ハイフェヴィウム 破棄作戦
七の章
宇宙船を発進させる段階で、早くも障害が出た。発進予定時刻十秒前、伊藤が発射準備スイッチに指を掛け発射台に三分の一の噴流が吹き付けられると、仕掛けられてあった小型爆弾が爆発したのだ。
発射台の頭部が砕け船体を支える支柱が折れて、船は十五度傾いた。
発進不能! とっさに伊藤がノズルレバーをゼロに引き下げ停止スイッチを押そうとすると、シャルルがそれを押し留め、コントロールを自分の操縦盤に引き継ぐ。
計算され尽くしたプログラムに遅延は許されないのだ。ノズルレバーを一挙に全開まで押し上げ、上昇桿を目いっぱい上げる。
宇宙船はエネルギー流を発射台に叩きつけ、船体を震わせながらそのまま上昇し始めた。
助走行もない無理な体勢である。船は胴震いを始めた。しかし、シャルルは上昇させながら傾斜を修正していく。基地の船はフォンベルト加速吸収構造にはなっていない。加速圧はもろに二人のパイロットにかかってくる。
船体の上昇体制が正しい軌道に乗ると、シャルルは加速を和らげ予定出力に修正した。
これから、ガニメデ衛星軌道を四十五度の角度で離脱し、ぜんまいが解けていくように大きく螺旋軌道を描きつつ、ヒマリア衛星軌道まで指定された加速を注意深くかけていく。
その加速は、大きすぎても小さくてもうまくいかず、ヒマリア軌道の決められた座標点に予定速度で到達し、毎秒プラスマイナス二十五センチ、ベクトル角度1.4度、二・八秒の誤差内にハイフェヴイウムを切り離さなければならなかった。
一時間後、シャルル達はレーダーに機影を補足した。このままでいくと、六時間後に衝突コースに入る。基地に報告を入れると、彼らは顔を見合わせた。
此方からの送信は、相手の船ばかりではなく、他の有り難くないお客にもこの軌道を教えることになるので論外である。火器管制席に着いているハイフェヴィウム離脱の担当であるチャーリィが笑った。
「止めとけ。偶然にしちゃできすぎてるさ。お客はキーエフの皆様に決まっている。シャルル、君が回避できなくなる直前まで待ってたって構わんさ。その時、送信しても無駄だと思うが。送信しようと、警告しようと、相手がぶっつける気なら同じだ」
伊藤はぎょっと顔色を変えた。助手席に落ち着いている勇がのんびりと言って来る。
「へへへ……。来るなら来い、さ。驚かしてやろうぜ。なあ、シャルル。俺は六十Gの加速に二時間耐えられる。奴等には消えたように見えるだろうな。それとも、チャーリィ。一発ドカン! って、やっつけてやるか? あっちだって、事故があった以上の事は言えないはずだ」
シャルルとチャーリィがにやりと笑う。
それを見て、いよいよとんでもない連中と乗り組んだ事を伊東は悟った。基地の士官一人に、候補生三人。普通なら逆のこのおかしな取り合わせに、もっと早く警戒すべきだったのだ。ブレイク中尉は何もかも承知で、この人選をしたに違いない。
だが、後悔してももう遅い。既に、全てが進行中であった。
パイロットとして腕の確かなシャルルは当然。チャーリィは基地で一番、射撃の腕が確かだった。勇は一番、重い加速に耐えられる、というただそれだけの理由で乗船している。
本来、計画発案者のライルも、いざと言う時のコース変更の為に同船していなくてはならないところなのだが、彼は加速圧に余り耐えられず、キーエフで受けた拷問からも回復していないので同乗を諦めた。
その代わり、シャルル達は、最終ポイントの座標と方位ベクトル、到達時刻と速度をきっちり守らなければならなくなった。許容誤差を外すと、速度と代物が代物だけに、取り返しのつかない事態になる。
***
神経が鋭い刃で一枚一枚、剥ぎ取られるような待機の時間が始まった。両船は次第に接近し、スクリーンに肉眼で捉えられるほどになった。
予想通り、キーエフ基地所有のものである。相手も此方をとっくに捉えているくせに、何の連絡も入れてこない。
X刻に同座標で交わるコースに乗っているのは明らかだった。伊藤達は設定されたコースを維持したまま待つほかない。
待機時間六時間が残り二時間になり、一時間になる。伊藤は自分の脈拍が大きくなり、膝の上で握る手のひらが汗でじっとりと濡れてくるのを意識していた。
三人の候補生は異常なほど落ち着いていた。だが、いつもなら口を付いて出る冗談の数が減り、足を組み替えたり、計器類を頻繁に点検しているところをみると、やはり彼らも緊張しているのだ。
三十分を割り、十分を切った。相手の船はまだ向きを変えず、まっすぐ此方へ進んでくる。衝突予定時刻五分前に入る。
秒読み開始だ。
伊藤は思いっきり良く操縦コントロールをシャルルに任せた。長年の経験で、自分よりこの青年のほうが旨くこなせると、正直に認める力があった。
シャルルは片手を軽く操縦桿に当て、もう片手で加速レバーを握る。勇は両手を補助加速レバーに置いた。猛加速を止めるのは、勇なのだ。
チャーリィは火器の焦点を先方の船にぴたりと捉えている。加速の瞬間に、どうしても一発お見舞いしてやるつもりだ。
此方を航行不能にするなら、もうとうの昔に攻撃してきてもよさそうなものだが、相手は黙ったままだった。
エンジン部に一発当てれば、事は簡単に運ぶのだ。動けなくなったところを乗り移るか、船ごと引っ張ってくればいい。それをやらないのは、敵さん、よっぽど腕に自信が無いのか、それとも事後検証で問題になるのを恐れているのか。
一分が十分にも一時間にも長く感じられた。そして、三分が過ぎた時、相手の船の向きが変わった。
ゆっくり船首が回り、ついに両船は並行になった。両船間、三百七十キロメートルのところである。チャーリィの指はまだ火器の発射ボタンにかけていたが、船内にほっとした空気が流れる。少なくとも、衝突の危機はなくなったのである。
通信機が受信のサインを出し、伊藤が回線を開く。ロシア訛りの強い英語が喋りだした。
『U-G基地の皆さん、キーエフ基地のアリョーシャ号から挨拶を送ります。我々はこれより、貴船の護衛に就きます』
「どういうことです? アリョーシャ号」
みんなが顔を見合わせる中、チャーリィが訊ねた。
『軍上層部では、今現在も、ハイフェヴィウムの奪取を命じています。しかし、この船に乗船している者は全員、フォンベルト博士の話を信じ、彼に協力する者達です。謀反を起こすつもりはありません。我々は命令を遂行する予定で出航し、ついに履行不能だっただけです。博士や、我々の正当性は、ハイフェヴィウム自身が証明してくれることでしょう。これで、至近距離に近づくまで、通信も送れなかった理由もご理解いただけたのではないかと思います』
「実際、衝突されるのではないかと覚悟していましたよ。冷や汗をかきました」
『こちらこそ、いつ撃たれるかとびくびくしていました。実際、攻撃されても文句の言える立場ではありませんでしたからね。貴方はチャーリィ・オーエン君でしょう? 貴方の射撃の腕は、私達の耳にも届いています。自己紹介が遅れました。私はクレミコフです。フォンベルト博士は、ご無事でしょうか?』
「無事です。ご安心ください。それで、わざわざ援護してくださるには、理由があるのでしょう?」
『その通りです。カリストに怪しい動きがあると、去る筋から情報が入っているのです。そのためにいっそう、上部ではこの奪取にやっきになっているのですよ』
「カリストに? どうもありがとうございます。さっそくですが、その件で一案があります。ご協力を当てにしていいですか?」
決断の早いチャーリィは事態を飲み込むのも早かった。カリストで遭遇する危機を乗り切る計画はもうできていた。
『協力は惜しみません。我々は何をしたらよいのか、おっしゃってください』
四十五才のクレミコフは自分の年の半分もいかない青年の指示を待った。