第4章 ②
――リカルトの正体が学園で発覚したのは、十五歳の時だった。
国王……つまり、リカルトの父が亡くなったことで、緊急に城の四頭馬車が彼を迎えにきたことで発覚したのだった。
黒髪から、金髪へ……。
それから開き直ったリカルトは、染めていた髪を元に戻して学園にやって来た。
まるで雛鳥が成長して、羽色を変えたかのように、彼は一際、眩く輝いていた。
けれど、リカルトが生来の美しさを発揮すればするほど、ミヤカは、内心がっくりしていた。
ルミア神国の人間だということを隠したい一心で、髪色を変えていたミヤカは、堂々と黒髪を貫いているリカルトに、一方的な憧れと親近感を覚えていたのだ。
彼の存在一つで、中傷も罵倒も跳ね飛ばすことができたのに……。
(なんだ……王子様だったんだ)
がっかりだ。
彼はミヤカにとって、心の中の同胞だったのだ。
「やっぱりね。リッカルド君は、どこか品があって、華やかだったから、地味な黒髪のはずはないって思っていたのよ。王子様と聞いて納得したわ」
「貴方の家は王家にも縁があるんでしょ? リカルト王子と釣り合うんじゃないの?」
「まさか、わたしなんて、滅相もない。…………でも、少なくとも、貴方は絶対に無理よねえ。ミヤカ=ファーデラ」
目の前で、いつもの三人組の女生徒たちが滑稽な恋話に花を咲かせている。
絶対に何かおかしなことに巻き込まれるだろうと、警戒していたミヤカだったが、案の定、前を塞がれて、逃れることができなくなってしまった。
「聞いているの? ミヤカ=ファーデラ」
「……この子、いつもリッカルド君のこと見ているのよ……」
「はっ?」
それは、自分でも新しい発見だった。ミヤカは、常にリカルトのことを見ていたらしい。
でも、それは仕方のないことだった。
彼はそれだけ目立つのだ。
リカルトのことを見ているのは、ミヤカだけではない。
男女生徒教師問わず、みんな注目している。
きっと彼女たちは、自分たちの恋路が叶わない鬱憤を、ミヤカを嘲笑うことで解消しようとしているのだ。
(かわいそうに……)
ミヤカは蔑みの目を向けそうになって、頭を振った。――が、それは逆効果だ。彼女たちは、ミヤカの忍耐力が切れるのを待っているのだから……。
「では、わたしは、これで……」
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
後ろを向いて、駆けだしたミヤカを、話が終わってないとばかりに、三人組が追いかけて来る。ミヤカはどうして、こんなことをしているのか分からなかった。
窓の外、夕陽に染まる庭を通って、リカルトが颯爽と帰って行く様子を視界の隅で捉えていた。暢気なものだ。
(わたしは、今まさに貴方のせいで、大変な目に遭っているのに……)
リカルトのせいじゃないことは、百も承知だ。
ミヤカの彼に対する期待も、失望も、すべて一方的な想いによるものである。
すべて八つ当たりだ。彼女たちとミヤカは同じ穴の貉なのに……。
「あんた、気持ち悪いのよ!」
誰かが言った。ミヤカは走りながら、心の中で何度も呟いたものだった。
(大丈夫……。わたし、ここ卒業したら、ひっそり誰とも触れずに生きていくから)
――それが。
「何でこうなるのかな……」
学生時代の遠い日のように、後ろを向いて全力で逃げてしまいたい。
……なのに、向かい合っている黒装束の男は、静かにそこで本を読んでいた。
豪奢な王城の中にあって、異質なほど黒い存在。
ミヤカの視線に気づいたのか、男は本から目を離して、じろりと睨みつけてきた。
「何です? わたしは、さきほど、謝罪したはずですが?」
「罪悪感の欠片もなく、棒読みされましても……ね」
ミヤカは、ルーセンの精悍な面差しを再び凝視してから、目を擦った。
見間違えるはずがない。つい先達て、この男にミヤカは毒針を放たれたのだから……。
(そもそも、わたし、どうして、こんなことになってしまったのかな……?)
ミヤカが城の王宮図書館に来ていたのは偶然だった。
巫女姫に命懸けの案件になると聞かされたことで、さすがに危機感を抱いたミヤカは、リカルトを経由して、ルミア神国の資料が置いてある部屋に入れて欲しいと頼んだのだ。
シモンは今更になって、神事反対を訴えるだけの困った人となってしまった。
あまりにうるさいので、神事について一切喋ることかできないように、シモン直伝の暗示をかけたところ、それもまた不快だったようで、お互いに避けるようになってしまった。
巫女姫イリアもまた、詳細を尋ねても、記憶がおほろげだと言い張るばかりで、役に立たない。
――だったら、自分で頑張るしかない。
…………と。古いルミア神国の資料を目当てに、図書館までやって来たのだが、資料を手に椅子に座ったとたん、向かい側の席に腰をかけているルーセンに気づいたのだった。
(おかしいよね?)
地下牢に捕えられているはずの彼が城の図書館で優雅に本など読んでいるのだ。
「まさか、無罪放免……?」
「とんでもない。ただ牢から逃げただけですよ」
「いやいや……。逃げちゃ駄目でしょう。そもそも、逃げ出して図書館なんかに潜んでいたら一発で確保されますよ?」
「むしろ、確保してもらった方がいいのでは? 貴方は被害者ではないですか」
「…………そうだった」
ミヤカは、神珠のついた箒を抱え込んだ。
愚かだった。出会い頭に攻撃をしていれば、ルーセンを簡単に捕えることもできたはずだ。……なのに、向かい合って座ったあげく、話し始めてしまったのだから、甘すぎる。
「別に警戒しなくとも、神珠なんて物騒な物、こんなところで盗ろうなんてしませんよ」
「…………はい?」
(何なの。この人?)
その物騒なものを盗ろうと、先日躍起になっていたのは、何処の誰なのか?
「貴方、見事に騙されているみたいですね。あれは芝居です。神珠の存在を明らかにして、ある人物の出方を見極めたかっただけです」
「ある人物?」
「それを、貴方に言う義務はないでしょう?」
「じゃあ……力づくで、吐かせると言ったら?」
「確かに。この状況は貴方にとって大変有利です。……しかし、神珠の力は使わない方がいいのでは? ここで倒れても助けは来ませんよ」
「…………何……で?」
ミヤカは耳を疑った。
あの日、シモンと巫女姫以外は、ミヤカの倒れた原因は、毒針だと思っている。
それが神珠のせいも多少あったなんて、誰も思ってもいないだろう。
「知っていますよ。その神珠は、巫女姫の体力を還元して力を使うものでしょう? 先日、貴方に用いた毒針は、大変毒性の低いものでした。通常であれば、虫刺され程度の腫れで済むものだったのに、貴方は卒倒してしまった。貴方の体力を確かめるために、毒針を放ったわけですが、予想以上に深刻のようで、わたしの方が焦りましたよ」
ルーセンは再び手元の本に視線を移し、頁をぱらぱらとめくり始めた。
先日の激昂していた彼が嘘のように、穏やかだった。
芝居というのは、どうやら本当らしい。
(……ということは、その人の出方を見ることこそが、この男の狙いってわけ?)
分からない。
聞きたいのに、ルーセンは隙がなかった。
「リカルト王子に負けず、劣らずの鈍感ぶりですね。こんな小娘が同族とは、嘆かわしい限りです」
「同族って? 貴方、一体……?」
「わたしの生まれはこちらです。紆余曲折あって、大陸に行かざるを得なかっただけのこと。魔術師と言うだけで、奇異な目で見られるのです。元はルミア神国の人間だなんて告白したら、クラウト王子の傍にいることは不可能でしょう。だから、黙っていたのです」
「そうです……か」
薄茶の髪だけであれば、純粋なサンマレラ人にも多い。だが、琥珀色の瞳に関しては、確かに、この国には少ないようにも思えた。
「……ルミア神国の血を引く者として、わたしなりに、色々と調べていました。神珠は神具と呼ばれているものの一つ。この大陸に三種類存在している神具は、いずれも未知なる力を宿していて、そのすべてを揃えると、世界を征服することも可能なのだそうです」
「ばかばかしい」
「本当ですよ。どうせ、貴方は神珠が何を封じているのかも、知らないのでしょうから、実感も持てないんでしょうけど?」
「それは……」
(………………図星だ)
ルーセンには、驚かされてばかりいる。
ミヤカは何も知らないし、調べ方も分からない。
赤い龍を封じるのだと、巫女姫は言っていた。
しかし、それが具体的に何であるのか、巫女姫も覚えていないと口にしていた。
(それも含めて、調べようと思っていたのに……)
「ご覧なさい」
ルーセンはすっと顎を引いて、背後の窓を見るようにうながした。
「えっ?」
窓の外は曇天。
景色は霞んでよく見えない。
けれど、ミヤカは彼の示唆していることをすぐに悟った。




