第4章 ⑦
老朽化している扉がぎいいっと音を立てて開く。
声の主は、老人だったらしい。
薄暗い室内の中で、目が眩みそうなほど華々しい紫の祭服をまとった老人は、白髪頭に重そうな冠をかぶっていた。
「あの人……」
確か、先ほどリカルトが話していた一等派手な教父だ。
手前にいるレナートの顔つきが明らかに硬くなっていた。
「…………大教統。どうして?」
「えっ? だいきょう……とう?」
リーラ教の存在は日常に溶け込んでいても、リーラ教の頂点に君臨している大教統の名前も顔も、ミヤカは知らない。
けれど、国王と大教統の関係など分からずとも、二人の間に漂う並々ならぬ緊張感は肌で感じることはできた。
「陛下のお戻りが余りに遅いので、様子を見にきたら、一体何をされているのです?」
「これは、その…………」
大教統の背後で、ノエルがレナートに向けて申し訳ないと手を合わせている。
ノエルが足止め役だったのだろうが、失敗してしまったようだった。
大勢の兵士たちと教父たちが扉の外でもみ合うように待機していた。ここまで大教統が率いて来たに違いない。
「陛下、わたしには言いにくいことでしたか? 貴方は、魔界の入口を探してここに来たのでしょう?」
「さあ、何のことでしょうね? 何にしても、祝賀会を抜け出してしまったことはお詫びします。今すぐ戻りますから……」
レナートが髪を整えながら、扉の前に佇んでいる大教統の前に行くが…………。
「そこの祭壇の下ですよ」
「えっ?」
「貴方がたのお探しの「魔界の入口」とやらは……」
あっさりと放たれた一言に、その場にいた全員が息をのんだ。
「かつて、この地にルミア神国の神殿があって、その祭壇の下に、彼らが神事の時に使用していた穴が開いているということは、先代の大教統から聞いて知っています。最初から、すべてをお話していただけたのなら、もっと早く協力できましたのに……」
「失礼しました。ルミア神国の神事のことなど話すべきではないと思ったもので……」
「確かに……。ルミア神国は、リーラ教にとっては邪教でございます。まあ、魔術師に比べれば、マシかもしれませんが……」
大教統の一睨みで、近くの教父たちが駆け付け、ルーセンを捕えてしまった。
ルーセンは、ただ目を丸くしているだけだ。
魔術師なのに、抵抗らしいこともしない。
「大教統、待って下さい。この者はクラウト付きの従者です。貴方には関係ないはずです」
「その魔術師に殺されかったのは、あなたでは? ……。陛下はつくづく甘いお方ですな」
大教統は一歩ずつこちらに近づいきた。
蛇のような視線は真っ直ぐミヤカに向かっている。
それに気づいたリカルトがミヤカを護るように前に出た。
「大教統、申し訳ないのですが、今日は一度帰して頂けますか? また伺いますから」
「なぜです? リカルト殿下。せっかくここまで来たのに……。そのルミア神国の娘が魔界の入口を封じることで、我が国が安泰となるのなら、今すぐ封じるべきでしょう?」
「しかし、それは……」
「祭壇をずらして差し上げなさい」
感情のない一言に、黒衣の教父たちが駆け寄ってくる。
数人がかりで、祭壇をずらすと、鉄製の小さな扉がこぢんまりと存在していた。
「魔界の入口? これが……?」
「どうぞ。巫女姫殿……」
大教統は、ミヤカに扉を開けるよう、目で訴えた。
この老人の思い通りにだけはなりたくなかったが、駄々をこねるわけにもいかず、ミヤカは渋々取っ手を引っ張った。
取っ手は思いがけないほど、軽かった。
開けた先には…………。
「穴……?」
丸い小さな穴が開いていた。
丁度、箒の先端についている神珠の丸い形と同じ大きさになっている。
思った以上に、単純な造りとなっている「魔界の入り口」に、ミヤカは拍子抜けしてしまった。
「これが……?」
…………こんなもののために、自分は命を削ろうとしているのか?
その場に座り込み、しばらく小さな穴の入り口に見入っていたミヤカだったが、しかし、その底に何か赤いものがちらちらと燃えている様を確認して、意識を切り替えた。
「…………赤い……龍?」
深淵に、真っ赤なものがちらちらと見える。
燃えたぎる炎が触手のように、赤く伸びては、縮むことを繰り返している。あれがカネリヤ山の地中深くで燃えたぎっている炎なのだろうか……。
巫女姫、ルーセンの口にしていたことが本当だったのだ。
「確かに、赤い龍のようにも見えるな。火の塊だ」
同じ物を目にしているレナートが呟いた。
「……熱い」
心臓がぎゅっと締め付けられる感覚がした。
ルーセンとの対決で、完全にむき出しになっている箒の先端部分……神珠の発光が更に増している。
「さあ、封じなさい。ルミアの巫女姫殿。急がないと、天災が発生してしまうのだろう?」
「やけに、博識ですね?」
ミヤカは精いっぱいの皮肉をぶつけてみたものの、嘲笑で一蹴された。
怪しさに満ち溢れているが、大教統のことを調べている猶予はなさそうだ。
観客が多すぎる。
イリアが心配そうに、ミヤカのことを見守っていた。
「ミヤカ……」
「大丈夫。ちゃんと、分かってるから……」
この期に及んで、抵抗するつもりはなかった。
神事を行うために、ここまで来たのだ。
ただ彼に一目会いたいと思っていただけだ。
それなのに、思いがけず、リカルトと一緒の時間を過ごすことができた。
彼を困らせてばかりいたけれど、もう十分楽しんだではないか……。
(それに……)
身体が熱くて、眩暈がする。
すでに、神珠は三百年以上前からの定位置に戻りたくて、仕方がないようだった。
「ミヤカ……。ここは俺が」
リカルトがミヤカの手をきつく握りしめた。
何を企んでいるのだろう。
絶対によからぬことだ。
こんなところで暴れる方が恐ろしい。
「いいんだよ。リカルト王子。わたしは元々、そのつもりだったんだから」
ミヤカはそっと、その大きな手を離す。
再び、手を取ろうとしたリカルトを阻止するため、ミヤカはリカルトの耳元に顔を寄せた。
「なっ、何だよ?」
こんな時でも、健気に照れている彼が面白い。
「そんなことよりさ、リカルト王子……。話しておきたいことがあるんだけど……」
ミヤカは、リカルト王子に微笑みかけると、小声で耳打ちをした。
「えっ?」
言葉をすべて聞き終えたリカルトが目を丸くしている。
「ミヤカ、それは?」
「わたしはそう思うんだけど……?」
動揺したリカルトの隙をついて、ミヤカは小さな穴の前に向かった。
足元からふわりと旋風が舞い上がり、神珠の発光がより激しくなる。
「ミヤカ!」
我に返ったリカルトが追いかけて来たが、すでに遅い。
ミヤカは、箒を掲げてその先端の神珠を力いっぱい、その丸い穴……「魔界の入口」に挿入した。
「…………っ!」
閃光がミヤカの身体を包みこみ、四方に弾け飛ぶ。
枯れ枝を束ねたようにしか見えなかった箒が差し込んだ部分に深く根を張り、みるみる頑丈な枝を形成し……………………。
………………そうして
ただの古ぼけた箒は、一本の大木へと変化を遂げたのだった。




