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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第6部 砂漠の夜は怪物でいっぱい
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リン・カーネン 再び

 四の章


 埃っぽい路地に逃げ込んだスリーパーは、絶望的な視線で路地の入り口を見た。路地は袋小路だった。追っての影が路地を塞ぐ。スリーパーがビームの光輝を目にした瞬間、全てが忘却の彼方に失われた。


 ***


 太陽系連邦情報局アレックス長官は、解読を済ませた通信文を前に不機嫌そうだった。もっともアレックスが機嫌の良いときでさえ、その苦虫を噛み潰したような表情は顔に張り付いたままなのだが。

 デスクを挟んで近藤勇が椅子に座っていた。


「これが、彼が最後に送って寄越した奴だ。それから、三週間経つ。連絡が来ないところを見ると、もう彼は生きて居まい」


 文書を勇に渡す。勇は黙々とそれを読んだ。スリーパーは彼の友達だった。


「あいつ、最後に良い仕事をしたな」


 ぼそりと言う。勇にしては最大級の誉め言葉だった。


 惑星ダズトの唯一の都市ダズト。

 連邦警察や宇宙パトロールの目を盗んで、そこに一大犯罪都市が造られていた。犯罪者が警察の追及をくらまし、ブラックリストの大物達が堂々と取引を行う場所。

 彼らは金を出し合って軍隊まで雇っていた。

 その詳しい情報がスリーパーの最後の報告だった。彼は恐らくこの為に深入りし過ぎ、そして命を落としたのだ。


 勇はアレックスを見た。これを勇に見せたと言うことは、彼にダズトを叩けと言う事だ。


「やらせてもらう。連中を一人残らず、引っ括ってきますよ」


 勇はアレックスの部屋を出ると、直ぐ宇宙防衛軍特殊機動部隊に召集をかけた。



 ***


 ライルは混沌とした沼の底からゆっくりと浮上してきた。捉えどころの無い喪失感にもがきながら、意識がぼんやりと形作られていく。何か狭いところに押し込まれている不自由さを覚える。ライルは無意識に自由になろうと足掻いた。


 急に視界を得る。手術台に横たわっている自分の姿を見た。裸体で手足を固定され、代謝機能の測定装置が連結されている。


 ――あそこに居るのが僕ならば、ここに居る僕は何だろう?


 その時、直ぐ隣で別の意識を感じた。その思考は食べ物の事を追っていた。

 暖かい血が滴り、内臓が脈打つ生きた獲物。弾力のある湯気の立つ肉。あそこに在る肉は美味いだろうか。実に美味そうに見える。脈打つ心臓にがぶりと……。


 吐き気を催す思考と観念がライルの中に入ってくる。ライルはたまらなくなって、何とかここから逃げ出そうともがいた。


 ――僕はあの僕自身へと戻るのだ! 肉食獣の濁った感情に、これ以上触れたくない! 嫌だ!


 ライルの嫌悪が暴発エネルギーとなって炸裂した。


 弾けるような一瞬の後、ライルは自分の中に戻っていた。そして、彼は手術台に固定されたまま、自分が今為した事の結果を見つめていた。


 ライルの精神を捉えていたカメレオン人であったものは、今はぐずぐずに崩れた肉塊となっていた。ライルの精神が開放させた力にその肉体は抵抗できず、一瞬で崩壊してしまったのだ。


「おやおや、わしの貴重な作品を破壊しちまったわい」


 と、言うリン・カーネンの言葉が遠く微かに聞こえる。


「肉食で知能の低いこいつを教育し、バイオ操作で強力な精神感応力を与えたのにな。なかなか大変じゃったのだぞ。こいつが完成するまでに、七体が死に、八体が不具になった。だが、その甲斐あって、見事な能力を備えたのに。他人の精神を吸収し捕らえると言う…………」


 長々と愚痴っていたリン・カーネンは、ライルの異常に気がついて言葉を切った。

 やっと手に入れた大事なコレクションが……!


「いったいどうしたことじゃ? さっきまでは理想的な状態だったのに。数値がどんどん下がって……今は……死に掛かっている!」


 事実、ライルの心臓の機能は衰え、肺は停止寸前だった。あらゆる代謝機能も止まっている。死の色に覆われたライルを揺すぶって小男は叫んだ。


「ええっ? どうしたんじゃ? 何があった?」


 ほとんどパニックと言っていいほどにうろたえている。


「何でもない」


 ライルは苦しげに声を出した。


「この数値で、何でもないじゃと?」


 医者は激しい剣幕で詰問した。


「バリヌール人が意志の力によって、身体をコントロールできる事は知っているね。そして、今、僕の精神状態は最悪なところまで落ち込んでいる。その数値は、単にその結果に過ぎない」

「落ち込む? バリヌール人が? また、どうして……?」


 そこでリン・カーネンははっとして、ぐしゃぐしゃに崩れた肉塊を見詰めた。


「まさか。この所為だと言うんじゃあるまいな?」


 と、カメレオン人の残骸を示す。ライルの顔はいっそう苦しげになった。


「ほ! たったこれだけの事で? これを死に至らしめたと言うそれだけの為に? 驚いたものじゃ。信じられんよ」

「バリヌール人は殺生をしない。本質に反するのだ」

「信じられんな。だいたいそんな事が可能なのだろうか?」


 生々しい流血の歴史を持つ地球人は、首を横に振った。


「それなのに、僕は僕の種族の全てを裏切り続けている」


 ライルはこれまで為してきた破壊行為を思い浮かべた。知的生命体をその世界ごと滅ぼしたのだ。恐ろしい事だ。自分は存在すべきではない。自分が消去したクローンと同様に。それなのに、まだこうして生きている。


 深い悲しみと絶望感がライルの中に込み上げてきた。どうする術もないままに、涙が次々とあふれてくる。なぜ、涙が出てくるのか、自分でも理由がはっきりしない。


 驚いたのはリン・カーネンだ。大事な標本が、代謝機能の数値は低下したままな上に、滾々《こんこん》と泣き始めたのだ。


「どうしたんだね? 涙もろいバリヌール人など、わしは聞いたこともないぞ」

「自分でも解らない」


 瞬きして涙を抑えようとしても、涙は長いまつげの下から零れていく。


「僕の調子は、このところ、ずっと狂いっぱなしなんだ。あなたに麻薬を注入されて潜在的な感情を解放させられて以来、僕はおかしくなってしまった。動揺しやすく、感情的で、冷静な自分を保てない。身体が要求してくる欲望一つさえ制御できない始末なんだ。あれは、僕にとってひどくショックな体験だった。あなたには解らないだろうな。正直言って、僕はまだ立ち直れないでいる」


 涙をぽろぽろこぼしながら、悲しげな眼差しでじっと見詰められたリン・カーネンは思わずうろたえ、困惑して言った。


「それにしても、なんとかならんのかね。そう泣かれると、気になるわい」

「努力してみよう」


 ライルはしばし目を閉じ、体調整をコントロールしようと試みた。いつもより精神の集中が難しい。訳の解らない感情が彼の理性を押し流すのだ。だが、頑張りの甲斐あってやっと涙が止まる。

 リン・カーネンはあからさまにほっとした。


「情緒不安定というのかね? 君は本当におかしなバリヌール人じゃな。で、どんな風に不安定なんだね?」


 ライルはこれまでの自分の身におきた不可解な諸々を語り、チャーリィの行為まで隠さず話した。

 聞いた医者には、何か思い当たる節があるようだった。そして、ふと気づいたように訊く。


「バリヌール人は幾つまで生きるんじゃったかな? 五百? 六百? なるほど、まだ、ほんの子供と言うわけじゃな」


 ふんふんと、医者は一人で頷く。


「僕の今の状態について、何か知っているのか?」


 ライルが聞いてくる。小男はにこにこと歪な笑いを浮かべ上機嫌で答えた。


「君、それは、地球で言う思春期じゃよ。そいつを切り抜けないことには、一人前の大人にはなれん」

「思春期……か? バリヌール人にはないものだ」


「そうじゃろうな。思春期と言うのは、子供の体から大人のそれへと、大きく変換していく過度期のものじゃ。特に性的な変化が著しい。それに従って、精神面や感情面も変化していくわけで、情緒不安定になりやすい。君の場合は、成長の一過程と言うよりも、肉体的感情に目覚めてしまったという意味でのものだがね。まあ、経過としては同じようなものじゃ。そもそも、性のない淡白なバリヌール人に有性種族の血の気の多い地球人を交配したのが間違いなんじゃよ。バリヌール人の遣り方では、身体と密接なつながりを持つ感情をうまく処することもできんじゃろう?」

「その通りだった」


 ライルは認めた。


「その意味では、君の友達がやったことは正しかった。荒療治と言う奴だ。これは、理屈で解決できるものじゃない。わしにできる助言は、君の友達と一緒じゃよ。もたらされる感覚を拒絶していては、制御することも困難じゃろう。得られる感覚を素直に受け入れて初めて制御できるようになるものじゃ。君は一度、それらの感覚と感情を思いっきり味わい、浸り、溺れてみるべきじゃ。その混沌の中から、自分流の処し方が見出せるじゃろうて」


「地球人は、どうしているのだ?」

「わしらは生まれた時から、必然的にそれらを旨く扱えるようにできておる。地球人は、ご存知のように、ひどく感情的な生物で、しかも身体とも密接に関わっている。取り巻く環境もそれを容認し、適確に対応できるよう、常に教育している。それでも、たまに失敗する者もおる。難しいものなんじゃ」


 こののんびりした会話が、片方は手術台に固定され、片方は相手を切り刻む為のメスを持っているという異常な状況で続けられていた。どうも両者とも、まともな神経の持ち主ではないようだ。



 リン・カーネンは、ライルの代謝数値が正常な状態に戻っていることを確かめると、手の中でもてあそんでいたメスを放り出し、彼を固定している枷を外した。

 ライルが驚いて聞いた。


「リン・カーネン。 僕を標本にするのではないのか?」


 問われた小男は、苦笑いした。


「止めたよ。どうも今はその気分じゃなさそうだ。時間をかけて苦労してせっかく手に入れたというのに、妙なことじゃ。だがな、そのうちきっと君をわしのコレクションに加えるぞ」

「そのうちにね」


 ライルは手術台を降りると、リン・カーネンに握手を求めた。医者は当惑しながら、差し出された手を握った。ほっそりとした、器用そうな美しい手だ。


「おかげで、僕が抱えていた問題がはっきりした。礼を言う。ありがとう」


 リン・カーネンは赤くなったのか? 耳まで赤く染めて、照れた。


「なに……。礼を言われる筋合いはないよ。わしは、君を……つまり……」

「でも、あなたは僕を解剖しなかった。あなたも、本当は、それほど悪い人間じゃないんだよ。熱心な医学者だっただけのことだ」


 ライルはにっこりと微笑む。大輪の花が開く目も覚めるばかりの美しい笑顔。それに見惚れながら、リン・カーネンは彼を標本にすることは決してあるまいと感じた。




 ライルは服を着ると、小男と一緒に石造りの埃っぽい階段を上がる。リン・カーネンが根城にしているのは、遠く歴史の彼方に忘れられた廃墟だった。


 赤茶けた大気の下、周りは黄色く枯れた砂地がえんえんと広がっている。所々に畑や遊牧を営む原住民の貧しい集落があった。

 その砂地の終わる辺り、ごつごつとした岩に砂が飽くなき飢えを満たそうと、長い年月をかけながら侵食しつつある乾いた土地に、古い歴史と年代の重みに耐えながら、この石造りの大きな建物が建っていた。


 古い古い時代のもので、原住民はそこに悪霊が棲むと信じて決して近寄らない。

 リン・カーネンは、一向に気にせず、もとは壮麗な広間と見られる大きな部屋を、彼の機器類と標本で埋めていた。



 その廃墟の向こうに、砂茶けた風に吹かれてこの星唯一の都市が建つ。

 ライルは見送りに出たリン・カーネンに別れを告げ、都市へと向かった。


 その華奢な後姿を見ながら、リン・カーネンは一人呟いた。


「それにしても、どうしてバリヌールのリザヌールは、地球人の遺伝子を彼に加えたのじゃろう。こうなることは判っていたはず。この広い銀河系を見回しても、わしら地球人ほど残酷になれる種族はいない。平気で同胞をも傷つけ虐げ支配できる種族じゃ。繁殖欲も強い。バリヌール人とは真逆を行く種族と言ってもいい。だからなのか? だから、敢えて、遺伝子を加えたと? リザヌールよ。彼に何をさせようというのだ?」


 だが、リン・カーネンに答えてくれる者はこの世にいなかった。ただ、ダズトの乾いた風だけが、悠久の悲しげな調べを奏でているだけだった。

どうやら、ライルは、自分の状況がわかってきたようです

舞台は、砂漠の星へと……

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