悪の華の都市
二の章
太陽系連邦警察の保管ファイルから一部が消失し、記憶バンクのデータまで跡形もなく消去された。
それが発覚したのは、犯人を連邦警察まで連行し、尋問の為に被疑者の証拠の一つとなった過去の記録の照会を要請した時である。
警察側の失態であった。これが公開裁判中の事でなかったことを、僥倖としなくてはならない。
犯人は歯軋りする刑事達をせせら笑いながら、多額の慰謝料を請求しなかったことを恩に着せて、彼らの鼻先から悠々と去って行った。
その男は政財界の大物で、長年の努力が実り、やっと証拠の物件が揃って、確実に挙げられると踏んでの逮捕だっただけに、警察側の胸の内は言葉に尽くせないものであった。
事の起こりは、地球有数のヨツイ銀行が多額の債権を抱えて倒産したことから始まった。ニュースを聞いた債権者達が殺到した時には、銀行には一文も残っていなかったのである。
頭取と部長が自殺し、重役達はこぞって行方をくらましたこの事件は、たいへんなスキャンダルとして当時の世間を騒がせた。六年前の事である。
しかし、その直後に起こった分裂ポリマーの流布のパニックと、続いて生じた政治と経済機構での、根本からの改変を求められた技術の跳躍的革新による経済恐慌で、世間はこの事件どころではなくなってしまった。
そして、やっと落ち着きを取り戻した世間が気がつくと、ヨツイの重役候補であったボルテノ氏が財界のトップに並んでいたのである。
彼は新しい経済機構の動向をいち早く読み、巧みに実権を掴んでいった。だが、その元手となった財力はどこから?
当然起こってくる疑問である。地球警察は、改めてヨツイ倒産事件の捜査を開始した。部長の自殺に疑問が出てきたからである。
そのうち、ハッカー犯罪者のクロスが浮き上がってきた。銀行のオンラインに彼が潜入した疑いが強くなる。しかし、クロスを捕まえようとした矢先、それを察知した彼は巧みに行方をくらませてしまった。
クロスは麻薬組織の要塞で確認されたが、その後、要塞の爆破に巻き込まれたかどうかは定かではない。そこへ、この事件である。
連邦警察は、これがクロスの犯罪だと直感した。ボルテノとクロスは、まだ繋がりを持っているのだ。そうなれば、その他の迷宮入りしたコンピューター絡みの犯罪もボルテノが後ろで操っているとみられ、そう考えると全ての全容がはっきりしてくる。
もし、これが事実であれば、過去の記録などなくても、ボルテノを逮捕し社会生命に止めを刺すには十分であった。
だが、感だけでは逮捕できない。
そこで、連邦警察は、腕っこきの刑事を捜査に派遣した。マクレガーは三十台半ばの最も油の乗り切った敏腕刑事であった。
その助手として、太陽系連邦情報部のアレックス長官が彼の懐刀スリーパーをつけてくれた。
連邦政府情報部でも、事態を重要視しているということ。
名前のようにスリーパーはいつも眠そうな顔をしている年齢不詳のぱっとしない男だが、一緒に仕事をするようになって、それが見掛けだけの事であることが判った。
どんな仔細な事もスリーパーの眠そうな半開きの目から逃れることはないのだ。しかも、喰らい付くと、スッポンのように執念深かった。
マクレガー達はボルテノを付け回し、あらゆる行く先と接触する人間を押さえ、その一方で過去をしらみつぶしに調査した。
クロスは完全に姿を消しており、全く表面に出て来ない。もちろん、ボルテノと会った気配もない。
ボルテノは忙しい人物で、およそひとつ所にじっとしていない。方々へ出歩き、自宅に居るときはパーティを開く。お歴々を招待して、自分の実力を見せ付けるのだ。
そのボルテノも、時々休暇を取る。宇宙中にあると思われる別荘で一週間から一ヶ月のバカンスを楽しむ。連れて行く婦人はその都度違う。
ゲーリック株式会社の社長を自殺に追い込んだ株取引不正事件の時も、惑星不動産で多額の不渡りを出し、結局ボルテノがそのほとんどを接収した事件の時も、ボルテノは地球に不在で休暇中だった。
そして、帰ってくると、ボルテノが宙に浮いた財力を手にしているということになる。
これ程の富を手にしても、その野心は留まるところを知らず、ボルテノに狙われたら最後だという噂が実業界で密かに囁かれていた。
スリーパーは、なんとかボルテノのお抱えドライバーとして潜入することに成功した。そして、休暇について行き、その時使われる亜空間通信に注意を配った。
たいていは実業や社交上の用件で占められる。その中に一つ、宛て先不明の物件があった。
マクレガーに報告すると、彼は小躍りした。
「きっと、それに違いない。実は、クロスと思える男を見つけたんだ。あんたの言う時間ときっかり一致する時刻に、奴も亜空間通信を使っている。成形手術を受けて別人のようになっているが、きっと奴だ。その亜空間コード、押さえとけよ。奴はどこかに行くつもりだ。俺は後を追ってみる」
「気をつけろよ」
だが、それがマクレガーを見た最後となった。その二週間後、マクレガーはK-24の宇宙ポートで、死体となって発見されたのだ。
スリーパーが駆けつけた時、遺体は検死を終えていた。検死官から検死報告を受け取る。
「死因ははっきりしたものだ。頭部と胸と腹に数発ずつ撃ち込まれている。至近距離だ。なぶり殺されたんだよ。だがね、発見場所で死んだんじゃない。貫通弾の痕もないし、なにより出血痕の量が少ないから」
スリーパーは歯を食いしばって礼を言うと、マクレガーの所持品を改めた。彼はほとんど持っていなかった。おそらく敵が抜き取ったのだ。
ズボンのポケットの隅に、半券の切れ端があった。何処かのキャバレーかクラブの券らしい。彼は、それを財布にしまった。
スリーパーは再び、ボルテノの避暑地に戻った。宛て先不明の亜空間コードを突き止めたい。
快速クルーザーの整備をしているように見せかけて、彼はクルーザーのコクピットに入り込んだ。
ボルテノは、このクルーザーを自分で操縦して何度か出かける事を確かめている。奴の秘密があるとしたら、このクルーザーのはずだった。
コンピューターを呼び出そうとして、彼は座席のポケットにふと目を走らせた。
チケットの半券が挟まっていた。マクレガーのポケットにあったやつと同じものだった。スリーパーは財布からそれを出して比べてみる。間違いない。
クラブ『ロイヤルレディ』
連邦情報局から出てきたスリーパーは、手の中の半券を眺める。
何処にでもあるような名前であるが、この半券に該当するクラブは情報局の記録にはなかったのだ。
これこそ、正しく本星だった。マクレガーが命を張って掴まえたのだ。
彼はその日から、『ロイヤルレディ』を捜し始めた。そのために、まず、マクレガーの足取りを追う。
Jー13のベルトポートで、E7行きの船に乗っている。E7は、K-24ポートに近い。そこは、さらに東部宙域の奥へと向かう船の前進地点となっていた。
スリーパーは身を隠そうとする犯罪者崩れになりすまして、E7へ入った。貧相な目立たない彼は、格別注目されることもなく、潜り込む。
E7は、寂れた世界だった。たいした特産物もなく、住人のレベルも低い。東部宙域もあまり魅力的なところではなく、野心家達をひきつけるものも乏しかった。
従って、盛んな通商ルートから外れ、華やかな交易から落ち零れた三流以下の商人達が、細々と商いをしていた。
スリーパーは連日、酒場に通いつめ、カウンターに腰を据えると酔い潰れて過ごした。夢見心地に半分眠っているような彼の姿は、いつしか酒場の風景になってしまった。
そして、ある日、寂れた酒場には不似合いの目付きの鋭い男がやってきた。
その男は平凡なバーテンダーに耳打ちし、奥の部屋に入って行った。
スリーパーはトイレに立つと、携帯式のコード探知機を作動させた。方位ベクトルがボルテノの亜空間通信のものと一致する。
スリーパーはふらふらと足取りも覚束ない様子で、バーテンダーに酒代を払って店を出た。
さっと物陰に隠れると、入れ歯を外す。それは小型の亜空間通信機だった。
情報部のコードを発信する。今、入手した亜空間コードを短く集約された記号で送る。
再び入れ歯を戻し、彼は酒場の入り口でさっきの男を待った。男が出てくると、スリーパーは哀れっぽくまとわりついた。
「旦那、何か仕事をくださいや。とうとう飲み代が無くなっちまったんで。どんなことでもやります。お願いですから」
男は煩そうに追い払ったがスリーパーは怯まなかった。男はとうとう根負けして、彼を船に雇ってくれた。
雇い主はうきうきと楽しそうだった。船を発進させると、スリーパーにまで冗談を言った。船員は少なく、全部で五人。男の片腕らしい目付きの悪い奴が二人。残りの三人はスリーパーと似たり寄ったりの雇われた者達だった。
「いいところへ連れてってやるよ。そこへ行けるのは、なかなか大変なんだぜ。俺もようやっと、行ける身分になったってわけさ」
すると、片腕の二人が嫌な目付きでスリーパー達を見て、にやっと笑った。
スリーパーは近づいてくる惑星を見つめた。知らない世界だった。ぱっとしない赤っぽい太陽の周りを巡る三番目のその惑星は、黄色っぽく乾いた不毛の世界のようだった。
忘れられ見捨てられた世界。その砂漠の真ん中に、都市がある。
連邦警察も知らない悪の華の都市。
スリーパー達雇われた三人はその世界から一生出る事はないのだと、彼は悟った。
もう一つの舞台 悪の華 登場




