第4章 ①
「性急な呼び出しだったので、何のことかと思ったのですが?」
「申し訳ありません。わざわざご足労頂きまして……」
緊張しながら、レナートが白髭の老人と向かい合っているのが伝わってきた。
リカルトは黙っている。レナートから、同席したいのなら、余計なことを言うなと、釘を刺されたので、無口を貫いていた。
喋らないでいると、手持無沙汰で、つい老人の服装に目が行ってしまう。
踵までだらりと長い貫頭衣は、リーラ教の聖職者たちの正装だ。しかも、位が高いほど、色が変わっていく仕組みらしく、リーラ教の頂点にいる大教統が身に着けている祭服の色は紫色をしていた。
「陛下も在位五年ですか。早いものです。ご結婚もなされて、我が国も安泰でしょう」
「そうだといいのですが……」
「畏れを知っているのは、素晴らしいことです。ご心配なされますな。大陸が我が国に攻めてくることはあり得ませんよ。この国は、神に護られておりますから」
「そうですね……」
弱々しいレナートとは逆に、大教統は長い顎髭を撫でつつ、快活に笑っていた。
「承知いたしました。せっかくですし、陛下の五周年を記念して、内輪の宴席を開きましょうか。陛下もちゃんと大教堂の中をご覧になったことがないとのことですし、日取りが決まりましたら、こちらからお伝えしますよ」
「ええ、そうして頂けるとありがたいのです。修行の邪魔にならないよう、配慮は致します。予算等はこちらで工面致しますから。ぜひ、近日中に大教堂の一角を貸して頂きたい」
「ほう……。陛下は、それほどまでに、大教堂を?」
「わたし達兄弟は、敬虔なリーラ教の信者ですから。……な? リカルト」
「ええ。兄様」
リカルトは、ひきつった笑いを顔一杯に張り付けた。
(敬虔……ね。よく言うぜ)
涼しい顔で飄々とそんなことを言ってのけるのだから、やはりレナートには国王の器があるのだろう。
サンマレラ王家は、三百年以上前のサンクリスト王国時代からの流れで、リーラ教を保護しているが、どちらかというと、目の上のたんこぶと思っていた。
偉大な宗教的指導者など、でしゃばってきた日には、王の面子がないのである。
レナートも、この老人には手を焼いているらしい。今回の大教統も在位が長く、現在、たった一人でリーラ教を支配している。清貧に励む聖職者とは真逆で、派手なことを好んでいるという話も噂で耳にはしていた。
(……最低なジジイだ)
素直に、大教堂を貸してくれるなんて、それもまた怪しすぎる。
案の定、帰り際、今までリカルトが同席していたことに何ら言及しなかった大教統は、思い出したと言わんばかりに、核心を突いてきた。
「……そういえば、最近リカルト王子のもとに、滅びたはずのルミア神国の怪しげな術を使う黒髪の少女がやって来たという噂を聞いたのですが?」
さりげなさを装っているが、ミヤカのことは、とっくに特定できているのだろう。
(まあ、あれだけ派手に城にやってきたら、噂が立たないはずはないが……)
含みを持って、問いかけられると、リカルトも緊張してしまう。
「いや、そんな人、知りませんけど?」
あらかじめ用意していた台詞で、何とか切り抜けたリカルトに、温厚だった大教統は、目を細め、いかにも訳知り顔でうなずいてみせた。
「……そうですか。では、噂が間違っていたのでしょう。お妃様と、クラウト王子によろしくお伝えください」
そう言って一礼すると、大教統は従者と共に、そそくさと部屋から出て行った。
「…………なあ、分かったか。リカルト?」
しんとなった貴賓室の中で、レナートが頭を抱えている。
「あのジイさんに対する、わたしの心労が……」
隣のリカルトも深い息を吐き、長椅子に深くもたれかかった。
「まあな。あんなジジイと戦っていくのが王の仕事なら、本当にハゲるかもしれないよな」
「おい、わたしは、ハゲてないぞ」
……だったら、良かった。
兄がハゲていないということは、リカルトの未来も明るい。
「一応、礼を言っておくよ。兄様」
「別にそれはいい。魔界の入口を封じた方がいいと思ったのは、わたしだ。城の隣の大教堂に入口があると、せっかく分かったんだ。ジイさんに頭を下げることくらい、訳ないさ」
「信じてくれるのか?」
「ミヤカちゃんの話は、信用に足ると判断したんだ。文献にも巫女姫の神事自体は、記述が残っているんだ」
「……そうか」
「そんなことより」
レナートは、目尻の笑い皺を深く刻みながら、リカルトを肘で軽く小突いた。
「ミヤカちゃんは、よく白状したな。お前が色仕掛けを覚えたなんて、快挙だよ。リカルトの成長祝賀会を開いた方がいいような気がするな」
「あのなあ、だから、俺は何もしてないって……」
「本当に?」
「それは……」
やましいことは何もないはずだ。
あの時、距離は近づいていたが、色気なんてものはなかった。
(……だけど。なんか……こう?)
初めて、ミヤカと悪態つかずに目を合わせたような気がする。上気した頬と潤んだ瞳。熱を心配して、彼女の頬に触れた時の感触は、いつまでたっても忘れられなかった。
(黙っていれば、可愛いのに……)
あれから、彼女が憎まれ口を叩く度に、本音はそこにあるのではなくて、ただ照れているだけなのではないかと、ご都合主義の妄想が膨らんでいる。
あわよくば、もう一度触れてみたいなんて……。
「……こわっ! 危ねえ! 俺は変態かよ!?」
「な、何だ? リカルト、どうした!?」
「いや、別に!」
大声を上げて、頭を横に振った。軽く咳払いをして、真面目な顔を作りだす。
「あのジイさんが正面切って話の通じる相手だったら、良かったのになって、思ったんだ。ミヤカのことだって知っていたんだから、ルーセンのことだって、とっくに突き止めているはずだろう?」
「……だろうな。何も言わない方が不気味だ。クラウトに危害を与えないといいんだけど」
リーラ教は、魔術師を排除している。今回、クラウトが魔術師を雇っていたことは、王国側の弱みとなってしまった。今後、それを逆手にとって、どんな嫌がらせをしてくるか分からない。
「…………リカルト、そのことなんだけどな……」
レナートが神妙な面持ちで、リカルトに向き直った。
リカルトは、そこで、ルーセンがクラウトの手によって、地下牢から釈放されたことを知ったのだった。




