第4章 ⑤
――やっぱりだった。
リカルトの身内は、ざっと数百人以上いるらしい。
(それ、普通、身内って言わないからね……)
リカルトはミヤカを傍に置きたかったが、こんなに大勢、人間のいるところだからこそ、ミヤカはあえてリカルトから距離を取ることにした。
(王子様だもんね……)
より一層、痛感した。
学生時代も、今も、面と向かって話すと、どこまでも子供っぽいのに、公の場にいるリカルトは実に如才ない。
口元に湛える笑みも屈託ない品のあるものだった。
辛気臭い聖職者たちは嫌いだとか言っていたくせに、その面々とも朗らかに談笑している。ノエルもまたレナートと一緒に、一等派手な紫色の法衣を身に着けている白髭の老人と話し込んでいた。
(……みなさん、高貴な方々だし)
祝賀会は、この後、場所を移動して、大教統の説法の後、神の御前で皆と一緒に国家平安の祈りを捧げ、ささやかな会食を経て、散会するのだと聞いた。
(すごいな。王様がぱっと声を掛けただけで、これだけの人が集まっちゃうんだもの。これは、ルミア神国復興なんて、夢のまた夢ということだよ)
誰もミヤカを相手になどしない。それはそれで好都合だ。
ミヤカは、リカルトが人に囲まれているのを横目に、そっと宴席を離れた。
赤絨毯を敷き詰めている城とは違い、大理石の床は滑りやすくて、歩くのに集中力が必要だった。
両手で箒の柄を握りしめ、教父たちと出くわさないように、感覚のままに進む。
「ここまで来たら、がんばろう」
その台詞を合言葉のように繰り返した。
目的は、ルミア神国の神事。魔界の入口を封じること。
それのみだ。
(余計なことは、何一つ考えたくないのに……)
大教堂の中から、垣間見える冷然としたカネリヤ山の姿に、身体が震えてしまう。
絶対に、ルーセンのせいだ。
(あのオジさんが、怖がらせるから……)
いっそ、こんな形で神事を行うのなら、何も知らない方が良かったのかもしれない。
三種の神具の話を聞いたところで、そんな壮大な話、ミヤカには関係ないではないか。
(いや、ちょっと待てよ)
あえて、ルーセンが三種の神具の話を、ミヤカに聞かせたとしたのなら?
彼の不自然な行動の数々、神具絡みだとしたら、どうだろう?
(もしかして、神珠以外の神具が近くにある……とか?)
分かりそうで、さっぱり分からない。
だったら、考えることを放棄するしかない。
体を動かすのだ。
「……なんか、地下っぽいな」
ミヤカは、大きな独り言で、先を急いだ。
実際、身体の奥が疼く感覚はあるのだ。
それをたどっていけば、魔界の入口にたどり着けるはずだ。
階段を探そうと、行き止まりの道から、方向転換をする。
このまま上手くいけば、リカルトのに頼ることなく、一人で滞りなく神事を行うこともできるかもしれない。
――しかし……。
そう上手く思惑通りにいかないのが、ミヤカの人生だった。
「あら、貴方、ミヤカ……? ミヤカ=ファーデラじゃない?」
「…………げっ」
ミヤカはとっさに逃げようとして、抱えていた箒を落としてしまった。
慌てて拾い上げた時には、もう遅い。
忘れたくても忘れることのできない顔が、三つも並んでいる。
(どうして、こんなところに……?)
学生時代、散々ミヤカを苛めた連中だ。
着飾って、濃い化粧はしているが、卒業から、たった半年しか経っていない。
面影は十分にあった。
「本当だ。ミヤカだわ」
「髪も黒くなっちゃって……」
三人組は、古い玩具を発見したかのように、瞳の色を変えている。
(よりにもよって、どうしてこんな時に会うかな?)
彼らの台詞をそっくりそのまま、ミヤカがお返ししたかった。
「どうして……根暗で陰気なミヤカがいるのよ?」
「……さあ、どうしてでしょうか……ね?」
「陛下主催の祝賀会よ? もしかして、リカルト王子狙いで来たとか? やだあー」
「………………それは……その」
悲しいことに、子供時代からの習性というのは、なかなか抜けないらしい。
体が硬直すると共に、ミヤカの思考能力は凍り付いてしまった。
すると、彼女たちは鼻歌でも口ずさむように明るく、ミヤカの悪口を語り始めた。
「そうよねえ、言えないわよね。きっと招待もされていないのに、忍び込んだのよ」
「わたし達は、みな陛下のお知り合いに血縁がいるから、招待されたけど、ミヤカさんには、そんな人いないものね?」
「大体、なに、その変な棒? 場違いにもほどがあるわよ。ダサすぎるわ」
棒ではなく、箒だと知れたら、この程度の中傷では済まないかもしれない。
言い返すことができない。
まさしく、その通りなのは、ミヤカ自身、自覚しているのだ。
「ねえ、理由を言いなさいよ。忍び込んだのなら、衛兵に引き渡してやるから」
「違う……。わたしは魔界の……」
「はっ?」
三人一斉に、目を丸くした。そこで、ミヤカはどきりとして、口をつぐんだ。
(魔界の入口がどうのなんて、痛すぎる……)
現実に足のついた発言をしている彼女たちに比べて、浮世離れした状況に身を置いている自分は何なのだろう。
「ミヤカったら、気合の入った化粧に、ドレスよね。これは、本気ということだわね?」
「…………いや、これは」
彼女たちの言いたい放題を止めることも出来ずに、拳を握りしめるだけで精一杯だった。
「ねえ? 何とか言ったら、どうなの?」
「ミヤカさんは、昔から口数が少なくて、喋れないのかと思ったんだけど、この先、大丈夫なのかしらね?」
「心配しなくても、ルミア神国の直系と結婚しようなんて、奇特な男はいないから……」
とても楽しそうに、笑い合っている。
もううんざりだった。
幸いなことに、今のミヤカは、簡単に彼女たちを吹き飛ばす力を持っている。
(いっそ、吹っ飛ばしてやろうかしら?)
いい加減、限界だと箒を掲げようとしたら……。
「ミヤカっ!」
息を切らして、リカルトがこちらに走って来た。
「何……で?」
どうしてこんな時に、この人もこんなところまで走って来るのだろう。
「お前さあ、いきなりいなくなるから、心配しただろう。面倒な連中と会わせたくないから、俺が代わりに相手を引き受けてやったのに、一人で勝手に何をやっているんだよ?」
「……それは失礼しました」
ミヤカは上の空で謝罪した。
この期に及んで、高慢で我儘な性格を偽る演技力もない。
三人の少女たちは、水揚げされた魚のように口をぱくぱくさせていた。
「ちょっと、リ、リカルト王子、どうして、貴方さまがこんなところに……?」
「今、ミヤカって……?」
「おい、ミヤカ?」
リカルトは、まるで彼女たちに聞かせるように、再度ミヤカを呼び捨てにした。
「お前、おかしいぞ? 何、しおらしくなっているんだよ?」
「……基本、わたしは、いつもこんな感じですね」
「……いつも……だと?」
あからさまに不愉快な表情を浮かべたリカルトは、強引にミヤカの肩に手を置いた。
「あのさ、ミヤカに声を掛ける男って……ここにいるんだけど?」
「……王子?」
何も聞いていないなんて、とんでもなかった。
リカルトは、一部始終……、いや、かなりの部分を耳にしていたらしい。
(……気まずい)
けれど、身をよじっても、リカルトの力は強くて、振り解けそうもなかった。
「嘘でしょ? だって、リカルト王子って、ミヤカと全然共通点なかったじゃない?」
「そうですよ。冗談でも言って良いことと悪いことがあります。陛下のお耳に入ったら?」
「悪いけど、陛下も公認だし。こいつ、俺の嫁だから……」
「………………はあっ!?」
一番「結婚」を嫌がっていたのは、リカルト自身ではないか。
ミヤカを助けるにしても、もう少し言い方があるだろう。
いかにも、噂話大好きな三人組なんかに、出任せであっても口にして良い台詞ではない。
「あの、王子? 今のは絶対に訂正が必要で……」
「いいから、お前は黙ってろ」
青筋を立てているミヤカの口元に、そっと指を当てたリカルトは、ミヤカの肩を抱いた密着した姿勢のまま、ゆっくりと歩き始めた。
「ちょっ、ちょっと、リカルト王子。本気ですか? だって学生時代、この子とは何の接点もなかったじゃないですか? 第一、ミヤカは、黒髪で、ルミア神国の血が濃い。サンマレラ人とは異なっておりますよ」
「…………だから?」
リカルトは振り返ることもなく、言い返した。
「とにかく、こいつは俺の嫁だ。ミヤカを侮辱したら、許さないからな」
ごくりと、彼女たちが押し黙ったことを、確認しつつ、リカルトは、そのまま真っ直ぐ進んだ。
やがて、くるりと角を曲がったところで、誰もいないことを見計らうと、愚直なまでに真っ直ぐ、怒りを露わにしたのだった。
「俺、ああいうの嫌いなんだよ。本当に腹が立つな」
「…………はあ」
「ああいう奴ら、見ると、黙っていられなくなる」
「…………よく言う。王族の付き合いなんて、ああいう人たちばかりでしょうに?」
「ああ、そうだよ。あんな奴らばっかりだ。ここは腐った性根の奴が多いのも事実だけどな。だからこそ、そういうのに出くわすたびに、俺はぶちのめすって決めているんだ」
「殊勝な心掛けだね……。貴方以外、誰も、真似できそうにもないことだと思うよ」
「そういう問題じゃないだろう。お前、ずっとあんな奴らに、いいように言われていたのかよ。ルミア神国の子孫だからって、サンマレラは差別しない政策を取っているはずだ。どうして、学生の時、俺に言わなかった? ぶちのめすのなら、協力したのに……」
「名前も知らない同級生のために、王子自らが協力ね……」
「ミヤカ、お前、絶対誤解していると思うんだけど?」
「はっ?」
リカルトは、再び腰を屈めて、ミヤカを覗き込んだ。
「俺、基本的に面倒臭いから、女の名前は覚えないようにしているんだ。あいつらだって、顔は知っているけど、名前なんか知らない。聞いたとしても、その場限りだ」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。お前の方こそ、ちゃんと俺のこと知らないだろう? 俺が名前で呼ぶのは男友達くらいだ。女を名前で呼んだことは一度もないぞ。だいたい、家の関係で覚えなきゃならない名前が沢山あるんだ。接点のない女の名前まで記憶してられるかよ」
きっぱりと言い放つリカルトの横顔がほんのり赤くなっている。
そういえば、いつも遠くから見かけるリカルトは、男友達とばかり一緒にいたような気がする。その変な真面目さに、ミヤカは思わず吹き出しそうになって、慌てて横を向いた。
「ああ、なるほど、そうか……。だから、リッカルド君は勉強ができたのかもね。詰め込むものが限られていれば、頭の中に入って来やすいだろうし……。最大の謎が解けたよ」
「うるせえな。それとこれとは話が違うだろう?」
「……そうだね。じゃあ、事が終わったら、わたしの名前も忘れて構わないよ。だいたい、結婚だなんて……。言っていい相手と、悪い相手があるんだよ。本当に結婚することになったら、どうするの?」
「お前がそれを言ったんじゃないか? 本当に嫌がらせってだけで、結婚を持ち出していたのか。ただの少しも、俺と仲良くしたいとは思わなかったとでも?」
真剣に返されてしまうと、動揺してしまうのはミヤカの方だった。
返答に悩んで、黙っていると、深く重い溜息をリカルトが零した。。
「つくづく、可愛げのない奴だな。ミヤカ=ファーデラ」
「……うん」
ミヤカ自身も、そう思っている。
(嫌われて、当然だ……)
だけど、優しリカルトは、突き放すこともしないのだ。
「俺はお前のことを、忘れてなんかやらないからな」
「…………そう」
「ぜったい、だからな!」
(どうして、この人は昔から、こうなんだろう……)
奇跡のような純粋さだ。
ミヤカは、本音を返すことすらできないのに……。
――可愛くない。
(……その通りだ)
素直じゃない。
一番、言いたいことを伝えることもできない。
こんな自分が大嫌いだった。
苛められたから屈折したのか、屈折しているから、苛められたのか……。
多分、両者だろう。
もしも、願いが叶うというのなら、こんな自分こそ、どうにかしてしまいたかった。




