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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第1部 母なる大地はポリマーでいっぱい
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ミーナの宣言

 シャフトナーが扉を開けて入ったそこは、小さな部屋だった。通路と同じ馴染みのない物質の壁に囲まれており、その壁全体から柔らかな光が滲むように出ていた。部屋には様々な色の光で瞬く複雑な機械があり、ガラス様の透明なケースが置かれていた。


 中に、栗色の長い髪の子供が一人眠っていた。


 シャフトナーは恐る恐るケースに近づく。一見、自分達となんら変わりなくみえた。だが、この異質な宇宙船の中で、地球人の少年が眠る異常さは理解できた。

 地球人のレベルで考えると11歳ほどにみえる。裸体なので、少年と知れた。


 と、そのケースの蓋が開きだす。

 薄い霧のようなものが少年に吹き付けられた。


 シャフトナーが驚いて見ているうちに、少年が眼を開き、身体を起こした。櫛も入れてなさそうなぼさぼさの髪は腰近くまで長い。

 少年の目は深い紫色だった。初めて見るほどの美しい少年だった。

 

 声も出せずに見つめていると、少年がこちらをじっと見る。何の表情もない。ロボットなのだろうか、と思った。

 ややあって少年は視線をそらすと、両の手を上げてその動きを確かめた。そして、ケースの中から出て、シャフトナーの前に立った。


 少年は耳慣れない言葉を壁に向かって発した。どこからか、無機質な声が同じ言語と思われる言葉を話してきた。それに対し少年はうなずいて、改めて博士へ視線を向けた。


「この言語はわかりますか?」


 少年は英語で話しかけてきた。ちょっと甘みのあるテノールだった。


「解るよ」


 まだ混乱しているシャフトナーがドイツ語で答えると、少年はドイツ語に切り替えて自己紹介をしてきた。


「私は、ライル・フォンベルト・リザヌールです」


 この時の衝撃を、シャフトナーは一生忘れないだろうと思った。

 フォンベルト!

 少年はそう言った。彼の唯一の、そして宇宙の彼方に永遠に失われた友の名だった。


 ***


 ネバダの地下の宇宙病理研究所では、FBIとCIAが厳しく目を光らせて常時うろつくようになった。研究所の職員達はおかげで落ち着かない思いをしている。


 保菌者ではないことが認められたのでライルは隔離室から出て活動していた。ギフォード博士も、今では積極的にライルに協力していた。政府筋の方から支援の要請が来ていたからである。

 感情面は別として、全員がライルの指示に従って活動していた。彼は厳しかった。何処までも、厳密な正確さを要求した。


 それでも、ライルが望む酵素を合成するのは難航した。これまでの無理が祟って、体力の消耗が激しかったが、彼は休みも取らない。この一刻一刻のうちにも、大勢の命が失われるのだと思うととても寝てはいられなかった。


 ライルにしてみれば最新の設備を誇るこの研究所も初歩的で不備極まりなく、その事一つとっても歯がゆかった。

 アミノ酸を合成し、高分子に育て、試薬を加え、一定環境の下で技術的操作を行う事によって、求める酵素を作り出す。たったそれだけのことがなかなかできない。


 隔離された病室以外の所内は、原則通常の衣服で活動できる。研究者や医師達は、各々好みの私服に白衣を着用していた。ライルは紺のTシャツとカーキのチノパンに白衣を着ている。


 それを見たミーナは、ライルがどうやら火星帰りのあの日からずっと着替えもしていないらしいことに気が付いた。決然として、彼女は新しい服一式を手にライルの所へやってきた。


「さあ、これに着替えて。そっちは洗濯してあげるから」


 薬品を慎重に計って混ぜ合わせているライルに、白衣とお仕着せに用意された服を押し付ける。彼は上の空でそれを受け取ると、その場で服を脱ぎだした。


 仕事中のスタッフ達がぎょっとした視線を向ける。ミーナはもっとびっくりした。

 彼は白衣とTシャツを渡し、チノパンに取り掛かっていた。


「ライル! 部屋で着替えて。シャワーも浴びたらいいわ」

「シャワーは後でするよ」


 彼は上の空で返事を返すとチノパンを彼女に渡し、びっくりして見ているスタッフの方へ歩いて行った。


「分留は終わりましたか? 次にこれを加えてください。加熱処理します」


 その男は青のトランクス一つのすらりとした姿に目を丸くして言った。


「早く服を着替えちまったらどうだ? 彼女が困ってるじゃないか」


 言われて初めて彼は自分の姿を見下ろし、ミーナを見た。

 頭を掻きながら戻ると、トランクスに手を掛ける。ミーナは慌てて叫んだ。


「そ、それはいいわ。早く着て!」


 ミーナは脱いだ服をまとめると、急いで出て行った。


 スタッフの間でどっと笑いが起こる。ドアの向こうのFBIの男もくすくす笑っている。ライル一人が、どうして皆が笑うのか解らない。


 ***


「もう! 嫌んなっちゃう!」


 ミーナがチャーリィ達元患者用のリビングを兼ねるミーティング室に戻ると、PCに齧りついているチャーリィに愚痴を零した。

 回復して以来、再発の兆しは今のところない。まだ、所内に閉じ込められてはいたが、行動は自由だった。


「ライルを引っ張って来るのに、失敗したようだな」


 チャーリィはたいして同情も見せずに言った。


「今のあいつに何を言ったって無駄だよ。何かに夢中になったら、てこでも動きやしないんだから」

「何をしているの?」


 ミーナがディスプレイを覗き込んできた。


「もう一度、今回の罹病経過を洗い直しているんだ。アクセスさえうまくやれば、世界中の医療機関データぐらい手に入る。火星帰りは、俺達ばかりじゃないはずだからね。そして、ライルの濡れ衣の証拠をあのFBIの野郎に突きつけてやろうと思ってさ」

「彼の無実を信じてくれるのね」


 チャーリィがまだ疑念を捨てきっていないと疑っていたのだろう。ミーナが嬉しそうに言う。


「さあてな。俺としては、あのランフォード野郎が気に入らないだけさ」


 そして、ミーナを見た。


「何で君はまだあいつが好きなんだ? 彼の体の中を見ただろう? 俺達と全く違うんだぞ。君の想いは一生報われないかもしれないんだ。あんな奴、想うのは止めて俺を好きになれよ」


 ミーナはデスクの端に腰を下ろすと、所在なげに足をぶらぶらさせた。チャーリィと同じく、研究室お仕着せのそっけないグレーのTシャツと白のコットンパンツを着ている。

 せっかくの脚が見えなくて残念だ。横目で見ながら、チャーリィはにやっとした。


 しかし、ミーナはチャーリィの視線を軽く無視して切り替えしてきた。


「どうしてそうこだわるの? あなたのほうこそ変よ。別に私が誰を好きだっていいじゃない。今までだって気にしてなかったのに。それがライルだと、あなたは面白くないのよね。ライルが私に関心を示すから」


 一旦言葉を切ると真顔になって、据わった眼をぐいっとチャーリィに近づけた。思わず、彼は顔を引く。


「あなたのほうこそ、ライルに関心があるんだわ。最初は、あんなに敵意を持っていたくせに。あれも、彼が気になっていたからだわ。チャーリィ、ほんとうはあなたが好きなのは私じゃない。ライルのほうなのよ」

「馬鹿な。あいつは男じゃないか」


 思いがけないことを言われて、チャーリィは狼狽えた。


「今時、男や女なんて関係ないわ。それに、ライルは中性的よ。今まで彼と二人っきりで過ごすチャンスもあったけど、彼は一度として男がしそうな事は何一つしやしなかったわ。ちょっと自信無くしかけてたけど。どうしてなのか、やっと解ったわ」


 ミーナは一人で納得したように頷く。


「きっと、考えもつかないのね。私たち地球人の男女の常識は通じないみたい。キスだって、いつも私から。彼からしたことはないわ」


 そして、何か思い切るようにデスクから勢いよく降りた。豊かな金髪がふわりと揺れる。まだ戸惑った顔のチャーリィに、ミーナは宣言するように告げた。


「私は彼が好きよ。彼がもっと感情に乏しくて、箸にも棒にもひっかからなかった頃から。きっと、私は本気で彼に恋してる。彼がどう思っているのかはわからないけど……、でも、私は彼が好き。異星人だって関係ないわ。チャーリィ、こればっかりはあなたに譲れない。ライルは、私のものよ」


 挑戦的な視線をチャーリィに投げて彼女は部屋を出て行った。

 彼はミーナに言われた言葉に心が泡立ち、落ち着かない思いになる。


 ――あいつは男だ。確かに、気にはなってたが、そういう意味ではないはずだ。だいたい、ありえないだろう? 奴の異質性に気づいていたからだ。そうに違いないじゃないか。俺は、あいつの正体を無意識のうちに感づいていて、それで無性に気になっていたんだ。


 自分なりの結論を下し、少しほっとする。

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