第3章 ③
ミヤカが目を覚ましたのは、夜だった。
昼過ぎには、気を失っていたのだから、結構な時間を眠っていたのだろう。
もっとも、元々寝不足だったので、ただ睡眠を補っただけなのかもしれないが……。
包帯ぐるぐる巻きの腕に、軽い頭痛を我慢して身を起こせば、高い天井に、鮮やかな花が描かれていた。すぐ隣には古ぼけた箒が立てかけられている。
(ああ、そうだった)
とんでもない失態をしでかしてしまったのだ。
気が重い。箒を奪われなかったことに、感謝するほど、愛着のあるものでもないが、それを護るように、待機しているリカルトの存在を認めると、改めて自分が大変な物を手にしてしまったような気がした。
「ここは……?」
見渡してみれば、ミヤカに宛がわれている部屋のようだった。
「ああ、起きたのか。大事がないようで良かった」
語尾の方にいくに連れて、夢のような単語があったが、きっと空耳だろう。
ミヤカが何も言い返して来ないことに、リカルトも面映ゆい様子でそっぽを向き、わざとらしく大きな声で言葉を紡いだ。
「えーっと、それにしても、お前の叔父さん、すごいな。城付きの医者が分からなかったのに、あっという間に、お前の毒を見抜いて解毒しちまった」
「あの人は昔から、余計なことに、詳しいんだ」
「そうなのか」
「うん」
そして、再び訪れた沈黙に、ミヤカ深い溜息を落とした。
「昼間の貴方の様子から、何となく気づいてはいたけど、あの人がわたしの叔父だということは、バレバレだったんだね?」
「それは……。まあな。完璧な女装だったが、こちらも一応国家運営しているわけだからな。そのくらいは見抜ける」
当然とばかりに胸を張っているので、ミヤカは吹き出しそうになるのを堪えた。
どうせ気づいたのは、ノエルとかその辺りだろう。
「それで、その叔父さんは、今、どうしているの?」
「お前の叔父さんは、姉さんが事情を聞いている。お前の叔父さんも、なかなか手強そうだから、自白は無理そうだけど……」
「どうでもいいことは、ぺらぺら喋ると思うけどね?」
「ルーセンは、捕えて地下牢に拘束中だ。あいつは、俺とレナート兄様を恨んでいたらしい。愚痴ばかりクラウト兄様に言って、親身に身体を治す方法を一緒に考えない俺達を。だから、一度懲らしめてやりたくて、茶をすり替えたそうだ」」
「……そう」
「ミヤカ」
「なっ、何?」
唐突に、リカルトが毒針の刺さっていた腕に触れたので、ミヤカはどきりとした。
「傷……痛むだろう? 毒を抜いても、数日は痺れが残るそうだ。少し赤く腫れてもいた。傷なんか残すくらいなら、最初から俺に全部任せておけば良かったんだ。そうだろう?」
(……そうだろうね。その通りだ)
でも、素直になれない。ミヤカは目を泳がせながら、リカルトの手を振り払った。
「びっくりだな。ルミア神国再興を声高に叫んでいる叔父がいるのに、善意で魔界の入口を封じるなんて、そんな得にもならないことをする人間を、貴方は信じられるのかい?」
「信じるよ。当然だろ」
「ははっ」
「嗤うな!」
躊躇すら一切しない、リカルトのいい人ぶりが、ミヤカの心に突き刺さる。
「わたしだったら、信じないね。まず正気かって聞くよ」
「一応、俺とお前は同級生なんだろう? 手伝って欲しいことがあるっていうのなら、言えよ。うかつに、毒になんかやられるなって。心配するだろうが?」
「心配?」
ミヤカは悪化した頭痛に、こめかみを押さえた。
(よくも、まあ、簡単に言ってくれる……)
「同級生ってだけで、無条件に心配するほど……そこまでお人好しでもないでしょうに?」
「知らねえよ。心配なんだから、仕方ないだろ?」
「…………そう……なんだ」
なんだって、心配してくれるのは有難いことだ。それなのに、ミヤカは礼の言葉一つ口にすることができない。恥ずかしくて彼の顔を直視することすらできないのだ。
(何で駄目なんだろう……)
ぎゅっと、毛布を握りしめた。
せめて、今回の事件を簡単に解決できるくらい、頭が良かったらいいのに……。
「……たとえば……さ、あの時、叔父さんが乱入しなかったら、どうなっていたんだろう? クラウト殿下が幽閉されるだけだったのかな?」
「分からんな。でも、前々からルーセンは怪しかった。姉さんが言っていたよ。あの場で一応、兄様を拘束するふりをして、ルーセンの出方を試したかったって。大体、侍女の自白程度で、クラウト兄様を犯人と確定できるはずがない」
「でも、ルーセンは自白した。自白するくらいなら、こんな方法を取らなくても、もっと方法があったんじゃないかな? だって、あの人魔術師なんだから……」
「毒茶にすり替えた目的が他にあったとでも?」
「………………さあ」
ミヤカが困惑しながら答えると、リカルトは力なく笑った。
「……だよな。家族でも分からないのに、つい最近ここに来たお前が分かるはずないよな」
「でも、この箒が狙われたんだ。わたしにとっても、他人事じゃないよ」
ミヤカは、箒の柄に手を置いた。先端で淡く光っている紫の神珠に視線を向けると、リカルトもミヤカと同じように、それを眺めていた。
「その珠……。お前が眠っている間に、いっそ奪ってやろうかと思ったんだがな……」
「そんなこと、正直に告白しなくても良いのに……」
「でも、盗もうとしたのは事実だから……。結局、やめたけどさ」
「別に、持って行ってもよかったのに……。魔術師に渡すのは、気が進まないけど、貴方にならね。奪えるものなら奪ったらいいんだ。どうせ、わたし以外使えやしないんだから」
「そうなのか?」
「そうだよ。叔父さんが扱うことができたのなら、とっくに渡していたと思うよ」
「益々分からないな。じゃあ、どうしてお前はここに来たんだよ? 俺に復讐というのは、建前として、一体……魔界の入口ってどこにあるんだ?」
「ちっ、近いよ。王子」
興奮したのだろう、リカルトは感情のままに、ミヤカの方に乗り出してきた。
「お前という人間がさっぱり分からん。どうして、俺が毒を飲んだ時、血相変えて俺を治療したんだよ? それに、クラウト兄様のところに乗り込む必要なんて、お前にはなかったはずだ。挙句、怪我までして……」
「それは…………」
近いと警告したにも関わらず、リカルトは更に距離を詰めて来る。
逃げ場のないミヤカは、寝台の上で、仰け反るしかなかった。
「お前さ、少しは人の好意を、素直に受け取ったらどうだ。悪いようにはしないって言っているのに、どうして背を向けるんだよ。こちらが歩み寄っても、お前が遠ざかっちまったら、永遠に、お前のことを理解できないじゃないか?」
「正論だな。リカルト王子。王子の言うことは、いつだって正しかった。昔からね」
「昔のことはいい。俺は本気なんだ」
「分かってる」
すでに、リカルトは吐息がかかるくらい、近くにいる。
逃がさないとばかりに、囲い込まれている体勢だ。
これは駄目だ。
この距離感は、同級生とか、友達のものではない。
(まるで、恋人同士の……)
そこまで思い至ると、とても冷静ではいられなかった。
「あれ……。お前?」
耳まで真っ赤に染まったミヤカを、リカルトは無遠慮に覗き込んだ。
「大丈夫か、ミヤカ? 顔赤いぞ。まさか熱が出たんじゃ……」
「ちがう! 大丈夫だって」
「そんなの触ってみなきゃ、分からないだろう」
リカルトの武骨な手がミヤカの額を覆った。
「……わっ」
勘弁して欲しい。自分がリカルトに触るのと、触られるのではわけが違うのだ。
いっそ、神珠の力で吹っ飛ばしてやろうかと思ったが、思いのほか、リカルトの手が優しすぎて、それすらできない。
「熱は、ないみたいだけど……」
そして、彼は顔にかかっていたミヤカの髪をそっと整えてから、手を放した。
(……怖い)
彼の無意識になせる技が恐ろしい。
特に何かを意図しているわけではない。
一連のすべての行動、言動が、リカルトにとっては、何気ないことなのだ。
「ミヤカ……?」
「だから、近いんだって!」
もはや、無駄な抵抗だった。
それでも退かないリカルトに、ミヤカはついに降参したのだった。




