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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第6部 砂漠の夜は怪物でいっぱい
89/109

ライル 怪物と遭遇

ライルと怪物の直接対決……

バリヌール人の生殖法がちょこっと紹介されてます

 八の章


 石の地下倉に閉じ込められたライルはすっかり寛いでいた。視界の波長を変えれば、闇も薄暗がりになる。静けさも、圧倒的な孤独も彼にはこたえない。


 宇宙空間の闇を見つめて五年、さらに睡眠カプセルで一年、たった一人で過ごして、その間何処にも降りようとさえ考えなかった彼だ。むしろ、この環境は思索するにうってつけですらあった。


 ライルはゆっくりと自分自身を深く見つめる。


 この町で、彼は敢えて、チャーリィやリン・カーネンの言うところの享楽に自らを委ね、ゲームを楽しみ、客と触れ合い、彼にできる範囲で遊んでみたが、それらは一過性の表面的な現象に過ぎなかった。


 チャーリィが彼に与えてくれた歓びにすら比さなかった。

 チャーリィが繰り出す接触をライルの皮膚組織が感知し、その刺激によって沸き起こる『気持ちがいい』を堪能し、抑えていた全ての感覚を遂に開放した時、それは激しい歓喜の嵐となってライルを飲み込み、感動すら覚えた。

 蓄積した訳の解らない硬いしこりが流れ出し、心が真っ白になるほどに夢中になって、実にさっぱりしたが、しかし、それでもそれだけだった。


 後には何も残らず、何も生み出さない。

 ただ、心のずっと奥で、何かがかつえているような感じだけが残った。それは、うっかりすると見過ごしてしまうほど微かで弱々しかったが、今もなお在るのがわかる。


 それが何かは解らない。

 だが、こうして自分が受け止める感覚や感情を直視していけば、いつか知る時がくるのだろうか?



 ふと気づくと、彼はN個の隣接し重なり合う高重力場における流体力学の三十二元連立方程式を一心に解いていた。

 心の中で苦笑する。今までは逆だったのに。


 飢えや渇きはまだ気にならない。身体を動かさなければ、消費量も少ない。必要以上の消耗を避けるため、彼はよく眠った。




 何か音がした。小さな微かな音だったが、ここでは音がするというだけで、異常な現象だった。

 石がころりとひとつ転げ落ち、続いてずるりと引き摺るような音。


 熟睡していたライルは目を覚まして身を起こした。細長い部屋の奥の闇で何かが蠢いている。身を起こしたままじっと見ていると、ずいっと彼の方へ進み出てきた。

 闇に溶け込み、輪郭も定かでないものが徐々に形を成していく。同時に、何かが心の中に探りを入れてきた。それは直ぐに強力な剣となって食い込んでくる。


 彼の心は瞬時に堅い障壁をまとった。どんな力でもびくともせず、逆に強引に侵入を図る者に手痛い反発を与えた。ゴムボールが百%の硬度を持つ壁に当たると、自身の持つ速度と力がそのまま跳ね返される速度と力に転換されるのと同じだった。

 それは、いきなり全力に近い力を投入した為に、手酷い打撃を受けた。たちまち、すっと音も無く退き闇の奥に消えてしまう。


 ライルは逃げるそれを突き当たりの石の壁まで追う。手で壁をなぞっていくと、細い切れ目に触れた。その一箇所が崩れている。視界の波長をさらに広げると、白っぽい粘性の物質がこびりついているのを見つけた。

 それをしばらく眺めていたが、くびすを返すと、扉のブザーの前で立ち止まった。これを押して助けを求めるか? 連中は大喜びで彼を連れ出すに違いない。



 だが、結局、バリヌール人の止むことのない好奇心が勝った。

 彼はブザーを外すと、それを分解し始めた。あの生物はまた来るだろう。今度はもう少し知恵をつけて。それまでに、対抗する武器を用意しなければならない。食べられても別にかわまないのだけれど、あの生物をもう少し調べたいとも思う。

 危険な生物だったら、対処の方法も考えなくてはならない。


 勇やチャーリィとの付き合いで、この頃、ライルの意識も変化してきていた。傍観者であったバリヌール人から、生命に対しこれを守らねばならないという責任感を持つようになったのだ。無意味に食べられてしまうことは、それを放棄することだった。


 ブザーのバッテリーは小さく、それだけでは武器にはなれない。だが、点火させるには充分だ。ブザーの本体の金属とプラスティック、僅かな銅。

 おやおや、これは通話もできる一人前のものではないか。これで監視していたわけか。おかげで、材料は充分手に入った。


 だが、そいつはなかなか来なかった。いつしか、ライルは眠り込んでいた。空腹を感じて久しい。体力を保つため、身体が睡眠を頻繁に要求するのだ。




 ライルが目を覚ました時、怪物は既に彼の側に来ていた。先ほどの作業が思ったより体力を消耗させていたらしい。

 顔をあげたライルは内心目を見張る。

 チャーリィが間近に覗き込んでいたのだ。チャーリィの瞳が欲望に燃えている。


 ああ、また発情してるな、と思う。チャーリィに化けた怪物の熱い視線を眺めていると、皮膚に記憶されているチャーリィの接触の全てが開放された。たちまち身体が『気持ちがいい』ことを求めて熱くなってきた。


 だが、ライルの目の前でチャーリィの顔がとろけだした。みるみるうちにミーナの顔に変化する。

 相手の思考を盗み、それによって姿を自在に形作る寄生生物。


 それは、チャーリィとミーナの姿を目まぐるしく繰り返していた。どちらにしたらいいか読み切れずに迷っている。

 が、遂にミーナの姿を選んだらしく、イミテーションの顔に微笑みを浮かべて擦り寄ってきた。



 それで、この生物に判断力を備えた知性を持つと解った。こちらを雄と認定して、雌型を選んだという事。

 複数の触手が伸び、先端が蝕盤となって開き、ずるりと彼の身体に触れる。ライルの手が素早く床を探り、近くに置いた例の装置を掴んだ。


 その間にも、ミーナの形をした怪物は彼の上に伸し掛かってくる。彼はミーナの瞳を覗き込み、彼女の身体の柔らかい温みを味わっていた。身体の上に重なった重みを受け、彼女が身悶えするのを起伏の形状とともに感じている。



 身体の中で熱い血の塊が脈動し始めていた。次第に強く、さらに強くなりながら。

 自らの感覚や反応をありのままに受け止めようと決心している彼は、その状態をも冷静に受け入れた。


(今、僕はミーナ・ブルーに欲情している……のだろうか? いくらこの生物によってもたらされたものとは言え、子孫を作り遺伝子を残そうと決めたわけでもないのに、一時的な欲求として生殖活動を満足させる為だけに反応しているのだ)


 ――なんて不思議な事だろう。論理的必然性が何も無いのに!


 体内で生殖の為の分離器官が自動的に活動を始める。彼の記憶を記録した遺伝子を含む分裂細胞が分離した。それは半数染色体の分裂素基へと完成される。


 バリヌール人の場合、遺伝子に記憶をバックアップさせる関係上、分裂素基を形成する分離器官は脳細胞の基幹にあった。

 ただ一つの分裂素基は、体外へ運ばれるために分離器官から伸びる生殖管の先端部分に包まれて体内を移動する。


 通常は、頭部左右にあるデリケートで大きなヒレ状の聴覚器官に囲まれた呼吸・発声器官の開口部へと、直径5ミリほどの小さな球状の保護殻に包まれて素基が届けられる。

 そして、バイオ施設で、単数または複数の素基によって胚種が和合生成される。はるかな昔から人工施設で行ってきたため、自然の状態ではどうだったか記録にないほどであった。


 だが、ヒレ状の器官を失ったライルの場合、生殖菅が迷走を始めた。どこへ開けばいいか、ライル自身の意思で誘導してやらなければならない。だが、彼は、意思の力でその素基ごと分解させ、生殖活動を終了させた。

 



 ミーナの赤い唇がそっと開かれ、白い美しい歯が覗いた。二人の唇が合おうとした時、バズッという籠もった鈍い音ともに肉の焼ける嫌な匂いがした。


 彼女は激しい驚愕に目を大きく開いてライルを見つめた。

 悲しげな顔でどうして? と首を左右に振る。熱く鋭い金属片が、胸から背へと通り抜けている。焼け爛れた傷口を押さえる白い手の間から、鮮血が溢れ出ていた。


 即席の銃が更に二度、三度と立て続けに撃たれた。

 ミーナの身体は宙を飛び、仰向けに倒れる。


 ライルは立ち上がり彼女の傍らに立った。ミーナが倒れたまま悲しげに見上げてくる。その目には紛れもない真実の愛が込められていたが、バリヌール人を幻惑し欺くことは不可能だった。


 ミーナの手がゆらゆらと伸ばされ、訴えるように唇が開く。


「ライル……なぜ……?」


 その顔の真ん中を、燃える金属片が貫いた。


「きゃあああ……あ……ア……アウ…ウガガガ…ガゴゴ……ゴグググ…グルル…ルルル」


 ミーナの叫びが途中から不気味に変調する。

 同時に美しい肢体が崩れだした。どろりととろけて、粘着質の塊に変化していく。その様子をライルは落ち着いて眺めていた。



 それは、何にも似ていなかった。原形質の塊というのさえ、おこがましかった。傷口から白っぽい透明な粘性の液が漏れ出ている。量は思いのほか多くない。再生能力が高いということ。


 それは再び別の姿を取ろうと盛り上がり固まりだした。そこをライルの熱弾が引き裂く。

 バッテリーで高温に熱せられた金属片が、プラスチックの爆発力で高速を与えられる。ただぶち抜くだけではなく、非常な高熱が加わっているので、損傷は著しく大きい。


 怪物は再びどろどろに崩れた。しかし、また形作ろうと試みる。熱弾が容赦なくそいつをまた引き裂いた。それが何度か繰り返されていくうちに、それの形は次第に平べったくなり、ついに液体のようにどろどろと溶けて流れ出した。


 その不定形の生物は予想以上に素早くずるずると退いていき、彼が追うのも間に合わないほどに、たちまち奥の壁の隙間の中に消えてしまった。




 その時、鉄の重い扉が錆びついた音を軋ませて開いた。振り返ると、ケネスの部下が三人、手に銃を構えて立っている。

 一人がライトをまともにライルに向けたので、彼は急いで視力の感度を落した。それでも、一時目が眩み、眩しげに目を細める。


 どうやら、ライルが監視兼ブザーを壊したので様子を見に来たらしい。手にある武器をちらっと眺めたが、そっと背後に捨てる。これを人に向けると殺傷してしまう。

 あの怪物とても、あのように傷つけるのは嫌だったのだ。例え、さほどこたえていないと解っていてさえも。


 ライルはゆっくり三人の方へ歩いていった。


「何をしているんだ?」


 男達は殺気だってがなりたてた。大きな声でから元気をつけていても、声に震えがみられた。彼らは薄気味悪いここへ来る破目になったことを恨んでいる。犯した罪が深い分、自分の良心に咎めを覚える所為か、案外、犯罪者には迷信深い者が多い。


「ブザーをどうしたんだ?」

「工作の材料に使わせてもらった」


 異議を唱える者もいるかもしれないが、ライルは事実を述べている。そもそも、彼は嘘がつけない。


「貴様!」


 一人がかっとなって、ライルの胸倉をわし掴んだ。勢い余って薄い服が裂ける。


「傷をつけるな。商品だぞ」


 もう一人が声をかけ、その男はやっと手の力を緩めた。



 そこへ、再び闇の中から、ずるりと床を引き摺る音が近づいて来た。ライトがライルの背後へと向けられ、化け物の姿を浮かび上がらせた。


「ヒィ!」

「ギャア!」


 男達は悲鳴を発したまま、その場に凍りついた。彼らの開けっ放しの思考や恐怖に釣られて出てきたのだ。

 ライルから受けたダメージはすっかり回復している。それは、彼らの恐怖をみ、臆病な心が生み出した姿を形作っていた。


 ライルは瞬時、その醜悪でおどろおどろしい姿に陶然と魅せられた。このイメージは何が元になっているのだろう? シベリウス第七惑星の洞窟巨獣生物に似ているけれど……。



 男達の精神は既に化け物の手に囚われていると見え、激しい恐怖を顔に張り付かせたまま、一歩一歩化け物のほうへ進みだした。

 三人の恐怖で一杯の思考を怪物が嬉しげに貪っているようで、ライルは嫌悪に顔をしかめると、傍らを過ぎる男の手から銃をもぎ取って怪物に向かって構えた。


 すると、男の一人がくるっと振り向き、自分の銃をライルに向けた。


 この展開は予想していなかったので、ライルはこの生物が思った以上に知能を持つことに驚いた。その為、怪物を攻撃して三人を解放させてやるべき貴重な数秒を失った。


 その間に、操られた男はライルに狙いをつけ、引き金に指をかける。それでも、怪物は男の運動神経を制御するのに手間取るのか、動きが遅い。だから、ライルが先に男を撃つ時間はあった。


 だが、ライルは銃を構えたまま相手の銃口を覗き込み、弾が発射されるのを待った。


「馬鹿野郎!」


 怒声とともに、鋭いニードルインパルスが男の銃を弾き、その心臓を貫いた。



 ライルは目を大きく見開いて、胸の穴から煙を出している死体を見つめた。その向こうで、もう一つの銃がかちりと冷たい音を立てて持ち上がったが、その男も次の瞬間には死体となっていた。三人目の男は怪物とともに姿を消している。


 ライルはショックを受けた顔で、さっきまで元気だった二つの死体を凝視した。

 その横にチャーリィが近づく。無事でよかったな、と口を開きかけると、ライルが厳しい顔で彼を責めた。


「なぜ、殺した? 銃を弾き飛ばしただけでも良かったろうに」


 チャーリィはむっとした。


「そして、こいつらにお前が殺されるってのか? なぜ、撃たなかった! 俺が間に合わなかったら、お前はとっくに死んでるんだぞ。お前に銃を向ける奴は、俺が許さん!」


 それでも、ライルは二つの死体のほうへ悲しげに首を振った。目の前で人が射殺されたのを目撃したのは、彼にとって大きなショックだった。


 肺が圧縮し、心臓が硬化する。体温が急激に下がっていくのが解った。

 発作を起こすべきではないと、頭では理解しているが、生理面で、調整する自律を手放そうとしている。


「ひくっ」


 息が詰まって、呼吸がとまり……。


「もう一人いたと思ったが、何処へ行ったんだ?」


 チャーリィが不思議そうに辺りを見回している。そのバリトンの声が、ショック症状を起こしかけていたライルを引き戻してくれた。ライルは息を整えると、冷静な声で答えた。


「彼は連れて行かれた。もう、生きてはいまい」

「何に?」


 チャーリィは眉を寄せた。彼は三人の男の姿しか見ていない。


「あの地下で出会ったものだ。どうやら、この町に忍び込んで、町の住人を襲っているらしい」


 チャーリィはぎょっとした。

 ライルは彼に構わず続ける。


「あの生物は不定形で、精神を操作する。心が油断する時を狙って襲うんだ。心の隙を作るために、姿を変えて近づく。恐怖や快楽などの感情を利用して」

「なにものなんだ? それは?」

「古い記憶に一度だけ出てくる。報告書として記憶されたらしい。だが、珍しく記憶が曖昧なんだ。だから、今まで判らなかった」


 まるで、報告書を詳しく読むのを嫌ったか、わざと忘れようとしたかのような感触だった。


「一万年ほど過去だ。シャランと呼ばれていた生物で、この惑星の生物を根絶させようとしていた。シャランは、他の生物の組織細胞の結合エネルギーを吸収して生きる寄生生物で、自分では何一つ作れず、生物としては奇形だった。最初はごくありふれた小さな寄生生物の一種だったんだろうが、進化しながら他の生物を吸収していくうちに、その知識や知能も吸収して今のような恐るべき生物に変化していったのだろう」

「お前の遺伝子に記憶が残っているという事は、バリヌール人がそれに遭遇したって訳だな。すると、そいつを倒した伝説の神は……」


 さすがにチャーリィは察しが早い。

 そうなのだ。

 今のライルなら、その報告を記録したバリヌール人は、当然果たすべき事をした勇気ある者だと考えることができる。

 が、バリヌール人の殆どにとって、その事件は大きな衝撃を与えた疎ましいものだったのだろう。惑星の生態系に関与したのだから。一つの生物種を全滅させるという方法で。


 バリヌール人がそいつを退治する方法を知っていると期待して、チャーリィは目を輝かせる。だが、ライルの方はあまり浮かない顔だ。


「確かにバリヌール人がそれを封じ込めた。だが、忘れないでくれ。シャランは再び蘇って活動を開始したんだ。ただ、活動を停止させただけで、完全に処分できなかったんだよ。僕は、同じ失策を繰り返すわけにはいかない」


 チャーリィはあっと青くなった。完璧さを常に当然とする彼が、不完全な先祖の方法を二度と行う気がないことは明白だ。シャラン対策は白紙に戻ったのだ。




 そこで、遅まきながら、立ち話を長々と続けるにはあまり相応しくない状況にあることを思い出す。ライルも船に戻って研究したいと望んだ。

 だが、侵入した時と違って、目立つ連れを伴っての脱出は難しい。すると、ライルは通路の奥の闇を指差して言った。


「こっちを行ったらどうだ? こういう古い建物の遺跡には、たいてい抜け道があるものだって言ったのは君だよ」


 チャーリィはたじろいだ。あまりに古過ぎて道は塞がっているかもしれない。いや、それよりも、例の化け物がたむろする巣になっているような気がする。

 怖いもの知らずのライルは、ただシャランのデータを集めたいばかりに提案したのじゃないかと言う疑いが濃い。

 チャーリィは足下に転がっている死体を見下ろした。つま先でつついてライルに言った。


「この服を着るんだ。こいつらに成りすまして出て行こう」


 ライルはほんの一瞬、ちらっと恨めしそうにチャーリィを見た。

 死体の服を着るからではない。奥の通路へ進んで、シャランを調べられないからだ。しょうがないバリヌール人だが、ライルが非常に地球人的な感情を示すとは、うむ、実にいい傾向だ。



 ずるっとした服の上に上着とズボンを着せ、顔にも土を塗りたくって美貌を隠す。銃を持たせ、チャーリィも自分で一つ拾って、来た道を戻り始めた。

 ライルの上着の胸に空いた焼け焦げの痕はどうしようもない。気づかれないようになるべく顔を伏せて行けと注意する。


 地下倉から上がって行く階段の突き当たりの扉の前までは、無論誰にも会わない。実際、この裏階段を知っている者はほんの一握りなのだ。


 チャーリィは慎重に扉を開けた。壁に偽装されていて、一見では扉と判らないようになっている。幸い、誰も居ない。

 ここは二階の通路の一番奥まった突き当たりで、この先にケネスの事務室がある。



 見咎められる前に突っ切ってしまおうと、ライルを急かしたのが拙かった。空腹で体力を消耗していた彼は、不用意にも銃を落してしまった。

 用心深いケネスがこの廊下には絨毯を敷かず、むき出しのコンクリートに金属板を張っていたので、落ちた銃は床にガシンと大きな音を響かせる。


 それを聞きつけてドアが開き、部下が数人飛び出してきた。チャーリィはわざと取り乱してみせる。


「か、怪物が出たんだ! 一人殺られて、一人負傷した。ボスに言われて見に行った地下倉で……」


 聞いた男達は、チャーリィの顔もろくろく見ないで地下倉に通じる扉の前に飛んで行くと、中の暗い階段を覗き込んだ。

 その間に逃げようと、ライルの腕を掴んで走りかけたチャーリィは前を見て足を止めた。



 どうもチャーリィの放った爆弾は薬が効き過ぎたらしい。ボスのケネスが立ち塞がり、チャーリィとライルの顔をしげしげと見つめている。

 不審がやがて確信に変わった。にやりと口元が残忍に歪む。


「ふむ。よく忍び込んだな。だが、それもこれまでだ。その男を引き渡して、手を上げろ」


 部下達が手に手に銃を構えて、ばたばたと集まってきた。幾つかそいつらの銃を拾って携帯していた銃で弾き飛ばして、チャーリィはライルを引っ掴んだまま来た道を戻りだした。


「逃がすな! 撃て! ただし、ライルを傷つけてはいかんぞ!」


 ボスが難しい命令を出す。

 おかげで射線が鈍り、その隙に、扉の前で目を丸くしている間抜けな部下を、銃の肩で殴り飛ばして、暗い階段を駆け下りた。


 背後からはケネス達が追ってくる。やむなくチャーリィは例の通路の奥へと進むほかなくなった。

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