ハイフェヴィウム始末記(第5部・完)
第5部 訓練基地は元気でいっぱい 完結編です
八の章
二隻の船は寄り添うように並行して進みながら、カリスト衛星軌道に差し掛かった。
カリストは、ちょうど進行先に入っており、三十五万キロメートルまで接近する。毎秒七十キロの速度で移動していて、両者の間が六百キロに満たない場合、カリストでそれを二隻の船と見分けるのは難しい。
カリスト衛星軌道を予定より秒速0・八キロばかり遅れて通過。カリスト衛星に最接近した時、この遅れは九・三キロになっていた。そのまま十分継続。
十分後、アリョーシャ号は手持ちの探査ゾンデを撃てる限り全周囲に向けて発射した。ゾンデ発射速度は全て、四十五メートルに統一している。
同時にシャルルの船も同じ速度で予定軌道より十度傾斜して飛び出し、三十秒後に九十四メートルに加速した。
アリョーシャ号は連邦宇宙船の船になりすましてそのまま予定軌道を、しかし、速度を若干落としながら進み続けた。
それから三時間後、追いついてきた中国の船に停船を命じられた。
「直ちに減速し、停船せよ。我が砲は正確に貴船を捉えている」
アリョーシャ号は速やかに警告に従い、所在を明らかにした。
「我々はカリストの調査に来ている。先刻、射出したゾンデを調べてもらえば、明白。停船を要求した理由をお聞かせ願いたい」
この展開を中国側が予想していなかったのは明らかだった。返答は長く手間取った。やがて、苦心のいい訳が返ってきた。
「申し訳ない。先刻のゾンデ発射を軍事的作戦行動と誤解しました。参考までに、貴船のこれからの航行予定コースをお教え願いたい。再び貴船の調査活動を妨害する惧れがないように」
アリョーシャ号は快くコースを教える。これも計画のうちである。
「我々はカリスト衛星軌道を大きく廻りながら、レダ衛星軌道まで接近し、帰還する予定です」
「了解しました。実り多い調査旅行でありますように。ごきげんよう」
中国の船は時間を無駄にせず、さっさと離れていった。役目を果たしたアリョーシャ号は、コースをゆっくり廻っていく。クレミコフ達は星が静かに輝く闇を振り返り、若き友人達の幸運を祈った。
***
ゾンデに紛れ、コースを外して飛び出したU-Ⅰ号は、その後38Gまで加速を上げ、十分続行した。全員が加速用シートに押さえつけられている中、勇がゆっくり身体を起こして右手を伸ばすと、加速レバーをゆっくり下げていく。
加速が止まり、息を吹き返したシャルルが操縦を交代した。
U-Ⅰ号はライルが算出した軌道を大きく迂回する。彼の航路軌道はあまりに理想的で正確すぎるため、U-Ⅰの軌道上の僅かな二点間の測定値でも、コンピューターがその軌道を算出することが可能だった。
だが、彼等が何より恐れるのは、航路を読み取られ待ち伏せされることである。ライルが測定し算出したハイフェヴィウム臨界点までもう時間がないので、これを奪取または妨害されたら、カタストロフィーを避ける事はいかようにも不可能になる。
一方、シャルル達は、途中、どういう経過があろうとも、ライルが指定した定点座標ゼロアワー前にはライルが示した軌道に戻っていなくてはならなかった。
そうでないと、ハイフェヴィウム撃ち出しの際、慣性運動ベクトルが離脱ベクトルと一致しなくなり、ハイフェヴィウムの加速と軌道が狂いだす。これが出す速度は非常に大きく、開放されるエネルギーも途方もないものとなるので、予定軌道を外すことがどれ程重大な結果を招くのか予想もつかない。
それで、チャーリィ達は簡単なトリックを用いることにした。敵の待ち伏せより早く座標に到着するのだ。
カリスト衛星軌道接近速度が予定速度より遅れたのはその為である。
そして、今度は航路も変更したために、余分な距離を走破しなくてはならなくなった。
その結果が、この無茶な加速航行となったのだ。
伊藤は木星引力圏でのこれまで積んで来た経験を生かして、航路の修正軌道を算出、測量と計算に追われた。
それをもとにシャルルが操船し加速する。急激に上昇する加速圧でみんながくたっとなると、自動的に勇が引き継ぎ、加速を切るまで頑張るのだ。
ライルが聞けば眉をしかめるであろう、乱暴この上ない加速と減速が幾度も繰り返された。
が、ついに、最終減速過程に入った。どんなに遅くとも、ぎりぎり予定座標1秒前ポイントには最終予定軌道・速度で入るべく、猛烈な減速をかける。
加速と減速に散々痛めつけられた身体を励ましながら操縦を引き継いだシャルルに、勇が船影発見を告げた。
「連中も馬鹿じゃないな」
先の加速でうっかり唇を噛み切ったチャーリィは、生暖かい血の味に顔を顰めながら、吐き捨てるように言った。
「追いつかれそうか?」
伊藤が訊いてきた。
「ぎりぎりです。しかし、予定座標を変えるわけにはいかない」
勇がシャルルの代わりに答える。
シャルルはライルが指定した全ての条件を満たそうと、夥しい計器類を睨みながら操船を続けている。口を利くゆとりなどない。
定点測量の難しい広大な宇宙では、計算通りの軌道に乗ってさえ、ぴたりと座標ベクトルを合わせるのは難事である。それを滅茶苦茶なコースから合わせていこうというのだ。ありったけの奇跡と航海の女神の加護が欲しいと彼は思う。
とにかく、シャルルはこれをやり遂げようと必死であり、後ろから追い上げてくる敵船にまで気を回す余裕はなかった。
必然的に、そちらは他のメンバーの担当となった。
「どうする?」
勇がチャーリィに聞いてきた。声が心なしか弾んでいる。彼はこの事態を楽しんでいるのだ。
「お前に任せる。俺はこいつを外すわけにはいかないんだ」
チャーリィは計器とクロノメーターを凝視して言った。ハイフェヴィウム発射時刻まで、あと三分七秒。
追っ手はそのうちに、千二百キロまで接近しなおもぐんぐん距離を縮めている。
「停船せよ。直ちに方向を変えて従わなければ、攻撃する」
アラビア訛りだ。勇は口笛を吹いた。さるアラブ圏諸国で、密かに宇宙基地の開発を進めているという噂は本当だったらしい。
勇は一連の操作を楽しそうに行った。
船の後部貨物ハッチが突然開く。
中から、ありとあらゆる大きさの雑多な諸々が、中の空気と一緒に噴き出した。追い縋るあちらさんには、いきなり目の前を霧で覆われた気分になるだろう。
貴重な幾秒かを、これで稼げる。
ゼロアワーに、一分三十秒。
アラビア訛りの船首がガラクタの雲から出てきた。同時にミサイルを撃ってくる。此方を沈めるのではなく、被弾によって動きを封じようとする腹なのだが、荒っぽいアラーの神様だ。
勇と伊藤は、積載ゾンデやら小型探査機やら、一つ一つが連邦宇宙局の財政担当官を気絶させるような値段の代物を、片っ端から打ち出した。
ミサイルがそれに当たって、様々な機械がばらばらになって拡がった。それで、再び、相手の目とレーダーを撹乱させる。
ゼロアワーに、二十五秒。
ミサイルがU-Ⅰ号の傍らを飛び過ぎた。勇達が仕留め損なったやつだ。敵はよほど必死らしい。
十秒前。
ミサイルがすぐ横を飛ぶ。しかし、シャルルとチャーリィはそんなものなど目に入らない。まだ、速度が二十三センチ速い。角度を五度絞って……。
五秒前。
全員、胃の底が緊張でひきつれる気がした。
二秒前……一秒前……。
ゼロ。
座標ベクトルが一ミリの狂いもなく、ぴしゃりと決まった。同時にチャーリィが離脱スイッチを押す。
一秒経過……二秒経過……。
ハイフェヴィウムは、三秒間、U-Ⅰ号と一緒に並んでいた。
三秒……。
ハイフェヴィウムを積んだ――というより、ハイフェヴィウムに外皮を張りつけた物体の尾部で、ハイフェヴィウム中性子崩壊反応が始まる。
ライルが設置した推進装置は全く誤差もなく反応を開始し、制御された開放エネルギーがプラズマとなって噴き出した。
いきなり秒速六百六十六・四メートルの加速。
シャルル達には、すっ飛んでいくというより、消えた、というところ。肉眼では追いつけない。
計算通りのコースを正確に突き進んでいくのを確認して、シャルルは深い安堵の溜め息をついた。
「ちょいとばかり気を落ち着けて、良く聞いてくれ」
直ぐ隣で苛立ちのこもった声を聞いて、はっとする。チャーリィが通信機を取り上げて、後方の船に呼びかけていた。話しながらも、彼は此方に目掛けて飛んで来るミサイルを片っ端から撃ち落していた。
「君達も見ただろう? たった今、ハイフェヴィウムの全ては宇宙の彼方に飛んで行った。追いつけるものなら追いかけてって、取ってきてもいいぜ。だが、俺達だったら頼まれたってご免だがね。いいかい? ライル・フォンベルトの概算では、あの塊は、あと五時間後に大爆発を起こすんだ。とにかく、もうミサイルをぶっ放すのは止めろ。財産の無駄使いだ。俺達はガニメデにUターンする。じゃあな」
ミサイルが飛んでこなくなった。通信機は黙したまま。
U-Ⅰ号は悩める船を無視してゆっくり減速しながら、方向を変えて行く。
アラブ製の宇宙船はなおも減速せずに飛んで行った。連中が途中で引き返したか、それとも、五時間十七分三秒、僅か一分四秒の誤差で大爆発したハイフェヴィウムに巻き込まれたか、それはとうとう判らなかった。某国もついに公表する事なく黙し続けている。
ハイフェヴィウムの爆発現象は、ガニメデは無論、地球からも肉眼でその素晴らしい輝きを見る事ができた。このハイフェヴィウム中性子崩壊が非常な短時間のうちに進むプロセスがどのようなものであるかは、今後の科学者達の課題である。
これからのチャーリィらに直接に関する事は、無茶な航行で残り少なくなってしまった燃料と相談しながら、無事帰り着くことである。いきおいのんびりした帰投となり、いかに暇を潰すかがさし当たっての候補生等の問題であった。
伊藤には、船の高価な備品を全て破棄してしまった責任の始末書を書くという大問題が現実化し、帰りたくない気持ちでいっぱいだった。
九の章
U-G基地上空に、ジュピターDⅢ号が相対的に静止している。基地交替要員と補給物資を届け、訓練期間が終了した候補生達を乗せて帰るためである。
チャーリィはほとんどないような荷物をまとめながら、相棒を眺めた。ライルも黙々と資料やデータファイルを片付けていた。右目の下が、まだ青黒く腫れている。
昨日の歓送試合で、ブレイク中尉から見事なノックアウトをもらった名残だった。ライルは今まで一発もパンチを打ったことがない。軽快で敏捷な身のこなしで攻撃を繰り出す相手を疲労させ、自滅させるか判定に持ち込むのだ。
しかし、昨日はついに中尉に捕まって、腹に一発、そして顔面にまともに決まって伸びてしまった。
「右目の下、まだ腫れているな。痛くないか?」
声を掛けてみる。ライルが不思議そうな顔つきで此方を向いた。医者でもないのにどうして聞くんだと思っているのだ。聞いたからといって、別に痛みが減るわけでもないのに非合理的だと考えている。
「たいしたほどじゃない」
簡潔に答えると自分の作業に戻ってしまう。チャーリィは言葉の接ぎ穂を失ってぷっとふくれる。会話が成り立たない。いっつもこうなんだ。
チャーリィにはライルという人間がまだ解らない。少し打ち解けたかなと思うと、直ぐに冷たい無表情で締め出される。だが、拒絶している訳ではないらしいとまでは解ってきた。
相手にどんな印象を与えているか、本人はちっとも理解していないのだ。よっぽど世間知らずに出来上がっているようだ。こいつの親の顔を見たいと思う。親なんか居るようにも見えないけれど。
ライルはあれから度々、イオのダイナモ衛星やガニメデの受電変換所へ出かけていた。クレミコフ博士とも何度も会合を持ち、地球へも長距離通信をかけている。イオダイナモ計画はじきに新たな構想で再開されるだろう。
***
候補生八人は到着した時と同じホールに整列した。基地司令官モートン大佐を始め、ブレイク中尉、レッド、スライド両軍曹、そして基地の隊員達みんなが同席していた。
キーエフ基地からも、クレミコフ博士やアリョーシャ号船長達が駆けつけてきている。アリョーシャ号の船長は初めてチャーリィ達と対面した時、彼等がまだ若いのに驚いたものだ。
「将来は、手加減してくれよ」
と、船長は親しげに笑みを浮かべ、チャーリィ達に握手を求めてきた。
六週間前に候補生を迎えた冷たいとげとげしさは、今ここにはない。隊員達は、訓練を果たし一人前の隊員として務め上げた彼らの肩を叩き、可愛くて仕方がない子供を見るように笑いかけ、励ましの言葉をかけた。
訓練生の最後の一人が連絡艇に乗り込み、ジュピターDⅢ号めざして上昇していくのを見送って、ブレイク中尉は大佐を振り返った。
「連中はなかなかにたいした男達ではないですか」
大佐も大きく頷いて同意する。連邦軍所属宇宙士官アカデミーの学長ヘインズ大佐は、彼らと一緒に送られる報告書に記された彼らの成績に大いに満足することだろう。
しかし、ジュピターDⅢ号に移った候補生達はそれどころではなかった。業務生活は往時同様忙しいし、その上に、厳しい基地での生活や、ハイフェヴィウム騒動で著しく遅れてしまった課題が、今や時間に急きたてられて、目の前に山積みとなっている。
ライルはライルで、ハイフェヴィウム始末書たる報告書を仕上げねばならない。地球では、稀有の放射性物質を手にし損なった軍と学会が、目を吊り上げ、怒り狂って待っているのだ。
地球まで、行程約六億四千万キロメートル。泣いても笑っても、一ヶ月。
八人の候補生を乗せて、ジュピターDⅢ号は地球めざしてひた走る。
数字がやけに多い第5部を、ご辛抱強く読んでくださってありがとうございました。
次回からは、第6部、砂漠の夜は怪物がいっぱい を始めます。引き続きよろしくお願いいたします。
これは、第4部からの続きとなります。麻薬によって強引に地球人の感情を引き出されたライル氏の葛藤?の話となりますが。。。例によって、親友達が巻き込まれます><




