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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第5部 訓練基地は元気でいっぱい
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ライルさらわる

 六の章


 機動一個中隊が重装備の一連隊を従えて、バーナード断崖に向かっていた。モートン大佐が、ライルの報告書を見、助言を受けての決断の結果である。


 彼の報告書は非常に詳細なもので、ハイフェヴィウム活性化臨界推定時間も述べられていた。時間は切羽詰っていた。

 地球本部へ問い合わせるには、現在片道四十分以上かかり、本部が頭を寄せ合って結論を下すのに、どれほどの時間が……いや日にちがかかるか不明である上に、敵国には此方の動きが完全に露見してしまう。


 大佐は、地球のお偉方に決定事項の承認を仰がず、独断で行動に踏み切ったのである。事後承諾が成立しない場合は、その全責任を負う覚悟で。

 今後、太陽系の住人がますますその手を遠くへと伸ばし、より遠方の前線基地ができれば、そこの最高責任者は、同様のジレンマをよりいっそう背負うことになるだろう。


 連邦基地のこの動きを、他の基地が見過ごすはずがない。だが、軍の重武装を見て、表立った行動は控えた。ここで戦争を始めると、引いては地球上での対立関係に火を注ぎ、第三次世界大戦へと進みかねない。お互いそれだけは避けたかった。

 連中は隙を突こうと手ぐすねひいているだろうし、当方としては秘密裏にハイフェヴィウムを宇宙空間に運び出さねばならない。

 もちろん、両基地へも当放射性物質の危険性を詳しく公表している。だが、今となっては、それも詭弁の一つとしか受け取ってもらえない。

 せっかく捨ててきても、それを回収されてしまったら、元も子もないのだ。


 ***


 ハイフェヴィウムの発掘方法及びその扱い、保存、処理、破棄方法に関しては、ライルが詳しく事細かに、報告書に書き記してあるので、準備万端整えられ、作業には問題はなかった。


 ただ、一つの手違いは、彼が誘拐されてしまった事だけだった。

 後に、ロシアの某氏が述懐している。


「彼ほど拉致するのに、手間のかからない人間はいない。あの青年は、疑うという事を知らないらしい」



 キーエフ基地の科学者がハイフェヴィウムについて詳しく聞きたいと、駐屯中の部隊へやってきて、士官達が監視する中でライルと話し合う場を持った。

 クレミコフ博士は以前、イオダイナモ計画に共に携わっていた関係で、ライルとも顔見知りであり、友好的に面談は進められた。二年近く前に、ダイナモ計画推進のネット会議で同席してから、二、三回TELで逢って以来で、その間に新たな知識や論説が増え話題は尽きなかった。

 クレミコフ博士は、ライルに、


「とても、時間が足りません。後で、もう一度お会いして話したいものです。どうです? ちょっと抜け出して来れませんか? そして、ゆっくりお話し致しましょう。皆さんが休む時間なら、他の方に迷惑かけることもないでしょう」


 と、耳打ちした。


 ライルは事もあろうに、その通りにしてしまった。

 彼には規則や命令を違反している意識はまるでなかった。


 のんびりとクレミコフ博士の後について行き、怖い顔をしたロシア兵のおじさん達にぞろりと囲まれて初めて、自分がまんまと罠に落ちたことを知ったのだ。




 ライルは別段悪あがきもせずに素直にキャンプに連行された。

 そして、彼の前に作戦の責任者が現れたが、いくら髭をぴんと立て怖いしかめっ面で威張ってみせても、ライルは一向に恐れ入る気配がなかった。

 その男はよほど焦っているとみえ、前置きなしでいきなり訊いてきた。


「ハイフェヴィウムはどこにある?」


 ライルは関心なさそうに答える。


「今、知ったところで、間に合わないでしょう」

「それなら、作業手順と運搬経路を知るまでだ。掘り出したところを、我々が頂戴する。隠すと痛い目に遭うだけだぞ。時間がないから、我々も手加減をしてやるわけにはいかんのでな」

「僕からそれを聞き出そうと努力するのは、時間の浪費に過ぎない。僕は自分の意思以外のものに従うつもりはないのだから」


 それを淡々と言ってのける。


「何度も警告しているように、ハイフェヴィウムは危険な状態にある。一刻も早く破棄しなくてはならない。無意味な争奪を止め、直ちに協力すべきだ」


 将軍の赤ら顔がいっそう赤くなった。


「無意味だと? ハイフェヴィウムがわが祖国の手に入れば、そうも言っていられなくなるだろう。世界の富を搾取し貪る資本主義国の奴らから正当な権利を取り戻し、世界を正しい秩序によって支配するのだ! その為にハイフェヴィウムは必要なのだ」


 自分が所属する軍と世界が正しいと盲目的に信じて疑わない、ある種の意味で典型的な軍人だった。


「同じ種族同士で、なぜそのように争わねばならないんだ? 理解できない」

「では、理解させてやろう。さあ、計画を全て喋るのだ!」


 将軍は狂暴に言い放つと、部下に合図した。酷薄そうな兵士が刑罰用の棒を手に進み出る。

 棒がガニメデの薄い大気に唸りを上げて振り下ろされた。背を強かに打たれたライルは、後ろ手に縛られたまま地面に倒れた。


 ***


 ライル不在にいち早く気がついたのはチャーリィだった。誰に聞いても知らないと言う。彼はブレイク中尉に報告した。中尉は、昼間訪ねて来たロシアの科学者を直ぐ頭に浮かべた。


 司令官に連絡を取ったブレイクは自分で行動するつもりだった。が、司令官は先手を取って諭した。


「中尉、君の任務は、あくまでも継続中の作戦の遂行にある。ライル博士の救出よりも、計画を完了することのほうが、より重大なのだ。彼を救出する作戦には別の者を当たらせる」


 司令官はレッド軍曹とその部下二名、それに二人の候補生の名前を挙げた。


「既に彼らから作戦担当の希望が出されている。更に、チャーリィ・オーエンには、万が一の情報漏洩の危機の際、ライル博士を射殺する権限を与えた。ライル博士は計画の全てを知っており、事は全人類に関わる。計画の破綻は許されないのだ。中尉、彼らでは不足かね?」


 二人とも、直ぐにも自分の部隊に入ってもらいたいと思うほど、有能だ。


「いいえ、彼らなら十分でしょう」


 ブレイクが移動指令車から出ると、外には既に装備を用意した勇とチャーリィが灰色熊のようなレッド軍曹達とともに待っていた。


 ***


 ロシアのキャンプが何処にあるかは常に押さえてある。彼らは凍てついた荒野を走り、キャンプを望める岩陰まで進んだ。暗期に入って三日目であり、欠け始めた木星がガニメデの大地を赤い闇で照らしていた。


 当然、奪回を警戒して歩哨に立つ兵の数も多い。クレーターの外構山脈を背にして設営し、キャンプの前は覆体のない平地である。キャンプに近づくことも困難だった。


「陽動作戦で行く」


 レッド軍曹が指揮をとった。まず、山脈の崖の下に移る。そこで、勇とチャーリィは崖をよじ登り、尾根伝いに走る。

 時間を計って、軍曹は部下を連れて崖の岩場に覆体を求めながら、接近を図った。


 一人が岩陰から出しなに歩哨を撃つ。即効性の麻酔弾である。近くの歩哨が気づいて叫ぼうとしたところを、これも眠らせる。

 その間に、軍曹ともう一人はキャンプへ走っていく。シフトの手前で発見された。一人が食い止めるうちに、軍曹はさらに中へと入り込む。


 だが、ライルを発見する前に兵が駆け付けて来た。軍曹は兵を相手になおも強引に突破しようと試みた。

 銃撃戦となり、軍曹は撤退を決意。仲間と合流して逃げ出した。追って来た敵は深追いをせず、途中で引き返す。それを確認した軍曹は隊に戻って次の準備にかかった。




 この時、既にチャーリィと勇は、キャンプの中への侵入を果たしていた。山脈の尾根越えで反対側に潜んだ二人は、軍曹達の結果的には派手な騒ぎに乗じて潜り込んだのである。


 今、二人はシフトの下に潜んでいた。窮屈ではあるが、完全な闇の中なので発見されにくい。

 そこから将軍の姿が見えた。シフトと密閉式テントに囲まれた空き地に、将軍と士官達が立ちその間にライルが転がされている。


 冷たく固い台地の上に、ライルはヘルメットもなく、厳しいガニメデの大気にじかにさらされていた。兵士の腕が上がり、また一振り無抵抗の彼の背を棒が打つ。チャーリィが首をすくめたほど、それは鋭い音を唸らせてライルの背を裂く。赤い血が噴きだすのが見えた。彼は惨い拷問を受けていた。

 また、棒が鳴りライルが呻きを漏らして身を捩った。


「どうだね? 話してくれる気になったかね? 天才科学者君?」


 将軍が猫なで声で、しかし、眼に残忍なきらめきを浮かべて言った。だが、ライルは静かに答える。


「何度も言ったはず。僕を暴力で従わせようなんて、無駄なことだと」


 棒が唸る。彼の背が弓なりに反った。


「ハイフェヴィウムは、諦めるんだ。あれは、危険……!」


 ビシッと皮膚が裂ける。だが、彼は呻きながら続けた。


「不安定なんだ。暴走する。……あれは、……処置されねばならない」

「しぶとい奴だ」


 将軍はぎりぎりと歯軋りした。息も苦しいだろうに、この抵抗振りはなんだ? こんな生っ白い若造に舐められてたまるか!

 いくら痛めつけても冷静さを失わない彼を前にして、将軍に焦りの色が濃くなった。ついに、彼は部下を呼んで命じた。


「例の奴を持って来い。あの自白剤だ。あれには抵抗できまい」


 居並ぶ士官達に動揺の色が走った。


「将軍。それは、危険なのでは……。相手はまだ、未成年ですし……」


 士官の一人が恐る恐る危惧を述べた。将軍はじろりとその男を一瞥し彼は震え上がった。


「そんなことを言ってる暇はない。さっきも敵国の奴等が取り返しに来たではないか。これは戦争なんだ! 要は勝つことだ。勝ちさえすればいい!」


 兵士がケースに入っている薬を持ってきた。それを躊躇なくライルに注射する。

 チャーリィはニードル銃を構えた。


(あの薬……新薬の強制自白剤か? ロシアで新たに開発されたという……?)


 どんなに訓練された男でも相手の思うままぺらぺら喋ってしまう、強化心理訓練処置でも予防薬でも防げないという噂の破滅的な薬……?


 しかし、チャーリィは撃つのをしばし待った。


「本当に、ライルを撃つ気なのか?」


 勇がそっと聞いてくる。チャーリィは親友に頷いた。


「だが、もう少し様子を見よう。ひょっとすると、あいつ……」


 不合理であり得るはずがないのに、チャーリィはふと、ライルなら持ちこたえるのではないかと思った。根拠はない。




 二人が隠れているシフトの前に、男が一人近づいてきた。チャーリィはその顔を見て、おっと思った。昼間、ライルに逢いに来た科学者だ。

 彼は青い顔で震えていた。ライルを騙した罪に恐れ慄き、激しい後悔にうちひしがれていた。個人的には、クレミコフはこの年若く聡明な科学者を尊敬している。彼が痛めつけられるのは、例え祖国の為とは言え耐え難かった。


「薬が効いてきた頃だ。さあ、ライル君。計画を全部話したまえ。そうすれば楽になれるよ。我慢していると、苦しみが増すばかりだからね」


 将軍は獲物を前にした狐のように優しい声音で、意識が朦朧としてきた捕虜に話しかけた。車輪の下で、チャーリィが緊張する。


 ライルはぐったりと倒れたまま、頭を振る。ガニメデの薄い大気の下で相当応えているはずだ。

 が、彼は眼を開いて将軍をひたと見つめ返してきた。赤ら顔の将軍はたじろいだ。その眼は、薬に支配されている者の目ではない。


「将軍。さっきから繰り返し言っているように、ハイフェヴィウムが危険なのは事実なのだ。頑迷な貴方の頭脳は、どうしてもそれが解らないのか? だが、ここにいるみんなが全部、そうではあるまい?」


 彼は苦しそうに、しかし、凛とした目で周りに居並ぶ男達を見回した。


「この中には科学者もいる。一流の訓練を受けた軍人も。僕が言わんとする事を事実だと理解できる能力を持った者もいるはずだ。君達にお願いする。権威に負けないで欲しい。真実を認める事を躊躇わないでくれ。君達の協力が必要だ。勇気を……」


 感情を喪失したような彼の目に始めて切実さが現れ、口調に哀願が加わった。彼は心底、ハイフェヴィウムの暴走を憂えていた。


「僕に自白剤を打ったのだから、これから話す事が真実であると保証されよう。ハイフェヴィウムが、巨大恒星の中に発見されているのは事実なのだ。そして、恒星の活性化に伴い……或いは末期状態と言ってもいい……内部の核融合反応がある臨界点を超えた時、中性子が多量に放出される。同時に、それは中心核の収縮、及び過度の電磁波、磁場の混乱等でも観察される。もう、解るだろう? その結果は……ノヴァ化だ。ノヴァの原因の一つは、ハイフェヴィウムが中性子によって突然暴走する事にある。ハイフェヴィウムの危険性が理解されただろうか? 君達は、今、ノヴァ化しようとしている地面の上に立っているのだ」


 兵士達はそわそわし出した。今にも地面が裂けて大爆発を起こすのではないかと、足下を見る者もいる。


「惑わされるな! こんな若造の出任せを信じてはならん! こいつは、ただ、追及を避けようとしているだけだ!」


 将軍は物凄い形相で部下達を睨みまわした。


「こいつにもっと自白剤を打て!」


 だが、彼には効かない。ついに、医士官が、


「これ以上打つと、死んでしまいます!」と、警告した。


 ライルは意識が朦朧とし、視点の焦点も定まらない。体の自由もとうに奪われ、凍りついた地面にごろりと転がったままだった。荒い息が忙しなく僅かな酸素を取り込もうと無駄なあがきを続ける。それでも、彼の意思は屈せず、強固だった。


 チャーリィはとっくに銃をベルトに戻している。感嘆を覚えていた。自分でさえ、あの薬を打たれてなお、あれほど頑張るのは無理だろう。隣で勇が呟いた。


「やるしかない。あれでは、もう直殺されちまうぞ」


 勇はそっとシフトの下から這い出して、クレミコフの背後に回った。彼の口を塞いで押さえ込むのと、シフトの影の中に引き摺り込むのが同時だった。クレミコフ自身ですら、しばらくたってやっと気づいたほど、素早い動きだった。


 驚愕と恐怖に口も利けないでいる男に、チャーリィは簡潔に、しかし、説得力のある口調で自分達の計画を伝えた。そして、じっと相手の出方を待つ。


 驚きからやっと立ち直った彼を、チャーリィの鋭い目が突き刺すように射抜いた。

 クレミコフは抱え込んだ葛藤も何もかも全てを見通されるような気がした。

 彼はライル・フォンベルト博士に償うため、計画に加担することを承諾した。




 頑固な捕虜に腹が煮えくり返る思いをしている将軍のところへ、クレミコフが遠慮気味に近づいた。彼は逞しい体つきの日本人を伴っていた。


「どうしたんだ? そいつは?」


 不機嫌な声だ。


「この近辺まで忍び込んでいた敵のスパイです。どうやら、フォンベルト博士の同期の者らしいのです。どうです? 将軍。彼自身を痛めつけるより、その友を痛めつけたほうが効果があるのでは?」


 将軍は唇を舐めた。目が嬉しそうに輝く。


「なるほど、それはいい考えだ」


 ぐったりしているライルの目の前に勇を引き出す。


「見ろ。こいつを知っているな。お前が口を割らなければ、この男が死ぬことになる」

「ライル! 助けてくれ! 俺は死にたくない!」


 勇は必死に叫びながら、素早く片目をつぶって合図を送る。理解したかどうか、彼の表情を読もうとするが、薬で半ば朦朧としている上に全くの無表情で解らない。


「助けを求めている友人を、見殺しにするのか?」


 勇の眉間に銃の筒先が当てられる。しばし、ひんやりとした沈黙の時が流れた。

 奴なら俺を平気で見捨ててしまいそうだな、と、勇はあんまり有り難くない予見を持った。


 ライルがやっと口を開く。


「待て。全て話す」


 勇はほっとしながらライルの顔を探ったが、静かな表情は何も語ってくれない。

 銃を構えているチャーリィもやきもきしていることだろう。


「そうか。なかなか物分りが良くなってきたな」

「ハイフェヴィウムは採掘後、宇宙へ打ち上げることになっている。その軌道を教えよう。途中で回収すればいい」

「なるほど、なるほど。紙とペンだ! 縄を解いてやれ」


 ライルが紙の上に軌道計算を書きながら説明を始めると、将軍達はついそれに気を取られた。


 その隙に、勇は戒めを振り解くと、連中の真ん中に黒い玉を投げつけた。それは地面に当たって破裂し、真っ黒い煙をもうもうと吹きだして全員の目を奪った。技師士官と工作に励んだ産物の一つである。

 大気が希薄だから、効果持続時間が短い。

 勇は素早く将軍を殴り倒す。


 チャーリィがライルを引っ掴んで走り出す。

 それと見て、クレミコフもやられた振りをして伸びてしまう。



 足もしゃんと立たないライルを勇が担ぎ、チャーリィは追っ手を銃で牽制しながら、連邦軍のキャンプへと急ぐ。その後を、顎を腫らした将軍の怒号で兵が追って来た。このままではチャーリィ達に勝ち目はない。


 しかし、そこへ連邦軍の援軍が駆けつけた来た。レッド軍曹が先頭である。それを見てロシア側は諦めて引き返した。ここで連邦国と戦争を始めるわけにはいかない。

 ライルは無事に巨漢の軍曹に抱きかかえられ、保護された。




 気密テントの簡易ベッドにライルを横たえて、今更ながら彼が受けた仕打ちにチャーリィ達は眉を寄せた。

 裂けた服を脱がせると、その下から血を吹きだす帯状に裂かれた傷が現れた。陶器のように滑らかな肌一杯に、血の滲んだみみず腫れが走っている。


 大量の薬を投入されたためライルは昏睡していた。悪夢に悩まされ苦しそうに呻く。傷口の手当をしながら、チャーリィは、


「しっかりしろ」


 と、励まさずにいられない。意識を失って苦しむライルは、いつものこにくらしく超然とした冷たい人形ではなく、まだ幼い子供のようにさえ見えた。

 昏睡中、ふっと目を覚ましてチャーリィを認めると、彼は掠れた声で、


「ありがとう」


 と、言ったのだ。見上げてきた紫の瞳は濡れて深く澄み、無垢な魂が覗いていた。

 その瞳は直ぐに閉ざされてしまったけれど、チャーリィはその一瞬、ライルの本質を見たような気がした。


 ――これが奴の本当の姿だとしたら、俺はひどく見当違いの目で見ていた事になる。もう少し、辛抱して付き合ってみるか。


 だが、次の日、ライルの意識が完全に回復すると、チャーリィは昨夜の決心をもう捨ててしまいたくなった。ライルは相変わらずとっつき難く、無表情で人間味がない。


 ***


 『ハイフェヴィウム処分作戦』に限って言えば、作戦は順調に進行し、U-G基地に待機する宇宙船に荷揚げされるまでに漕ぎ付けた。


 パイロットは伊藤とシャルル。

 破棄地点と射出軌道は慎重に計算されたもので、どこで暴発が生じても、どの天体にも影響が最小で済むようになっていた。


 問題は他の衛星にも存在するかもしれないハイフェヴィウムの件だが、質量を考慮すると、その心配は要るまいと判断された。

 その中で、カリストが一番可能性が高いが、木星との距離も考えて、活性化には至らないというのが、ライルの意見である。ハイフェヴィウムが存在する確率は19%にも満たない。



 船は断続的に加速され、三十六時間後、ヒマリア衛星軌道に到着。この時、秒速二百八十キロに到達する。ここで、ハイフェビウムを離脱。

 ハイフェヴィウムに装着された独自の推進システムが三秒後に発動。毎秒六百六十六・四メートルの加速を続けて直進し、一時間後にパシフェア軌道に到着。木星引力圏を脱し、なお加速を続けて進む。

 爆発予想時間は、五時間十八分七秒後。

 爆発予測値点は、木星と土星の重力均衡宙域辺りとなる。その時のハイフェヴィウム到達速度は、ちなみに、秒速一万三千キロほどとなっている。



 ハイフェヴィウム加速装置はライルの手によるもので、ハイフェヴィウム本体に直接取り付けられると言っても良かった。この凄まじい加速に耐え得る物質が他にあると思えなかった。動力もハイフェヴィウム自体を利用している。

 資料用に以前採取した十キロほどの小さな塊で、五時間以上の加速に足りるのだった。


 一定高電磁場で、これに継続的に中性子を放射する。ライルが作った小さな加速装置は見掛けがあまりに単純すぎて、誰が調べてもその仕組みは解らなかった。訊ねても、


「核反応と理論的には一緒だよ。ただ、利用する物質の質量が大きい事と二次放射能に対する覆体が不要なだけだ」


 と、答えて詳しく説明しようとしない。



 ハイフェヴィウムを奪回しようとするならば、それはヒマリア軌道付近までとなる。その間は人が運ぶので、無茶な加速ができないのだ。それ以降は、今の地球の技術では、とうてい追い付く事は不可能となる。

 かつて、『アドベンチャーⅢ』が統率を失って太陽系を突き抜けて行って以来の速さとなるのだから。

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