第1章 ②
「…………その、こんなことは言いにくいけど」
「はいはい、分かってますよ」
「俺は、絶対に認めないからな!」
「もう、それでいいんじゃないかな……」
見れば、すぐに分かる。口に出して言うまでもないだろう。
リカルトの顔に、すべてそう書いてあるではないか。
彼は誰も巻き込まないために、たった一人で、ミヤカの相手をしているのだ。
正確には、国王に押し付けられたという話でもあるのだが……。
(まったく、何をやっているんだか……)
神珠の力で脅迫して、城内に潜入しただけではなく、第三王子に結婚を迫るとは……。
(わたしがもう少し大人だったら、こんな真似をしなかったのかな……)
――再会した瞬間……。
リカルトがミヤカのことを、まったく知らない雑巾のような目で見るから……。
腹が立って、彼が嫌がることをわざと口にしてしまったのだ。
(これって、一般国民なら、処刑場に一直線の不敬罪だよね?)
一刻も早く、すべてをリカルトに白状した方がいい。
だけど、結果的に、ミヤカの要望は通ってしまっている。
今更、謙虚になったところで、罪状が消えるわけでもないのだ。
(だったら、もう、いけるところまでいってやろうじゃないの。嫌がらせしまくってやる)
後ろ向きに開き直ったミヤカは、リカルトの私室で、緋色の椅子に深く腰を掛けていた。
リカルトの部屋は城の南側にあって、とにかく広い。
個人図書室までついている程だったが、生活感はまるでなく、ただ派手な装飾が目を惹くばかりだった。
初めて目にする赤い天蓋つきの寝台と、白と金の内装。花柄のカーテンは重々しく、豪奢だ。
よそ行きとはいえ、全身黒ずくめでやって来たミヤカが痛ましいくらいのキラキラした部屋だった。
「……まっ、そうだね。新婚生活を始めるのには、いい部屋かもしれない」
「あのさ、お前、人の話を聞いていたか。しかも、急に丁寧語やめやがって……」
「王子と、わたしは共に十八歳。同い年じゃないか。大体、同級生に丁寧語なんか使われて、垣根を作りたくないって日頃から言っていたのは、貴方の方だよ?」
「………………一体、俺がいつそんなこと、お前に言った?」
どうして、そこでミヤカの素性を疑わないのか……。
(もう、いいんだ。別にわたし宛てにこの人が言ったわけでもないんだから……)
「とにかく、俺はだな……」
「はいはい、ちゃんと聞いているよ。王子がわたしを妻と思いたくない気持ちは分かるし、それでいいけど、国王陛下は条件を呑むと言っていたからね。王子がどんなにわたしを毛嫌いしようが、わたしは王子の妻なんだ」
「妻、妻って、何度も連呼をするな。恥ずかしい!」
どうして、そこで彼は頬を赤く染めるのか……。
彼はミヤカと同じ十八歳だ。
ミヤカの知らないところで、それなりに経験もあるだろうに、可哀想なほど初心な反応だ。恐れ多いと思っているのに、つい弄りたくなってしまう。
「ひどいな。兄の国王陛下と違って、リカルト様は、ずいぶんとわたしに素っ気ない態度を取るね。もう少し、わたしを敬ったら、どうなのかな?」
「お前の手品は、本場の魔術を見たことがある俺にとっては、怖くも何ともない。それに、なんか……、お前のことは悪人とも、思えないしな……」
「…………おや? わたしのことを知っていると?」
「まさか。俺の知り合いに、汚い箒をふりかざしながら、国の救世主になるなんて、本気でそんな痛いことを言う奴はいない」
「痛い奴で悪かったね……」
ミヤカは冷笑を浮かべながら呟いた。
やっぱり、彼は何も変わっていない。
たったの半年で変わる性格もないだろうが、無自覚ほど、性質の悪いものはないのだ。
「益々、意味が分からんな……。この世を救ってやるから、結婚しろって、普通、協力しろだろ? なぜ結婚? 肝心なところが吹っ飛び過ぎているだろう?」
「わたしの価値観に口出しをしないでもらいたいな。それに、安心しても良い。わたしだって、突然王子を取って食うつもりもないんだ」
「当たり前だ」
リカルトは腰に佩いている剣を叩いて、存在を訴えた。
「俺は剣が使える。最悪、お前を斬ることだって出来るんだからな」
「ふーん、わたしを君が斬ると? それはそれで、面白いかもね」
リカルトが剣術に優れていることを、ミヤカはよく知っていた。
斬られたフリをするのも悪くはないが、多分、彼は言っているだけで、女を手に掛けることは出来ないだろう。
大体、剣を使うくらいなら、毒を盛った方が早いのだ。
しかし、先程部屋に持ってきた食事には、毒どころか睡眠薬すら盛っていなかった。絶対に、リカルトに誰かが助言したはずなのに……。
(憐れな……)
不器用なほど真っ直ぐと言うのは、このことを言うのだろう。
彼が国王にならなかったのは、この国にとって幸いなことに違いない。
「だけど、今わたしが死んだら、否応なくこの国も滅びるんだよ」
「だから、その怪しいほどに眉唾な話がだな」
「嘘じゃないよ。本当の話だって」
全部が本当という訳ではないが、一部は真実だ。
自分でも、いまだに信じられないことだが、この箒には、ルミア神国直系の血を引く、ミヤカにしか操ることが出来ない神珠が先端についている。
何度も怪しいと思ったけれど、本当なのだから仕様がないではないか。
「そんな胡散臭いことが現実にあるものなのか。それで、俺の人生を、得体の知れない神とやらに捧げろとでも言うのかよ?」
「なにも、人生全部を使い切ろとは言っていないよ」
どうせ期間限定なのだ。
巫女姫イリアからは、魔界の入口を塞ぐ期間は、三か月以内と申し付けられている。
(絶対に、言わないけれど……)
「じゃあ、いつまでのことなんだ?」
「そうだね。たとえば、子供が生まれる頃までとか…………」
「こっ!?」
適当に放った台詞だったのに、リカルトの反応はいちいち過剰だ。
可哀想なくらい全身真っ赤になっている彼の姿に、ミヤカもつられてしまいそうだった。
(わたしがつられて、どうするの……)
ミヤカまで照れてしまったら、この関係は成立しないのだ。
リカルトから素早く離れたミヤカは、余裕なふりをして、巨大な寝台に向かっていった。
「さて……と、まずは、そういうことだから、早速一緒に寝ることにしようか。殿下」
「…………………………はっ?」
とたんに、青ざめていくリカルトに、ミヤカ自身も知らなかった嗜虐心が芽生える。
「さっき、貴方は婚姻の契約を交わしたじゃないか。夫婦って、二人で寝るものでしょう?」
「馬鹿を言うな! お前には、専用の部屋を用意させる。だいたい、救世主が人間と結婚してもいいのかよ。おかしいだろう!?」
「救世主だからこそ、人間なんだよ。別に、ただ一緒に添い寝するくらい良いじゃないか?」
「一人で寝ろよ。俺は……」
「花嫁を捨てて、寝室から逃げるなんて、最低な男だ。こんなのが第三王子なんて……」
「だから、ぜんぜんっ、お前なんか花嫁なんかじゃないからな!」
「王子は、この国を破滅させたいのかな?」
「その程度で破滅させる気なら、とっとと滅ぼせって言うんだ!」
(そこまで添い寝が嫌なのか……)
ミヤカは、仄暗い笑みを浮かべた。
「やっぱり、リカルト王子は自分の立場が分かっていないようだね」
逃げるように、部屋から出て行こうとしているリカルトを、ミヤカは神珠の力を使って、真綿のようにふわりと浮かせてしまった。
「ちょっと待て! 一体、お前、俺に何をする気だっ!?」
「何って? 決まっているじゃないか?」
体だけは鍛えているリカルトを、ミヤカはあっという間に、寝台の上に組み敷くことに成功してしまった。
体力に自信のある彼にとっては、屈辱的なことに違いない。
「待て! 馬鹿な真似はよせっ! さっき取って食わないって言っただろ!?」
「王子が悪いんじゃないか? で? ここで人を呼ぶのかい? いいね。王子が見ず知らずの訳分からない女に襲われて悲鳴をあげる構図……。発見者もドキドキだな?」
くるりと彼に背中を向けたミヤカは、寝台の隣の小さな机の横に箒を立てかけた。
そうして、あらかじめ給仕に用意させて、ポケットの中に仕舞っていた物を取り出す。
「なっ、何をするつもりだ! おいっ! やめろ!!」
「なにって、そんなこと、決まっているじゃないか?」
組み敷かれたままのリカルトには、机上で準備をしているミヤカの様子を知ることはできない。
不安をそのままに、声を嗄らして叫んでいる。
ミヤカは、ふふふっと、怪しい笑みと共に柔らかなリネンの上に上がっていく。
初めて感じる寝台の弾力に戸惑いながら、リカルトの顔に接近していった。