第3章 ①
「………………お前、俺のことが好きだったのか?」
「……はっ?」
陽はすでに高く昇っていた。
女装の叔父に給仕してもらっている居心地の悪さはあったものの、今日は天候も良く、窓の外には、単独峰のカネリヤ山もよく見えた。お茶も高級茶葉を使用しているせいか、冷めても美味しい。寝不足を除けば、悪くない朝の始まりだった。
――なのに。
突然、思い詰めた顔で、リカルトがシモンを遠ざけたので、何のことかとドキリとしたミヤカだったが、彼はそれを上回るほどの緊張感をミヤカに与えてくれたのだった。
(聞き違いかな? それとも、この人は、リカルトのそっくりさんとか……?)
そう思い込みたくて、目の前に腰かけているリカルトに、しっかりと視線を合わせる。
リカルトは、シャツの上に紺色の上着を羽織っただけの飾り気のない格好だったが、本日も、金髪碧眼、完璧なまでに整った顔立ちは立派に健在だ。
偽者ではなさそうだ。
ほんのり頬を赤らめていることから、彼が本気で口にしているのは、間違いないようだったが。――とはいえ、真に受けてはいけない。ミヤカは必死になって、頭を横に振った。
「たしか、昨夜……わたしは、貴方のことを……」
「そんなことは、どうでもいい」
「……そう……なんだ」
まさか、どうでもいいこととして処理してくれるなんて、思ってもいなかった。
自分の馬鹿さ加減に、眠れなくなってしまったミヤカは損した気分だが、それならそれで、まあ良かった。
「じゃあ、問題なのは王子だってことかな、大丈夫? どこかで頭を打ったとか?」
「大丈夫じゃない。…………というか、俺は女心というものが昔からよく分からなくて、困っているんだ」
「はあ、女心云々子より、全般的にリカルト王子は鈍感だからね」
「また、お前は俺を馬鹿にしているんだろう?」
「いやいや、それが分からないのが貴方の良さってことでしょう? リカルト王子がそれを理解してしまったら、世の中の女性たちが大変な目に遭うと思う。間違いない」
「意味が分からん。それは、俺を慰めてくれているということなのか?」
「わたしが、貴方を慰める?」
ミヤカは瞬きを繰り返す。リカルトの頭の中が分からない。
本心から、そう思っているのだろうか?
「あの、誰かに、何かを言われたとか? わたしが殿下を好きなんじゃないかって」
「……そ、そんなことはないぞ……。断じて」
――言われたようだ。
いや、まあ、そうだろう。リカルトが自発的に女心なんて単語を口走るはずがない。
レース編みのテーブルクロスの模様を伏せた目で辿っているリカルトは、深刻そうだ。
これは絶対に、ミヤカが自分を好きだったらどうしようと、思いつめている顔だ。
(かわいそうに……)
そんなに、ミヤカに好きになられるのが困るのか……。
「リカルト王子は、寝不足で疲れているんじゃないかな。今日は一日寝ていたらどう?」
「寝ている暇なんてない。今日は俺なりに考えて、やらなければならないことがあるんだ」
「何を?」
「それは……。だから……」
リカルトの手がかたかたと震えている。
ミヤカとは別の茶を淹れてもらったらしいが、やらなければならないことと言うのは、手が小刻みに震えるほどに、彼にとって辛いことなのだろうか?
(心なしか、顔色も悪いような……?)
重い沈黙が通り過ぎていく。
ミヤカも小心者ではあるが、こうも怯えた顔を見せつけられてしまうと、自分がしっかりしなければいけないという気持ちになつてしまう。
(困ったな……。これは)
おもむろに、手を伸ばした。途端に、体を強張らせるリカルトの金髪に手をやり、狙いをつけた一本をおもいっきり引き抜く。
「…………いってえな。何するんだ。本当にハゲるだろう!」
「良いことを思い着いたんだよ。リカルト王子」
「なんだって?」
ミヤカは、その光沢のある髪の毛一本を手に取り、部屋の奥に消えた。
そして、寝台の隣の机の引き出しに仕舞っていた人形の中に、おもいっきり捻じ込んだ。
その人形こそ、昨夜シモンがミヤカに託した人形であった。
使い方に困っていたが、こういう活用法もあるようだ。
「ふふふ。これで、リカルト王子は人形と同化した。この人形にわたしが危害を加えれば、貴方は痛い思いをすることになる」
悪役そのものの不敵な笑みを浮かべて、リカルトのもとに戻る。
椅子に座ったままの彼は、訝しげに、ミヤカを見上げるばかりだった。
「……それは、お前お得意の復讐という奴か?」
「そうだよ。わたしはルミア神国の巫女姫。当然、ルミア神国の魔術も使える。……ほら」
ミヤカが人形の右手を挙げると、リカルトも右手を挙げた。
「なっ、何で!?」
「このくらい、お手のものさ。さて、これから、リカルト王子をどうしちゃおうかなあ?」
「くそっ!? 俺に一体何をやらせようって言うんだ!?」
ここまで脅せば、さっさと退散してくれるだろう。
大体、魔術なんて代物は、脅し目的で少し使える程度で、大抵はすぐに効果が切れてしまう、不完全なものだ。持続性があるのなら、ミヤカとて、もう少しちゃんと悪用していたことだろう。
(さて、早々にリカルト王子は出て行くだろうから、今日は叔父さんと巫女姫に、手伝ってもらって、魔界の入口とやらを探しに行こうかな?)
まだ余裕があるとはいえ、場所が分かっていないのは、気分が悪い。
ミヤカが復讐目的で近づいてきた方が、リカルトは楽なのだから、それに合わせてあげた方が良いのだ。
――しかし。
「…………ん?」
ミヤカは、すぐに異変に気づいた。
人形のお腹辺りが薄らと青くなっている。今まで、青くなんてなっていなかったのだから、人形に、王子の金髪を埋め込んでからだ。不審に思いつつ、顔を寄せると、その青い色彩は、じわじわと身体全体に広がっていった。
「それ、どういうことだ?」
リカルトも、気づいたらしい。
「あの、リカルト王子。…………もしかしてだけど、体の調子が悪いんじゃない?」
「別に、俺は」
そこまで口にしてから、リカルトは正反対のことを口にした。
「……寝不足のせいかと思っていたが、どうも、だるい感じはするな」
「やっぱり……」
ミヤカは大きくうなずくと、強引にリカルトの手を取った。
「わっ、今度は何をするんだ?」
リカルトが上擦った声で制止するが、緊急事態だ。ミヤカも手を引っ込めるつもりはない。脈を取り、額に手をやった
「うーん、脈は少し早いみたいだけど、熱はないみたいだね」
「朝一番は、元気だったんだがな」
「……このお茶か?」
ミヤカは、黒みがかった茶の臭いを嗅いだ。
あからさまに、リカルトが眉間にしわを寄せる。
「あのなあ、これはクラウト兄様からもらったシガル茶だ。健康に良いって言われて飲んでみただけだ。余計なことはするな」
「シガル茶……だって?」
ミヤカもシガル茶は知っている。以前、叔父の影響で何回か飲んだことがあった。
確か、滋養強壮に良いと言われている緑色のお茶だ。
しかし、この茶は緑色ではない。更に、シガル茶独特の草の香りもしなかった。むしろ、薬のような……。
――だとしたら?
ミヤカはリカルトから、さっと離れた。
「おいっ! ミヤカ!?」
異変を感じ取ったリカルトがミヤカの後を追いかけて来ようとしたが、ミヤカは血相を変えて制止した。
「リカルト王子は動かないで、じっとしていて!」
今、身体を動かしたら、むしろ危険かもしれない。
(茶の成分が何なのか、判断がつくまでは……)
予想通り、両開きの扉を開け放つと、耳を真っ赤にしている叔父シモンの姿があった。
盗み聞きをしていたのなら、話が早い。
「叔父さん……。力を貸して!」
ミヤカは蒼白になりながら、訴えた。




