第2章 ②
扉を開けると、桃色のドレスに、赤い大きなリボンで髪を結い上げている長身の女性が腕組みをしていて、いかにもといった形でミヤカを待ち構えていた。
深緑の瞳は、挑戦的に細められている。
彼女の視線が恐ろしくなって、ミヤカは目を逸らしたものの、しかし、その先に、彼女より更に背の高い、茶髪の女性と目が合ってしまい、心の底から動揺した。
黒地のメイド服に身に包み、白のカチューシャをしている少々派手な化粧をしている女性は、しかし、よくよく目を凝らしてみれば、ミヤカにとって大変見覚えのある細面の顔をしているではないか……。
(そうだ。この人……?)
つい最近、「身を隠す」と宣言して、別れたばかりの身内と姿形が瓜二つなのだが……。
(まさか?)
しかし、ミヤカの叔父のシモンは、男だ。女ではないはずだ。
(叔父さんのそっくりさんとか、生き別れの双子とか?)
しかし、血の気をなくしていくミヤカに対して、当の本人は、眼鏡の奥の琥珀色の瞳を輝かせて、唇に人差し指を当てて、黙っていろという素振りをしてきた。
――やっぱり、だった。
(……そうきたか)
とうとう、シモンは女装に目覚めたらしい。しかも、完璧に女性そのものに化けている。
シモン自らがこちらに訴えかけてこなければ、ミヤカも気づかないままだっただろう。
(叔父さん、身を隠すと言っていたのに、どうして、ここにいるのかな?)
これ以上の面倒は、勘弁して欲しい。ミヤカに一体どうしろと言うのだ。
その場で倒れてしまいたいほど、重苦しい疲労感に襲われているミヤカであったが、ミヤカ以上に、げっそりしていたのは、リカルトだった。
「姉様…………どうして、ここに?」
「いや、だって、最近レナートの様子が変だったからさ、探っていたら、こんな面白い噂を聞きつけてしまったわけだ」
「レナート兄様、もう少し頑張れよ……」
「レナートが何だって?」
「いや、なんでもない! なんでもありませんって!」
「ん?」
レナートとノエル。確か、レナートが国王の名前で、ノエルはその……。
「ああ、紹介が遅れてしまって、すまない。妹よ。わたしは、レナートの妻のノエルだ。末永くよろしく頼むよ」
ミヤカが反応する前に、リカルトが吼えた。
「末永くってどういうことだよ!? こいつとはただの同級生だって!」
「相変わらず、リカルトはうるさいなあ」
「…………て、お妃様?」
「まあな。でも、妃って柄じゃない。ノエルって名前で呼んでくれていいから」
ノエルは腰から、裾にかけて、ふんだんにレースを使ったふりふりの桃色のドレスの裾を器用にさばきながら、室内にどかどかと入って来た。
そういえば、二年前の結婚式の時には、国中がお祭り騒ぎとなっていた。
(あのお祭りの主人公が目の前にいるってこと……?)
呆然としているミヤカの肩に、ノエルはしっかりと腕を回している。
逃す気はないと言わんばかりに、手に力がこもっていた。
「いやー、ミヤカだっけ。お前、凄いのな。不思議な力で、この国を救ってくれるんだろう? どんな見た目かと思ったけど、小っちゃくて可愛い普通の女の子じゃないか。空を飛んだり、獣に変身したりしないのか?」
「一応、救世主は人間という設定なので……」
上目遣いに、ノエルを見上げれば、シモン同様、大きな双眸を宝石の如くきらきらと輝かせている。むきだしの好奇心に、飲みこまれてしまいそうなくらいだ。
「リカルト。救世主様と結婚なんて、したくても出来ないな。良かったじゃないか」
「いや、だから、結婚はしてないって」
「でも、押しかけ妻が来たって、皆が噂していたぞ? なんでも隠し子がいるとか?」
「隠し子って何ですか? どうせ、その変な噂を流してるのは、貴方でしょう?」
(何で、この人は、こんなに乗る気なんだろう?)
まさか、王族の中に、突然やって来た謎の女との結婚を勧めてくる人が実在するとは思ってもいなかった。のらりくらりと、破談にもっていくだろうと予想していたのに……。
実現不可能なことだと重々承知しているからこそ、ミヤカは結婚を持ち出したのだ。
(……わたしが愚かだった)
リカルトのことしか考えていなかった。
王族は、リカルト以外だって大勢いるのだ。
「ところで、姉様。その謎の侍女は誰なんですか?」
「…………あっ」
ここまで来てようやく、ノエルはシモンのことを思い出したようだった。
「ああ、紹介が遅れていたな。実は、妹には世話係がいた方が良いと思って、同じルミア神国系の侍女を雇ったんだ。これから、ミヤカ付きの侍女をやってもらおうと思う」
「わたしの……?」
「…………怪しすぎますよ」
リカルトが初めて冷静で、まともなことを喋っている。
しかし、シモンは意に介さず、リカルトに向かって頭を下げた
「初めまして。シノンと申します。誠心誠意お勤めしたいのですが、いけませんか。殿下?」
心なしか、声も高い気がする。大きな身体を窄めて、流し目をリカルトに送る、謎の愛らしさは一体どこで習ってきたのだろうか?
「うっ。いや、俺は……」
距離を縮められて、リカルトはやむを得ず、ミヤカの後ろに隠れた。
見た目は完璧な女性であるが、彼の本能が、叔父の正体に反応したのかもしれない。
「リカルト、お前がミヤカは怪しいって、言っていたんだろう。どうせ、怪しいのなら、誰が世話したって、別に構わないだろう? なあ、ミヤカ?」
「わたしはー…………」
断ることなど、できるはずがない。
ミヤカは小さくうなずいた。
「では、よろしくお願い致します。ミヤカ様」
シモンがミヤカにしか分からないふうに、片目をつむって合図をしてくる。
ますます、厄介なことになってしまったことは、ミヤカにも理解できた。