がある。なんて言ったって現在私は全力疾走中なのだ。これまでの人生でこんなに本気で走ったのは初めてである。
鬱蒼とした森の中。
たまに雲から顔を出す月明かりだけが頼り。それでも視界は良好とは言えないし、絶えず小枝が私の顔を掠めていく。おまけに避けきれず樹木に強打し続ける肩は痛みで熱を持ち始めている。
肺が痛い、空気を取り込もうと息を吸い込むも上手く呼吸が出来ない。
それでも走る足を止めないのはヤツが追い掛けてきているからだ。怖くて振り返る事は出来ないが、後ろを確認しなくても追い掛けて来ているのは分かる。自分以外の足音が聞こえるから。それに加えて獣のような唸り声も聞こえる。今、走る事を止めてしまったら確実にヤツに仕留められる。
たくし上げた純白のドレスが邪魔でしょうがない。
繊細で優美なレースと散りばめられたスワロスキーが気に入って決めたウェディングドレス。ウェディングドレスを選んでる時は、結婚式の事や結婚後の生活を想像して幸せに浸っていた。それなのに誰がこんな未来を想像しただろうか。ヒールの高い純白のパンプスは早々に脱ぎ捨てた。繊細で優美なレースは小枝に引っかけ裂けているし、独特の光沢とハリのあるミカドシルクの生地は湿った土で汚れてしまっている。
あぁ、なんでこんな事に……
ウェディングドレスが汚れる事も厭わず走り続けながら思い返すのは、私の人生が終わったあの日の事。
***
緊張を和らげるためかアロマディフューザーが付けられている新郎新婦控室で、私は緊張した面持ちで鏡の前に座ってスタイリストからの化粧を受けていた。
今日は私、安藤新菜の結婚式だ。結婚式と言っても従来の派手な結婚式ではない。教会で誓いを立てた後、彼の御両親とお互いの親しい友人数人を招いて小規模なお披露目をする予定だ。
私にはバージンロードを一緒に歩く父親も、感謝の気持ちを綴った手紙を渡す母親もいない。
私が生まれる前、交際中の母のお腹に命が宿っていると知った父は蒸発、母は未婚で私を産んだ。蒸発した理由は分からないが、知ったところで環境が変わるわけではないから特に知ろうとも思わなかった。未婚で母子家庭、現代の日本ではなんら珍しいことではない。でも、その事実は私達親子を孤立させるに十分だった。当時すでに死別していた母の両親は頼れず、母は女手一つで私を育てようと働いた。私に苦労はさせまいと休まず働いて、働いて、そして倒れた。過労死だった。
引き取ってくれたのは母方の遠い親戚だった。
血の繋がりがないからか、私は疎んじられることになった。食事を抜かれ、空気のように扱われ、反抗すれば殴られる。真冬の夜中に躾だと言ってベランダに締め出される事もあった。
エスカレートした虐待に気付いた隣人が通報するまで、それは数か月続きその後私は施設へと引き取られた。
母を失ったショックと虐待という辛い出来事が幼い私から感情を奪った。
そのまま小学校に入学するも、同級生たちは施設の子で感情の起伏がない私を気味悪がり虐めの対象とした。抵抗して相手に怪我をさせてしまったことがあり、その時は親が出てきて「これだから施設の子は」と院長が責められ、彼女は頭を何度も下げていた。院長のその姿を見てから私はどんなに酷い目にあっても抵抗せず、反応せず、黙って耐えた。我慢すればそれ以上酷い事をされないと学んだからだ。
施設では虐めや嫌な事を忘れる様に料理や洗濯、小さい子のお世話を率先して手伝っていた。施設では自分よりも小さな子がたくさんいて毎日が怒涛の様に慌ただしかった。小さい子がお友達に意地悪しているところを見て「あぁ、相手は反応を見て面白がってるんだ」と気付いてから、酷い事をされても無反応を貫き通した。何も反応を示さない私に飽きたのか次第に虐めは収まっていった。
施設で暮らしていくうちに声を出して笑えるまでに感情は戻った。
それから学校でも男女ともに友人が出来たが、それを良く思わない女子グループに嫌がらせを受けたりもした。悲しくて泣いたり落ち込んだりもしたが、それでも挫けず前向きに頑張ってこれたのは数少ない自分の理解者や、施設の仲間、虐められても味方になってくれた友人がいたから。
高校を卒業したら就職できるようにと商業高校に進学した。
そして始めたコンビニのアルバイトでは万引きを捕まえたら逆ギレされ危うく殴られそうになったり、常連のお客さんがストーカーに変貌したり散々だった。
小学校からの友人に相談したら「新菜って不幸ホイホイなの?」と失礼な事を言われた。私はゴキブリホイホイか。でも悲しいかな、否定できない自分がいる。短い人生の中で幸せな出来事よりも不幸だった出来事の方が多いってどうなの……
友人の言葉で少々へこんでいると、その時友人はこう言ったのだ。
「今まで辛いことがあった分、これから新菜は幸せになるんだよ」
不思議とその言葉はストンと私の中に落ちてきた。
根拠は何もないけど、私の人生辛い事ばかりじゃないんだって思えた。その言葉があったから、辛い事があってもこれからは良い事があると信じて何度も何度も立ち上がれた。
高校を無事に卒業して、地元の企業に一般事務として勤めた時、お局様からただ若いからって陰湿な虐めを受けても、上司からセクハラを受けても耐えた。むしろその時には長年の虐めや嫌がらせ、セクハラに耐性ができていた私は仕返しする余裕も出来ていた。
そして幸せはきたのだ。
入社して3年目、仕事にも入社と同時に始めた一人暮らしにも慣れて余裕が出てきた頃、同じ会社の憧れていた先輩から告白された。夢を見ているようだった。返事はもちろんその場でOKした。
彼は私より3つ年上で爽やかなルックスの仕事も出来る営業部の将来有望株。女性社員から熱い眼差しを一身に受ける憧れの的だった。リードもしてくれるが、私の意思も尊重してくれる紳士的な人。施設育ちだと言っても嫌な顔をしなかった。穏やかで、甘くて、幸せな日々を彼と過ごした。そして交際4年目、今日私は彼と結婚するのだ。結婚式が終わってから婚姻届を市役所に提出する。そうしたら彼と私は夫婦になれる。そう思うと自然と口角が上がった。
「安藤様、メイク終わりました」
スタイリストの声に鏡の中を見ると化粧を施された自分がいた。
この日の結婚式の為に伸ばした胸下までの黒髪は、ウェディングドレスがプリンセスラインで下半身のボリューム感をしっかり魅せたかったのでアップスタイルにしてもらった。キラキラと光るティアラが眩しい。
「とてもお綺麗です。それにしても、新郎様遅いですねぇ」
「私の方が時間が掛かるだろうから、後から来るって言ってたんですけど……確かに遅いですね」
彼と私はお互い今も一人暮らしをしていて、結婚後に引っ越そうと話していた。結婚前に同棲して関係をなあなあにしたくなかったのだ。今日は式場の近くにホテルを予約していてそこに泊まる予定だ。明後日は各自の自宅に戻り引っ越し手続きをして新居に向かう手筈になっている。
だから彼は新婦は着替えや化粧、ヘアメイクに新郎より時間が掛かると聞くと、待っている間は緊張するから時間差で控室に来ると私に連絡していたのだが。それにしても遅い。
いつも時間を守る彼がギリギリになっても来ないことに不安を覚え、彼に連絡しようと腰を上げた時だった。
「お客様!!困ります!!」
控室前が騒がしくなったと思ったらバタンッ!!と大きな音を立ててドアが開いた。
そこに立っていたのは新郎であるはずの彼と、見覚えのある女性。その2人の後ろから今日の結婚式の為に色々とお世話になったウェディングプランナーが顔を青くして慌てふためいているのが見える。急な事態に頭が追い付かない。
何故、ここに招待していない会社の後輩がいるのだろう。
何故、彼は私と目を合わせないのだろう。
何故、後輩と彼が手を繋いでいるのだろう。
「安藤先輩、彼はあなたとは結婚しません」
……何故?
「私、彼の子を妊娠してるんです」
ガツンと鈍器で殴られたような錯覚を覚えた。それぐらい衝撃的な内容だった。
自分のお腹を愛おしそうに撫で付け、幸せそうに微笑む後輩。でも私に視線を向けた時、彼女の微笑みは冷笑に変わっていた。
「先輩、今時結婚するまで清い関係でいるって有り得ないですよ。彼、4年も付き合ってるのにキス以上の事させてもらえないって悲しんでて…だから私、彼のこと慰めてあげたんです」
勝ち誇ったかのように笑う彼女は、私と結婚の約束をしていた彼に甘えるようにしなだれ掛かる。
やめて、彼に触らないで。そう言いたいのに唇が震えて言葉にならない。ショックで話せない事を良いことに、彼女はさらに追い討ちをかける。
「この子には父親が必要だと思いません?だって先輩みたいに天涯孤独で施設育ちにでもなったら可哀想……」
残酷な言葉が鋭利な凶器になって心を切り刻む。目に涙が浮かんできたけど、彼女の前でだけは泣きたくなかった。プライドまで折られたくなかった。
「だから、彼のこと諦めて下さいね」
これは決定事項だと言わんばかりに、私の返事を待たず彼女と彼は扉の向こうに消えた。
いや、最初から返事は求めていなかったのかもしれない。呆然とニ人が消えた扉を見つめていると再び控室の前が騒がしくなった。もつれるように入ってきたのは彼のご両親で、お義父さんは顔面蒼白に、お義母さんは目に涙を浮かべてガタガタと震えていた。
「に、新菜さん……!!これは一体ッ!?」
ウェディングプランナーが義理のご両親に知らせに行ってくれたんだろうか。
心配して駆け付けてくれたのに私にはお二人が視界に入らなかった。一度も目を合わせてくれなかった彼の背中を思い返して追い掛けなきゃと、彼と話をしなきゃいけないと思い立った。
「ま、待って……ッ!!」
私の名前を呼ぶ義理のご両親やウェディングプランナーの制止を振り切って控室を飛び出す。
彼と後輩の彼女はチャペルから出て行こうとしているところだった。
待って。なんで何も言ってくれないの?
どうして目も合わせてくれないの?
私が結婚するまで体を許さなかったからいけないの?
母の二の舞になるのが怖かった。
避妊したとしても100%妊娠しないとは言い切れない。彼がまだ子供はほしくないと思っていたら?私がまだ母親になる覚悟ができてないうちに子供ができてしまったら?その不安を口にしたら、彼は結婚するまでキス以上のことはしないと約束してくれた。私の意思を尊重してくれた彼をもっと好きになった。なのに……
「どうして……!?」
小さなチャペルは大通りに面していて、周辺にはデパートも建ち並んでいる。
日曜日の昼時は買い物客で溢れ返り、チャペルから出てきた花嫁を興味深々に眺めているがそれに気付く余裕は今の私にはない。周囲のざわめきに私が追い掛けてきた事に気付いた後輩の彼女は、彼の腕をグイグイ引っ張り先を急ぐ。何度も段差を踏み外しそうになりながらもチャペルの階段を下り終える頃には、二人が信号を渡っているところだった。チャペルの敷地を出ればすぐに大通りの歩道。二人がいる信号までは目と鼻の距離である。だから私はそのまま走った。信号機が点滅しているとも気付かずに……
それからの出来事はまるでスローモーションのように感じた。
信号を渡ろうと一歩踏み出した時、誰かが後ろで「危ない!!」と叫んでいるのが聞こえたが急には止まれない。何が危ないのか確認しようと振り向き様見えたのは自分に向かって来る一台のトラックだった。
身体全体に感じる凄まじい衝撃。トラックに撥ねられ体が地面に叩き付けられるその瞬間に見えた彼は驚愕で目を見開き私の名を叫んでいた。
「 」
やっと、彼と目が合ったのに。
彼の名を呼んだ私の声はきっと彼には届かないだろう。それにもう話をすることもできない。自分はこのまま死ぬのだろうと妙に冷静に考える自分がいた。徐々に暗くなっていく視界の端に、何故か白猫がこちらを見ていた気がした。