終章 ③
「あの……リカルト王子……」
意を決して声を出してみる。緊張が一気に増して、汗が背中を伝った。
とくん、とくんと心臓が早鐘を打っている。
(わたしって、こんなに具合が悪くなるほど、緊張する人間だったけ?)
緊張が頂点に達しているようだ。
脈が速くて、冷や汗がしたたり落ちている。
(いや……。だけど?)
種類が違う。
ミヤカは、ようやく気が付いた。
どうやら、本当に具合が悪くなってしまったようだ。
(貧血? 神珠を使った時に味わっていた疲労感と同じような感覚だよ。これ?)
しかし、神珠はミヤカの手元にはすでにないはずだ。
……じゃあ、一体、どうして?
「どうしたんだ? ミヤカ……」
「近くにあるみたいなんだよね……。あれが……」
「あれ?」
ミヤカは、本能に導かれるまま、リカルトが手渡してくれた小箱の包装を急いで解いた。
「あっ、これは……その」
狼狽したリカルトが説明を加えようとする前に、ミヤカは箱の中身に辿りついてしまった。
白地の箱に際立つように、凛と輝く紫色の石。それを銀色の輪が囲んでいる。
「指輪……?」
「……まったく、ちゃんと話そうと思ったのに。一体どうしたんだ?」
「だって、これって……?」
「見てのとおりだよ。神珠の欠片だ。……あの時、成り行きで、俺が貰ってしまっただろう。あとで返すつもりではいたけれど、そのまま返すのも芸がないと思ったから、指輪にしたんだ。箒よりはマシだと思ったんだけど、もしかして、気に入らなかったか?」
「いや、まさか……。もちろん、こんな素敵な物、有難いけど……」
「……けど?」
認識してしまうと、気づかなかったことにはできない。
ミヤカは無視をしようとしたものの、無駄な抵抗だった。
――だって、彼女はそこにいるのだ。
それが見えしまっている。
『あーーーっ、よく寝た』
女性の甘い声が辺り一杯に響き渡る。
呆気にとられるミヤカとリカルトのすぐ横で、先日、綺麗に別れたばかりの巫女姫イリアがふわふわと浮いていた。
『あら、ミヤカ。久しぶり』
「久しぶり……じゃなくてね?』
何だろう。
この登場の仕方は……。
(まるで、喧嘩を売られているようだわ)
『うーんと? 記憶違いじゃなければ、イリアは、あの日、成仏したんじゃなかったのかな?」
『あら、そうよ。確か、そうだったはずなんだけど。……じゃあ、どうして、わたしはここにいるのかしらね?』
『知らないよ』
本人も分からないことをミヤカが知るはずがないではないか……。
相変わらず、適当な受け答えだ。
こんな女性が四百年前のルミア神国の王族だったのだから、国が滅んでも不思議ではないのかもしれない。
「……おい! イリアって。これが巫女姫イリアの本体だったのか?」
シモンの身体の同居人という形で、捉えていたリカルトには、その豊満な姿態と、露出の多いドレスは衝撃的だったらしい。
何度も目を擦っていた。
「なぜ? 出来上がった指輪を俺が見た時には、イリアはいなかったぞ?」
『相変わらずの鈍感ぶりね。そりゃあ、リカルト王子はルミア神国の人間じゃないから、わたしを起こすことはできないでしょう?』
「でも、イリア……。まさか、神剣の力がその魔界の入口に及ばなくなったとか、そういうことじゃないよね?」
「何だって!?」
ミヤカの暗い呟きに、レナートが過激に反応したことで、背後が一気に騒然となった。
「おかしいな。今日もカネリヤ山は異常なしって報告を受けているんだけどな」
「やっぱり、兄上。あれは神剣なんかじゃなく、ただの使えない剣だったってことですよ。……残念でしたね」
「しかし、クラウト殿下。神剣でなければ、今日まで噴火を留めることもできません。あれは正真正銘、神剣でございました。剣が問題ではなく、遣い手の問題ということも考えられますよ」
淡々としたクラウトの呟きに、静かにルーセンが答えている。
「ひとまず、大教堂の様子を確認して、カネリヤ山に人を……」
ノエルは、冷静に周囲の兵士に指示を出していて……。
――そして。
「おおっ、帰ってきたのかい? イリア」
シモンは陽気に、イリアに手を振っていた。
「…………ちょっと、何で? みんなに全部、見られていたってこと?」
要するに……。
ノエルが言っていたのは、大観衆の見守る舞台ということだったのか。
ある意味、一世一代の大舞台ではあるだろう。
そろいもそろって、最低な趣味の方々だ。
『うーん? 何で、戻ってこれてしまったのかしら。神剣は働いてるわ。だから、他のことだと思うんだけど……? やっぱり、湖の封印が出来てなかったことかしら? それとも、三千年前に封じた魔物が蘇ろうとしているとか……』
「神事って、魔界の入口を神珠で封じるだけじゃなかったの?」
『あら、それだけなんて、言ってないわよ。この国には多数の荒ぶる神が眠っているのよ。今回は、大変そうなカネリヤ山を優先してみただけ。ルミア神国は滅んだし、これでわたしの役目も終わりだと思ったんだけど、覚醒したってことは、他の役目もあるのかもね?』
「…………冗談だよね?」
『さて、神珠も戻ってきたし、国を救うために、貴方の力が必要だってことなんだわ。再会を喜びましょう。……ミヤカ!』
「……さよなら」
問答無用で、指輪の箱を閉じたミヤカだが、こんなことで、イリアが消えるはずがない。
『ちょっと、なによー。ひどいことするわねえ。せっかく再会できたのに! ふーんだ。いいわよ。シモンの所に行くから!』
(そのまま、わたしの前には来ないで欲しいかな……)
言葉通り、シモンの方に飛んで行ったイリアを、ミヤカは白い目で見送っていた。
「また大変になるなあ。まったく、手間のかかる女だよ。お前はさ」
ふと横を見遣れば、リカルトが豪快に笑っていた。
「なっ、何? とうとう壊れたの?」
「ああ、悪い。本当に困っているんだって思って。お前ってあまりそういうの……顔に出ないからさ」
「つまり、顔に出るほど、最悪な事態に陥っているってことなんだけどね」
ミヤカは不機嫌に頬を膨らませるものの、無邪気に笑うリカルトに怒ることもできなかった。
むしろ、そんなことどうでも良くなってくる……そんな自分が一番怖かった。
「…………リカルト王子」
彼の澄んだ青い瞳の中に、自分がいることを確認して、ミヤカは今度こそ拳を固めた。
思いのままに……。
言い聞かせて、口を開く。
「……ありがとう」
「一体、どうしたんだよ。急に……?」
「貴方がわたしの気持ちを知りたいって言っていたから。今が好機だと思ったんだ」
「どんな好機なんだよ?」
「神事の時、わたしは神珠に願ったんだよ。素直になってやり直したいって。学生時代の六年間、そして貴方と再会してからの数か月。いつも、わたしは言いたいことの反対ばかりを、貴方に言ってきた。だから、貴方に本音で向かい合いたいって願ったんだ。結局、その願いは、記憶喪失という形で厄介な方に叶ってしまったんだけど……。でも、本当はわたし自身の力で叶えることのできる内容なんだよね。……だからさ……。今、貴方に素直にお礼を言いたかったんだ」
ミヤカは、花の中に埋めていた顔を、ゆるゆると上げた。
ぽかんとしているリカルトと目が合う。
せめて、微笑んでみせようと口角を上げたら、彼もまた赤面していることに気づいた。
「じゃあさ、素直になった記念に、今のお前の願いごとを俺に言ってみろよ。お前の専属救世主として、叶えられることなら、叶えてやってもいいぞ?」
茶化した口調でリカルトは問いかけているが、目は真剣だった。
冗談が通用しそうもないから、逆にミヤカは困ってしまう。
「そんなことを言われても……」
「言いたいことの反対ばかり言ってきたってことは、嫌いという言葉も反対だったってことだよな」
「……それは」
あんな昔の売り言葉に買い言葉、よく覚えていたものだ。
そのやりとりの翌日には、すっかり忘れていたように見えていたくせして、今更何を言うのか。
「ほら、素直になった記念だ。俺に何をしてほしい?」
「急すぎるよ……」
「俺にしてほしいことなんて、たった一言で済むだろう?」
「一言?」
「なんだよ? まさか、金が欲しいとか言うんじゃないだろうな」
「くれると言うのなら……もらうけど?」
「……それでいいのかよ?」
あからさまにしょげられてしまうと、ミヤカもこれ以上、彼を苛められない。
「じょ、冗談だって」
「それじゃあ、早くしろ」
譲歩した途端、これだ。
なぜ、願いをかなえると言っているリカルトの方が、偉そうなのか?
(どうしようか……)
ミヤカは雲一つない空を仰いで、遠い昔の自分の姿を思い浮かべた。
………………学生の頃。
ミヤカは、いつもリカルトに声を掛けたくて、話したくて仕方なかったのに、目で追っていることしかできなかった。
灰色の自分の席から遥か遠くにあったリカルトのいる場所は、いつだって華やかで明るくて、お日様のようだった。
授業終了後の寂寥感。
帰って行くリカルトの背中に近づきたくて……。
せめて一言……。
きっかけが欲しかった。
……気安く彼を呼んでいる、彼の大勢の友人たちが羨ましかった。
(ずっと、羨ましかったんだ……)
「……じゃあ、お言葉に甘えて。一つ、良いかな?」
「なっ、何だ?」
リカルトが子犬のように、目を輝かせている。
その瞳は、真っ直ぐでいつだって逸らされることがなかった。
今まで、逸らし続けていたのは、ミヤカの方だった。
だから、ミヤカも絶対に逸らさないことに決めたのだ。
「貴方のことをさ、…………りっちゃんって、呼んでもいいかな?」
「………………はっ」
「ずっと、呼んでみたかったんだよ」
リカルトが頭を抱えている。
「今更、それかよ……」
あからさまに、落胆している。
ミヤカにはその理由が分かるようで、今は分からないふりを貫くのが良いと感じていた。
彼の言葉を、ミヤカが理解したくないのは、長年の夢が彼の友人になることだったからかもしれない。
真横にそびえるカネリヤ山を一睨みしたリカルトは「好きなようにしろ……」と、まるで用意していたかのような言葉を紡いだ。
学生時代の自分が受け入れてもらえたような気がして、大満足のミヤカと違い、リカルトは苦虫をつぶしたような表情を延々としていた。
……が、ややしてから、意を決したように、問いかけてきた。
「お前はさ……。夫のことを「ちゃん付け」で呼ぶ趣味があるのか?」
「……あ」
まさか、その話を今ここで蒸し返してくるとは、想定外の頭の速さだった。
「友達になってくれたんじゃなかったのかい? りっちゃん?」
「友達はいいけどよ。普通、友達に……指輪なんてやらないと思うぞ?」
ミヤカは手中の指輪の箱を見下ろして、息をのんだ。
(…………そうかもしれない)
しかし、無表情の仮面を装着したミヤカは淡泊に言い返した。
「いまどきは、友達でも指輪を交換したりする……みたいだよ」
「そうなのかって……な。それで、俺が納得すると思っているのか?」
最近のリカルトは、なかなか手ごわい。
ミヤカが黙っていると、一人にやりと笑った。
「ふーん。一応、返却するつもりはないようだな?」
「だって、ルミア神国の神珠だからさ。私が持っているのが無難でしょう?」
「たった今、巫女姫とは、さよならしていなかったか?」
「……それは」
「いいから。指輪……はめてやるから、とっとと手を出せ」
「別にいいよ。はめなくても」
「指輪を指にはめないで、何処にはめるんだ?」
「首からぶらさげるとか、どうかな?」
「ふざけんなよ。いいから手を貸せ」
これ以上ごねたら、リカルトがキレそうだ。
渋々、手を出したミヤカだが、リカルトに盛大に溜息を吐かれた。
「それ、右手……だよな?」
「右手だけど?」
婚姻の証であれば、通常左手だ。
まるで計ったかのように、どっと、背後で大爆笑が起こる。
「笑うなっ!!」
二人の姿を好奇の目で眺めている観客たちに、リカルトは腹を立てているようだった。
「…………俺……お前には、人生懸けて復讐されそうだな」
「はっ?」
リカルトの声は小さすぎて、ミヤカには届かなかったものの……。
…………事実、その通りだった。
この後、問答の末、左手に指輪をはめることに成功したリカルトだったが、学生時代とは反対に、自分が彼女を追いかける立場になっていることに、まだ気づいていないのだった。
【 了 】
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!
ほんとに、これを書いている時、またこちらにアップしている時、いろんなことがあって、感慨深いです。
色々とつっこみどころは豊富だと思いますが、数あるお話の中から、拙作に目を留めて頂き、ありがとうございました。
お目汚しではありますが、どなたかに届けばいいかなって思います。




