第2章 ④
苛々が煮え立ちそうな熱を持って、身体中を駆け巡る。
自室に戻ったリカルトは、悶々と考えていた。
(一体、何なんだよ。あいつ……!?)
親切で歩み寄ってやったのに、リカルトのことを嫌いだと言い放ったあげく、振り向きもせずに去って行ってしまった。
(だったら、どうして俺と結婚なんて言い出したのか?)
リカルトは第三王子だし、権力も財力も兄に比べたら貧相なものだ。自由も制限が掛かっている。
いっそ市井の金満家に嫁いだ方が楽だってできるはずだ。
(復讐のためだって……?)
ただそれだけの目的で「結婚」なんて出来るものなのか……。
リカルトに心当たりがあるのなら、まだしも、まったくないようなことで、復讐と言われても、困惑するだけだ。
せめて、その復讐したい理由を話してくれたら、まだこちらも、やりようがあるのに……。
「…………分からない」
眠れそうもないことを悟りながら、とりあえず横に成ろうとした矢先、レナートから呼び出された。
(まったく、面倒な……)
嫌々ながらも、国王からの命令ならば、行かない訳にはいかない。
渋々上着を羽織って、足取り重く城の上層階を占拠している二人の部屋に向かった。
(いつ来ても、恐ろしい趣味だよな……)
二人の新婚部屋は、可愛い物好きのノエルに毒され、桃色と白で統一されていた。
「リカルト、悪いな。ノエルがしつこくて……」
呼び出したくせに、眠そうに欠伸をしながら、レナートはリカルトに白地の長椅子に座るよう勧めて、自身はその隣に座った。
衛士に出て行って行くよう指示を出してから、置物の人形のように、隣で突っ立っているノエルに目配せをする。ノエルの碧眼は深夜にも関わらず不気味に光っていた。
(まったく、厄介な人に目をつけられちまったな……)
ノエルは、リカルト達三兄弟にとって、従妹に当たる。王家の血を引いている女性だ。
元々、相手が何者であっても、ずけずけと物が言える立場にはいるのだが、彼女の場
合、ただ言いっぱなしではない。行動力も伴うから、怖いのだ。
少女趣味の見た目とは対照的に、性格は、豪気でさっぱりしている。
内政に関して、レナートも彼女に助言をもらうことが多いのは知っていたが……。
「こんな愉快な話を、わたしに黙っていたなんて、信じられない話だ」
ノエルは、リカルトを尊大に見下ろしていた。
「黙りたくもなるでしょう?」
「どうして?」
「説明の仕様がありません」
大体、おかしな能力を持った過去の王朝の末裔が、リカルトとの「結婚」を条件に、城内に居座っているなんて……。
それが同級生でなかったら、リカルトだってもう少し非情な手に出ることもできたかもしれないが、名前は忘れていたものの、ミヤカとは六年間も同じ学級だったのだ。
しかも、学生時代の復讐なんて言われてしまった日には、その原因を特定しない限り、何の善後策も考えられない。
もしかしたら、リカルトがとんでないことを彼女にしていた可能性だってあるのだ。
「甘いな……」
「何が?」
問い返せば、それを待っていたように、ノエルは口の端を吊り上げた。
「お前さ、あの子に色仕掛けしろよ」
「……………………はっ?」
リカルトというより、レナートの眠気が吹き飛んだようだった。
「……ノ、ノエルちゃん?」
「レナート「ちゃん」は止してくれないか……」
「えっ、可愛いのに……」
鼻を伸ばして、妻を仰ぐ憐れな兄の存在は無視して、リカルトは独り言のように呟いた。
「色仕掛けって、どうして、俺が……?」
「馬鹿か。お前の妻に、お前がするんだ。何の非があるんだよ?」
「……いや、再三言っているけど、あいつは妻じゃないですから。婚約すらしていないのに、どうしてそこに飛躍するんです?」
「じゃあ、妻でも愛人でもいい。適当に色目使って、自白させろ。簡単に吐くはずだぞ」
「無理難題を言わないで下さい。あいつは、俺のことを嫌っているんですから」
「どうして、そう思う?」
「それは……」
本気で分からないといったふうに、ノエルが首を傾げた。
この人は何にも分かっていない。たった今、リカルトは大嫌いと言われたばかりなのだ。
ミヤカ相手に、色を仕掛ける以前の問題だ。
「逆に姉様は、なぜ急に色仕掛けを思いついたんですか?」
「あの侍女は、ミヤカの叔父だよ」
「なっ!?」
(何だって!?)
リカルトは、必死に今日の記憶をたどった。
たしか、シノンという名前の四十代くらいの女性だった。
やけに明るく、溌剌とした印象を持ってはいたが、まさか、彼女が……。
「嘘でしょう? あの人、どう見ても、女性でしたけど?」
背は高く、肩も張っていたが、仕草は女性的で、濃厚な色気を振りまいていた。
「まあ、女性には見えるが、相手は謎の力を持っているんだ。男を女に見せる術を使うことができてもおかしくない」
「……しかし、姉様」
「侍女を募集したときに、ふらりとやって来てな。侍女を採用する時は、身辺調査も必要だから、調査をさせていた。怪しさたっぷりだったから、逆に採用したんだが、今日の二人の様子を見てぴんと来たよ。二人はよく似ていて、旧知の仲のようだ。ミヤカには叔父以外身内がいないんだ。だったら、あれは叔父と見て間違いないだろう」
「…………百歩譲ってそれが本当だとして、普通はここに来ませんよね?」
シモンの行方は、レナート主導で追っている。
追われている人間が敵の本拠地に乗り込んで来るだろうか……。
「シモンという男、三百年前に滅んだルミア神国を再興させるのが夢だという話だ。救国と言いながら、国王暗殺を企てるために、王城にやって来たのかもしれない」
「ミヤカは、そんなんじゃありませんよ」
リカルトがきっぱりと言うと、レナートもそれに同調した。
「そうだな。わたしにもそうは見えなかった」
「俺が仕入れた情報によると、ミヤカは、いつもルミア神国再興と口走り、おかしな魔術品を扱っていた叔父を冷ややかな目で見ていたってことでしたよ。学生時代も大人しくて、派手なことを嫌う印象でした」
「つまり、彼女はルミア神国の再興になど興味がない。救国というのも、抽象的な表現で現実味がない。だったら、目的は何だろうな。ルミア神国が関わっているのは、確かだろうが、もしかしたら、城にいなければならない何らかの理由があるのかもしれない」
だから、ミヤカに全部話せと言ったのに、あの対応のどこがいけなかったのだろうか?
「うーん、分からんなあ」
レナートが煌々と明るいシャンデリアを見上げて、考え込んだ。
「じゃあ、復讐というのは一体?」
「それも方便かもしれない。……て、リカルト! そのくらい近くにいれば分かるだろう? もっとしっかり情報収集しろよな。あの子は悪人を演じてはいるが、徹しきれていないぞ。むしろ、あいつの方が……」
言いかけて、ノエルは口をつぐんだ。
「何?」
聞き返したものの、レナートとノエル共に、不穏な空気をまとっている。
「…………あいつが、どうしたのですか?」
「別に何でもない」
「なんでもないぞー」
「気になるじゃないですか? もしや、クラウト兄様付きの大陸の術師のことなんじゃ?」
「うるさいなー。リカルト」
誰よりうるさい声を上げて、ノエルはリカルトの頭を軽く小突いた。
「ともかくだ! お前はいいから、あの娘に色仕掛けをしろ」
「色仕掛けって簡単に言わないで下さいよ。姉様、あいつは俺のことが嫌いで、復讐のつもりで、結婚するんだって、言い張っているんですよ。そんな奴相手に、何を?」
「あのな、リカルト。何とも思っていない相手に、学生時代の復讐なんてしやしないんだ。そんなのだから、女心の一つも分からないって、わたしに言われるんだよ」
趣味は乗馬で、特技は棒術という、およそ、女らしからぬ方向に得意分野を持っている姉にそんなことは言われたくなかったが、胸に刺さるくらいには正論だった。
「まあ、いいんじゃないの。お前、まともに女の子と付き合ったこともないんだしさ。見た目だってそう悪くない。ルミア人特有の黒髪だが、目鼻立ちの整った美人じゃないか?」
「美人? あれが?」
「まあ、お前はどうせ学生時代から、まともに女の子の顔なんて見ちゃいなかったんだろうから、分からないだろうけどな」
レナートがあっさりすっぱりと断言して、欠伸を一つ零した。
どうあっても、あいつのことは教えてくれないらしい。
微妙に引っかかったが、リカルトはそれ以上彼らを追及することをやめた。
自分で調べれば良いのだ。
それにしたって……。
(色仕掛けって……どうしたらいいんだ?)
一体、何をどうしたらいいのか……。
年ばかり取っている割に、女性の扱いを知らないリカルトには、まったくもって想像もつかない世界のことであった。