ガニメデの危機
五の章
基地に戻ったライルは、一連の観測ゾンデを打ち上げ、これまで観測されてきた数々のデータを調べ始めた。コンピューターを占領し閉じ籠る。
チャーリィは相棒が夜も部屋に帰ってこなくなったので、ほっとしながらも少し寂しく感じている。
打ち上げたゾンデのデータを集めてライルに届けようと向かっていたリールを捕まえて、彼がこうまで集中して何をやっているのかと訊ねてみた。
リールは首を横に振る。データを見せてもらったが、そこには太陽風の動圧とガニメデに届く木星の磁力線や放射能の強さが記されているだけだった。チャーリィには、彼が何を考えているのかさっぱり解らない。
その頃、比較的平穏に過ぎていた訓練生活の静けさが破られるような動きが、地球で起こっていた。
遥か彼方の故郷では、ライルの不注意な公表がもとで、連邦宇宙局と国際科学学術協会が真っ向から対立していた。
争点はハイフェヴィウムの所有を巡るものであった。
軍は、これが連邦軍で発見したものであるから、当然、軍の所有にあると主張した。
一方、協会側は、ライル・フォンベルト博士がまだ正式な士官ではなく、協会には三年前から在籍している事実を挙げ、科学上重大な意味を持つ物質を軍に独占される不当と危険を強調し、協会が所有すべきであると主張して譲らない。
協会側が強気に出ていて、マスコミを味方に引き入れ煽っているので、軍としてもこれを無視して発掘作業を強引に行う事ができずにいた。
この騒動の原因は、ハイフェヴィウムという放射性物質が、単に科学的見地から極めて重要であるばかりではなく、無限に近いエネルギーを生み出す物質でもある所為だった。
地球人だったら、当然ここのところを配慮して、このような事態を防ごうと手立てを尽くすものだが、ライルはその点が不明であった。彼には物質の特異な性質から、恐るべき兵器をも生み出す事になるなど考えもしないのだ。
そして、ガニメデ基地に地球の軍司令部から暗号文が届いた。基地司令官モートン大佐は、全基地内に警戒警報を発令し、ライル・フォンベルト候補生を司令官室へ呼んだ。
大佐は稀に見る美貌の若い候補生を見つめる。この青年が今度の全てのいざこざを引き起こしたのだ。大佐は苦々しい口調で言った。
「今、各国の連中がハイフェヴィウムを狙っている。特に、ここに基地があるロシア、中国。他の国でも横取りしようとガニメデにやってくるだろう。既に、各基地に、ハイフェヴィウム奪取命令が出されたらしい。当局としては、それが彼らの手に落ちることだけは是非にでも阻止せねばならん。たった今でさえ、彼らは血まなこになって捜しているはずだ。そこで、君に聞く。それはどの程度、探知機に反応するのかな? つまり、彼らがもっている可能性のある装置で発見されるだろうか、という事なのだが……?」
ライルは少しも動ぜず、自信をもって答えた。
「九十九・九%の確率で無理でしょう。自然の状態では、年間0.1ミリレムしか放射しません。どんな高性能の機種でも、もともとガニメデにある放射性物質のものと紛れてしまい、探知不能です。これを発見する為には、感知した全ての放射線を微量まで分析できる性能が必要で、僕の知る限りでは、まだ“地球”にはありません」
目下の緊急事態に気をとられていた大佐が、この時ライルの言葉の中に含まれていた不自然さに気づけなかったのは幸いだった。
「なるほど。では、連中は場所を知る人物が必要不可欠である事に、じきに思い至るというわけだな」
大佐は鋭く彼を睨んだ。若い科学者はそれを平然と受け、涼しげな視線で彼の目を見返してくる。この青年、神経というものを持っとらんのかと、呆れた。
「ライル・フォンベルト候補生。今後、私かブレイク中尉の許可なくして、基地の外へ出ることを禁じる。万が一、これを破った場合は、軍規違反で軍事裁判にかけられることを肝に銘じておけ。チャーリィ・オーエン候補生も同様の命令を受ける」
上等兵二名がライルの護衛兼監視として付いた。彼は怖い顔のお供を連れてコンピューター室に閉じ籠ってしまう。入出力装置に向かった彼はそれっきりそこから動かない。
見張りは暇を持て余し退屈してきた。コンピューター室なんて狭いし、ハム音は神経に障るし、見るものと言ったら、のっぺりした機械だけだ。
それを報告したらしい。いつの間にか、見張りは一人に減っていた。
途中、医務局からテレビ電話が入って、怪我した隊員の手当ての方法を聞いてきた。あくまでも彼を安全に保管して置きたいらしく、彼が薬品などを指示すると、「了解」と接触を切る。
だから、とうとう夕食の時間まで、彼はコンピューター室を離れなかった。
見張りは彼を食堂室と反対の方へ連れて行った。ドームの奥の薄暗い通路へ入る。通路の突き当たりは、営倉が三つ並んでいた。その一つを開け、入れと促す。
ライルはおとなしく中に入った。男は鍵を掛け、扉の向こうから、
「夕食を届ける。辛抱しろ」
と、声を掛けて立ち去った。
営倉は薄暗く埃臭かった。奥の横に低い壁が衝立になって、隠すように衛生設備がある。粗末なベッドが二つ並んで、それで狭い空間は一杯だった。
そのベッドに腰をかけると、足音が近づき、チャーリィの抗議する声が聞こえた。
「ここは営倉じゃないか! 俺はこんな所にぶちこまれるような事は何もしてないぞ! 冗談は止そうよ」
抵抗も空しく、チャーリィは中に放り込まれる。くるりと振り向く鼻先で、厚い鉄の扉がぴしゃんと閉められ、腹を立てたチャーリィは拳で扉を叩いてわめいた。
「出せ! 誰の命令なんだ! 理由も解らず、こんな所に入れられてたまるか! 出せ!」
しかし、連行してきた隊員はさっさと行ってしまった。
「畜生……!」
冷たく固い扉を睨んでいると背後から声がかかり、チャーリィははっとして振り返った。先客がいるとは考えていなかったのだ。
それが、ライルだと知ってまた驚く。
「理由は、多分、教えてやれるよ」
チャーリィはまじまじとベッドの端にのんびりと座っている男を見つめた。
「俺は今日一日、ずっとヘリウス山脈の反対側の方へ探査に行っていたんだ。帰って来たと思ったら、この扱いさ。本当に訳が解らないんだ」
「理由はハイフェヴィウムだよ」
真っ直ぐチャーリィの目を見つめながら、ライルはあっさりと言う。
ライルはいつも相手の目を正視して話す。例え、相手がカミソリと仇名される鋭い視線のチャーリィに対してさえも。気後れだの、恐れだのという感情には縁がないらしい。
「そいつは、そもそも何なんだ?」
――確か、こいつが珍しく嬉しそうに拾った石ころだった……。
ライルが簡単に説明する。彼の説明は無駄がない。問題の物質の特異的な性質を簡潔明瞭に話す。
しかし、感の良いチャーリィはそれだけでどんな経緯になったか理解した。
「そうか。なるほど……」
――それで、俺達を慌てて金庫の中にしまい込んだってわけか。ひどい金庫だけれど……。俺は心配ないのに。俺に手を出そうとする奴は、手酷い後悔をするだろうし、二度と手を出すこともできなくなっているだろう。
だが……、とチャーリィは陶器のような白い肌を持つ青年を見た。こいつは、簡単に誘拐されちまうだろうな。
夕食が運ばれ、扉の下の小さな穴から差し入れられた。それを取って一つをライルに渡し、ベッドに腰かけて食べだす。
別に罰を受けているわけじゃないのだが、それでも惨めな気分になる。牢獄なのだ。明かりは廊下からやっと漏れてくる乏しい光だけ。
ライルも隣のベッドでおとなしく匙を運んでいる。自分がいい加減気が滅入って仕様がないっていうのに、こいつはてんで頓着してないようだ。
勇も無神経な男だが、ああいう豪胆なタイプとは違う。むしろ、超然としていて、どこか人間性を喪失した無関心振りに近い。
食事が終わっても同室者は一言も口を利かず、じっと座ったまま動かない。見かねたチャーリィが彼の膝から盆を取って、扉の下の穴の向こうへ押しやった。
ライルはそれにも気づかないらしく、一心に思索に没頭している。身体は石にでも化したように全く動かず、表情も失われていた。
チャーリィは人形よりもよそよそしい彼の美しい横顔を眺めていたが、諦めたように溜め息をつくと、ベッドに横になる。課題の本が入っているP-Tbさえも持ってくる暇さえなかったので、眠るに限ると眼を閉じた。
しばらく経って、眠っていると思われたチャーリィがぱっちりと眼を開く。隣の唐変木が気になって眠れない。ちらっと見るとまださっきの姿勢のまま微動だにしていない。
それどころか、一層深く思索に没入しているらしく、彼の顔はより非人間的になっていた。
薄暗がりに、彼の身体全体からぼんやりと紫の輝きが滲み出した気がして、背筋がぞくりとする。
――あれは、なんだ? あの異質の……ものは?
人間じゃない! 化け物だ! たまらず叫びそうになったチャーリィに、それが振り向いた。
「端末機が欲しい。そらでも計算できるけど、能率的じゃないんだ。要請できるかな?」
真っ直ぐチャーリィの目を見つめてきた彼は、どう見てもいつものライルだった。俺の目の錯覚だったのかな? と目を瞬く。
コンピューター室に接続された端末機に、身も心も捧げているライルを横になったまま眺める。
――なんであんなのが面白いんだろう? 数字と記号の羅列なんか見たって、ちっとも解らん。だいたい、科学者って奴はみんな変人なんだ。そん中でも、こいつは極めつけのキ印だ。こんな訳の解らぬ真面目人間なんかに夢中になってるミーナの気が知れない。俺のほうが、絶対いいぞ……。
ぼんやり考えながら、チャーリィはいつしか眠ってしまった。
***
ライルは眠るどころではなかった。データが揃うにつれ、いよいよ確信が固まる。
周期的な木星の活動が始まっている。しかも、これまでの観測データからすれば、今までに無くエネルギー量が大きい。当然、電磁場も放射線帯も拡大しつつある。
同時に太陽風動圧が弱まっているため、プラズマの圧力が増大。その擾乱の結果、デカメートル波長電波の放射が活性化している。
デカメートル波長と高エネルギーを帯びた粒子のシャワー。それに、電磁場の拡大はダイナモ発電所の受け入れ施設に過剰の電流を送る。余剰電荷によるガニメデの帯電。
ハイフェヴィウムの活性化の条件は二つあった。一つは中性子の蓄積。超新星の因子の一つとされる所以である。
もう一つは、強大な電磁場におけるデカメートル波長上の高エネルギー粒子による反応。
サンプルの不安定値がそれを示していた。このままでは、ガニメデのハイフェヴィウムは……。
ライルは深刻な表情で考え込んだ。
基地の空気は緊張し、同時にロシア、中国基地との間も険悪になってきた。
個人的に尊敬し、友情も育てている人物も多いのではあるが、組織的な敵対意識のもとには、それも儚い。
指令室に当直したチャーリィは、活発に暗号通信が各基地と地球の間を往復している事を指摘した。警備に立ったカイン達から不審な人影を見たという報告が相次ぐ。
不穏な負傷を負った怪我人がライルの所へ担ぎ込まれてくる。ついに、銃創傷者が出て、モートン大佐は決意した。
例え、世論に軍が負けて、結局、物件を科学学術協会に譲渡することになっても、ロシアや中国に奪われるよりは、遥かにましと言うもの。
ライルとチャーリィは、再び大佐の前に呼び出された。
「ハイフェヴィウムを発掘し、当基地で保管する事に決定した。その場所に案内することを命じる」
「その件ですが、大佐」
ライルが口を挟んだ。寡黙な彼の意見である。大佐は頷いて、先を続けさせた。
「発掘終了後、全てを遠く宇宙に運んで、投棄することを要請します」
「なに?」
大佐の眉が寄せられた。
「もう一度、言いたまえ」
「ハイフェヴィウムを急いでガニメデから除き、宇宙に捨てるのです。そうしないと、我々はガニメデを失うことになります」
大佐の顔が険しくなった。
「どういうことだね?」
「ハイフェヴィウムのサンプルを調べたところ、通常状態より不安定要素が多いので、データを集めていたのですが、その結果、諸々の条件により、ハイフェヴィウムは極めて不安定であり、いつ暴走を始めても不思議ではないからです。この論拠を証明するレポートを作成終了したので、提出するところでした」
恐ろしいことを、この青年は淡々と言ってのける。
大佐もチャーリィも、その意味を飲み込むにつれ、顔が青ざめてきた。
「すると、なんだね? 君。我々は火のついた火薬庫の上に座っていると……?」
ライルはあくまでも冷静だ。
「ハイフェヴィウム1グラムでウラニュウム1トン分のエネルギーを放出します。そして、ざっと測定した限りでは、少なくとも1万トン重はあるでしょう。ここで開放されれば、木星系そのものに大きな影響を与え、七十七%の確率で木星を活性化させる恐れがあります。内惑星や木星内部にもこれが含まれている場合は、その反応によって、活性化する確率が九十八%に上昇します」
「木星が爆発……!」
大佐は絶句した。
チャーリィが後を引き継ぐ。
「そうなったら、太陽系の均衡も崩れてしまう。そうだな? ライル?」
ライルは他人事のように、あっさりと頷いた。前から煮え切らない思いを抱えていたチャーリィは、大佐の前も構わず彼の胸倉を掴んで引き寄せると、激しい口調で詰め寄った。
「お前には血というものが流れていないのか? もう少し、大変だって顔をしてみたらどうだ! 自分の命どころか、地球ごと危ないんだぞ!」
ライルは引き上げられたまま、表情をぴくりとも変えずに言った。
「大変? もちろんだ。地球が滅びるのはしのびない。だから、そうなる前に、ハイフェヴィウムを集めて、何処にも影響の出ない所へ運ぶ方が良いと、さっきから言っている」
その美しい顔は、チャーリィの飛ぶ鳥をも射殺しそうな視線をじっと受けて、なおも静かで微動だにしない。紫の瞳にも感情を示す動きがこれっぱかりもなく落ち着いていた。
チャーリィは彼を乱暴に突き放すと、目をぱちくりしている大佐に向かって言った。
「命令をください。彼とともにハイフェヴィウム破棄に全力を尽くします」
ガニメデの危機が……!




