消息を絶ったライル
三の章
チャーリィは不安と期待がない混ぜになった心を抱えて、ライルの家に向かっていた。不安は、彼を一週間も放ったらかしにしていたから。
どうしても抜けられない仕事で、地球を留守にせざるを得なかったのだ。太陽系連邦が年々拡大している今日、銀河連盟太陽系連邦代表評議員は目が廻るほど忙しかった。
それで、ライルを気にしながらも、とうとう会いに来れなかったのだ。
期待は、性の味を覚えた彼が、自分の愛撫を欲しがるのではないかという甘い予感から。
チャーリィは、一週間前の事を回想する。
***
チャーリィの愛撫に満足し、疲れ果てたたライルは、不安を抱える彼を無視して寝入ってしまい、長らく取れなかった睡眠を取り戻すために熟睡してしまった。
チャーリィは溜め息をついて、ライルの寝顔を眺める。
穏やかな寝顔だった。
「眠っている時は、まるで小さな子供みたいなんだから」
あどけなく無防備だった。ひょっとすると、ライルはまだまだ子供なのかもしれない。思春期を迎えたばかりの。
ライルの脅えたような濡れた瞳が目に焼きついている。
ライルは始めて知った射精行為――疑似行為でしかも分泌したものは花蜜だが――におののき、皮膚が感じる悦楽に溺れた。だが、それはあくまで、皮膚の感覚網が拾い上げる知感がもたらす反応であり、ライルが不安に思っている性欲やそれに伴う性的な快感などでは決してなかった。
地球人の遺伝子を併せ持っていても、やはり性愛を知らない種族なのだ。単に『気持ちがいい』感覚を自分でコントロールできなくなっているだけにみえる。
そのため、チャーリィはライルに性行為を強要することをためらう。抱いてしまうのは簡単だが、ライルの心を得ることはできないに違いない。
チャーリィは思い切るようにしてライルの側から離れると、乱雑に散らかった部屋を片付け始めた。
脱ぎ散らかしてある服を階下の洗濯機に放り込み、散乱している本や書類を集める。
無残に破かれた本もある。代謝生理学と題してあった。まるで人が違ったようだとチャーリィは首を振る。
部屋の掃除がすんだ頃、やっとライルの目が覚めた。
ぽかんと目を開いたライルにまざまざと記憶が蘇ってくる様子を、チャーリィはじっと見守った。
叫ぶだろうか?
怒り出すだろうか?
万が一、ライルにパニックの様子が現れたら、直ぐ押さえに行くつもりで、固唾を呑んで待った。
だが、彼はいきなり、いつもの冷静な表情に戻ってしまった。ベッドから出ると、素っ裸のまま部屋を横切り浴室に入ってしまう。
歩きながら、チャーリィを見て口元に微笑みを浮かべなかったか?
チャーリィは困惑を覚えてうろたえる。その耳にシャワーを使う水音が聞こえてきた。
「すっかり片付けてくれてありがとう」
ライルがバスタオル一つ肩に引っ掛けたまま屈託無げに言う。そのまま洗濯機の服が乾くのを待つつもりらしい。
チャーリィはソファに座ると煙草に火をつけた。爽やかな顔のライルを見ていると腰にずぐりと欲望を覚え、意識しているのは自分のほうだと思い知らされる。
すっかり元のように見えるライルを見るのは嬉しいのだが、チャーリィには何か今一つ物足りない。
――いったい俺は、奴に何を期待しようというんだ?
寛いでコーヒーを味わっているライルを見て、自分でも意外なほど強い焦りが胸を騒がすのを感じていた。
***
チャーリィはライルの家の玄関のドアを開けた時、何処かひどく間違っているという感じを覚えた。その感覚がだんだんと大きくなっていくのを抑え切れない。
「ライル!」
チャーリィは大声で呼んでみたが、家の中はしんと静まり返って返事がない。家の中はこの前と違って、隅々まで清潔に整えられていた。以前の彼に戻っているのだ。
だが、この人気の無さはどうしたことだろう。不安に駆られたチャーリィは二階に駆け上がった。
ライルは居なかった。
何処にもいない。
何処に行ったのだ?
大学にも、研究所にも、ライルが行きそうな所の何処にも行っていないことは、チャーリィは既に確かめていた。ライルは世間から身を引いてしまって以来、まだ一度も出て行かない。だからこそ、チャーリィがこうして地球に帰るなり、自分の家にも寄らないで真っ直ぐここへ急いで来たのだ。
きちんと整頓された部屋の椅子の横に、きらりと光るものを見つけて手に取る。小さな注射器だった。注射器が見定まらぬほどに震えだす。いや、震えているのは彼のほうだ。
チャーリィは自分が仕出かしたミスに気づいた。麻薬組織の手中にある時、ライルはどれほどの麻薬を注入されたのだろう。この中身は……?
自分が言った言葉を、ライルが拡大解釈しないとどうして言える?
バリヌール人の彼にとって、性の欲望も麻薬も同じレベルにないとどうして断言できる?
チャーリィは気も狂わんばかりの後悔の渦の中で、ライルの行方を示す手掛かりはないかと捜し回った。例によって、完全な記憶力を持つ彼はメモの一つも残さない。
引き出しを引っ掻き回した挙句、チャーリィは冷静になろうと努力した。
(奴は自分から進んで何処かへ行こうという気にはなるまい。まだ、奴の中で自己への対処は完了していない。注射器がその証拠だ。ライルは模索中だった)
何を模索中だったのか? それはチャーリィには解らない。神のみぞ知ることだった。
チャーリィは机の上のTEL――テレビ式電話機で、メッセージを記録する機能もついている――を見た。誰かがライルを誘い出したのか?
チャーリィはメッセージが残っていないかと打ち出した。記録されているのは二つ。それを紙面にプリントさせる。
一つはミーナからで、ライルを心配して寄越したものだった。
もう一つは発進人不明で短いもの。
『異種族間遺伝子合成に関して。マーズポートT11。3356-22に連絡を』
「これだ!」
チャーリィは印刷紙を握り締めた。発信人はライルの現状をよく把握しているらしい。彼がこれを見て、直ぐに出かけたろう事は想像に難くない。
警戒心の全く欠如した奴だから。
自己保存本能がこれほどに欠落した生物をチャーリィは他に知らない。
***
チャーリィは直ぐに火星へ飛んだ。ライルがあのメッセージを見て直ぐに出かけたとしたら、もう五日も経っていることになる。
出かける前にチャーリィは火星の警察に連絡を入れていた。
到着したチャーリィを友人の刑事部長が出迎えた。
「どうだ?」
チャーリィは前置きなしでいきなり聞いた。
「お前の頼みなんで、火星中の捜査課の連中を走らせたよ。これを見てくれ」
ニート――ニトゥラウス・クレーマンは、マーズポートの控えロビーに彼を連れて行くと、早速、資料を出して見せた。
「お前が言った番号は、ポートホテルの部屋の電話番号だ。T11区にある。借主は、異星人のソレント人。生物学者と言う触れ込みで、メッセージ内容とも格別不審な点はない。ホテルのコンピューターは、五日前にポート内からの電話を受けた事を記録している。きっと、それがライル・フォンベルト博士なんだろう」
ニートは友達の顔をチラッと見ると、続けた。
「ソレント人はその直後にチェックアウトしている」
「で、そいつの行き先は?」
目をぎらつかせる相手に、刑事部長は苦笑して言った。
「落ち着けよ。言っとくが、ソレント人はその後、消えちまっている。煙みたいにね。どの船にも乗り込んでいないし、何処のシティにも現れていない。それから、お前のライル博士も、マーズポートに着いたっきり、足取りが消えている。あれだけ目立つ人物だから、かなり不審な出来事だと言えるな」
顔色をさっと変えて立ち上がるチャーリィを、ニートは再度、落ち着かせた。
「焦るなよ。驚いたもんだ。お前ほどの男が、これほど熱くなるなんてな。噂は本当なのか? お前と博士が、ただならぬ関係だって。ドン・ファンの異名を取るお前が、男になぁ。解らんもんだ」
ニートは変なことに感心している。チャーリィは顔を赤らめた。
「お前は奴を知らないから、のんびりそんなことが言えるんだ。言っとくが、彼は男じゃない。それに、俺が誰を好きになったって、お前には関係ないだろ!」
「まあ、そりゃそうだ。でも、写真やビデオで見る限りは、女には見えないぜ。確かに、男にしちゃ、美しすぎるがな」
「何が言いたいんだ?」
「つまりな。俺のこれまでの職業的経験から言って、あれほどの美人は、男だろうとなかろうと犯罪に巻き込まれやすいということさ。男どもが夢中になって欲しがるからな」
チャーリィはむすっとした。
ニートはむしろ嬉しそうにさえ見える陽気さで言った。
「だからな。お前の愛人を見つけるのは容易じゃないってことさ。捜査の範囲が広すぎる。政治的な陰謀か、はたまた彼の頭脳を狙っての犯行か、それとも彼の美貌に目を付けた連中が、いかがわしい目的で連れ去ったのか……ってな」
「判ったよ。火星の当局の努力に頭を下げる。感謝するよ。で、結局、何が解ったんだ?」
チャーリィはニートの意地の悪い遣り口を百も承知していた。それで、チャーリィは下手に出た。
普段ならニートと存分に遣り合うのだが、今はそれを楽しむ心の余裕がなかった。
いつもと勝手が違うチャーリィに、ニートもからかうのを止める。いよいよ本気らしい、と溜め息をつくと、彼はP-Tbに写る一枚の映像を見せた。
「ポートの要所要所に、一応監視カメラがあるのは知っているだろう。ポートJ22ロビーのやつだ。画面のぎりぎり外れの柱近く。一人はソレント人だ。そして、そいつの斜め後ろ」
チャーリィは目を見張った。賑やかに行き交う人々の影で、カメラの有効範囲ぎりぎりに写っているのは……。禿げ掛かった歪な傴僂の小男。
「リン・カーネン! 奴め、生きていたのか!」
「やっぱりそうか。一日掛かりで十人の部下に監視カメラを調べさせたが、一人が遂にそいつを見つけてな。間違いないって主張したんだ。ちなみにビデオを担当した連中は、しばらく何も見たくないってアイマスクして寝てるぜ」
「ああ、彼らには後で、うーんと礼を言っといてくれ。こいつを見つけた奴には、ガルドの酒を届けるよ。彼を無事に助け出した暁には、連合政府から謝礼が出るように手配してやる。それで、リン・カーネンの足取りは掴めたのか?」
「そうだと俺も鼻が高いんだが、生憎と駄目だった」
ニートは悔しそうだった。チャーリィが断定する。
「リン・カーネンは最後のバリヌール人である彼にやたら執心だった。それに彼はバリヌール人の代謝生理に詳しい。ずっと彼を調べ続けていたんだから。メッセージを入れて彼をさらったのは、奴に間違いないよ」
「そのキ印学者は、確かぞっとするようなコレクション趣味を持っていたよな」
ニートも心配そうな顔になる。
「ああ。生きたまま標本にするんだ。ライルがまだ、その標本になっていなければいいんだが……」
チャーリィはそんな事など考えたくもなかった。ぶるっと首を振ると、刑事部長に手の平を向けた。
「そのソレント人をもう一度良く見せてくれ」
手渡されたP-Tbの映像を拡大してしげしげと見る。
「こいつがカメレオン人だという事に、俺は全財産賭けてもいいぜ」
ニートはP-Tbを引ったくると、それを睨みつけた。
「左手が見えるだろ。指の間にひれが見える。チェックアウトしたソレント人は、変装を解いたんだ。だから、何処を捜しても居ない。見本はリン・カーネンが持っているから、カメレオン人も変身が楽だったはずだ。大きな荷物を二つ持ったカメレオン人を捜せ。それから、宇宙船では個室を指定した奴だ」
「かばんの中に? だが、荷物はチェックを受けているはずだ」
「カメレオン人は肉食だ。しかも自分の世界の肉類しか食べられない。鉛と有機水銀がたっぷり入っているアミノ酸なんか、誰も食べたくないものな。それで彼らは、食料の持ち込みが許されているんだ。荷物に生体反応が出たってフリーパスだ」
「チャーリィ。やっぱりお前は刑事になるべきだったよ。判った。直ぐ手配する」
チャーリィ氏は、自分の行いのつけを支払う破目に……




