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Lyle~エイリアン物語~  作者: 霜月 幽
第5部 訓練基地は元気でいっぱい
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ライル、ハイフェヴィウム発見する

 チャーリィはライルと組んでいた。彼はどうしてもこの男が気になる。今度こそ正体を見極めてやろうと考えた。

 一歩下がってライルの後に続く。チャーリィが黙っていると、彼も口を開かない。いつまでも黙々と進んでいく。それが別段気詰まりにも感じていないらしく、ごつごつとした岩や窪みを何気なく跳び越していく。


 その後姿は男にしては華奢だ。肌も陶器のように滑らかで、髭も生えず喉仏も出ない。第二次性徴が遅れているわけではないのは、チャーリィとあまり変わらないすらりと高い身長で解る。


 男臭さはさっぱりないが、だからといって女っぽいわけでもなく、そういったものを超越して不思議な存在感がある。

 しゃくに障るほど無愛想で打ち解けないのに、こうして連れ立って歩いていると、ライルに強く惹かれていくのを感じていた。彼の何がこうも自分の注意を引くのか解らない。それでも彼から目が離せないのだ。



 チャーリィはシフトの操縦士から、先刻の中尉とやり取りしていた内容を聞き出していた。

 昨夜――といっても、ガニメデは太陽が輝く日中なのだが――この天才は、自分達のシフトのほかに全シフトの微調整と集積回路の修理をやってしまっていた。


 それを聞いて彼はライルに、夕食も喉に通らないほど疲れ果ててまで、何故そんなことをしたのかと訊ねた。ライルはさも当たり前だと言わんばかりの無表情で答えたものだ。、


「不完全な状態に気づいたら、放置して置けないよ」


 聞きようによってはずいぶん傲慢な言葉だ。だが、彼はそれを一人でやってのけてしまったのだ。




 ふと、チャーリィは奇妙な事に気づいた。さっきからライルはまるで重力など存在しないかのように身軽に大きな岩の障害を飛び越えている。

 ガニメデの重力は、地球の三分の一。地球よりは軽い。しかし、質量は変わらない。慣性は地球上でと同じように働くから、慣れるまで却って歩きにくい。

 だが、彼はここで生まれ育ったかのように気にしていない。今、また、十二メートル以上もある岩棚までふわりと飛んだ。


 ジャンプしようと身構えもせず。予備動作なしで。

 片足でちょっと地面を蹴っただけで。


 これは、異常なことだ。そういうチャーリィは同じ高さを精一杯のジャンプで届かず、必死で残りの三メートルをよじ登ったのだ。チャーリィは決して運動神経は鈍いほうではない。それどころか、かなりのものだと、自他共に認めているのに。


 ライルはちらっと振り返って見ただけで手を貸そうとはせず、さっさと先へ進む。冷たい奴だ。

 それなのに彼はすぐ疲れる。

 持久力がないのだ。さっきの強行登攀でもかなりのへたばりぶりで、みんなが展望の良さに感嘆していた時も、ぐったりと座り込んでいた。



 彼の身軽さと体力の不一致に首を傾げていると、突然、ライルが立ち止まった。じっと何かに耳を凝らしている。それとも、神経を集中させているのか。


 やがて、再び進み始めた。今度は今までとは違い、目標に向かってわき目も振らずに一心に進む。足取りも速い。チャーリィは急いで後を追った。


 ***


 ライルは強化コンビネーションを通して、皮膚にちくちくと微量放射線を感じていた。人体に害を与えるほどの量はない。だが、本来ガニメデの地層深くに存在しているありふれた放射性物質から発せられる放射線ではなかった。

 高感度センサーのような彼の皮膚組織は、その僅かな放射線をさっきから感知していて、その方角に進んできたものだったが、ここで強度が増し確信した。


 ――間違いない。原子量六百三十八、ハイフェビウム(相当する英語表記で)だ。


 原子量で解るように極めて重い放射性物質。化学的には安定した物質で、半減期も長い。ゆっくりと微粒子を放射しつつ崩壊していく星間凝固物質。宇宙生成の謎に迫る物質とも言われている希元素である。たいていは、巨大恒星の核に存在している。



 ライルは夢中になった。組んでいる相棒の事も、基地の事も、みんな彼の念頭から消え失せてしまった。彼の関心はただ一つ、この放射線の源のみ。


 五百メートルほどの崖を登攀すると、その先に大きな断崖が開けていた。ガニメデ上に多数存在する地形の中でも顕著な一つ、バーナード断層崖である。放射線はこの下から発せられていた。


 縁から覗くと、崖は底が無いかと思われるほど深く、ずっと見渡す限り、壁は切り立った荒々しい断崖だった。手を伸ばせば届きそうな向こう側に、また同様の切り立った断崖が延び、遥か先で一つに繋がっているのが見える。侵食の痕が少ない。暗い闇のそこから、風が鋭く吹き上がってくる。


 だが、ライルは自分のザイルを手頃の岩に結ぶともう一端を身体に回し、さっさと降り始めた。


 ***


「ライル! あがって来い! 無茶だ!」


 チャーリィが呼んでも叫んでも、ライルは返事もしないでどんどん降下して行く。


 ちっと舌を鳴らしたチャーリィは、ヘルメット内装の通信機で現在地を報告すると、自分のザイルで後を追い始めた。彼は何かを発見したのだ。あいにくと、チャーリィにはさっぱり見当がつかないのだが……。


 峡谷の壁に頼りなげな足場を求めつつ、口を開けて飲み込もうとする深い闇の中へと降りて行く。下がるにつれ、下から吹き付けてくる風はますます強くなり、二人の身体を岩壁からもぎ取ろうとした。


「ライル! これ以上は無理だ。上がろう!」


 その声も風にさらわれ、切れ切れになる。下方から彼の声が届いてきた。


「チャーリィ。君は上がりたまえ。僕はもう少し下がってみる」


 そして、彼の身体が大きく壁から離れて下降するのが見えた。


「畜生! 馬鹿野郎め!」


 ライルと自分に毒づいて、チャーリィも下降して行った。ザイルを握る手袋はとうに千切れて、手は赤く腫れ上がり、擦れて血が滲んでいる。滑りやすくなり、痛い。

 途中でザイルを3回足す。こいつが切れたら……と、考えるのはもう止めている。何にもならない。


 気も遠くなるような苦痛の時が経って、二人は断崖の底に着いた。見上げると、ガニメデの空が遥か彼方に線を引き、両側の壁が重苦しく伸し掛かってくる。


 チャーリィは溜め息をついた。木星が天にのさばるあの空の下に、二度と戻ることはないんじゃないかと思われた。

 ライルは? と見ると、全く何も感じないのか、狭く細長い断崖の底を更に奥へ奥へと進んでいく。チャーリィも仕方なくついていった。



 ライルがついに立ち止まった。

 一見、何の変哲もない地面を見つめている。


 その瞳が、いつになく期待に満ちて紫色に輝いていた。ライルが“これほど”表情を示したのを見るのは始めてだった。


 目を輝かせただけなのに、彼は驚くほどの変化を見せた。人形のようにただ造形の整った顔立ちであったのが、輝くばかりの美しさになった。これまで見た事もないほどの魅惑的な貌となる。

 チャーリィは我知らず見惚れていた。


 その間、ライルは一点の周りを慎重に円を描いて歩き、次いで両手を突いて地面を注視する。

 彼が手のひらに感知する放射線の強度と範囲から、放射性物質の量を測定しているなどとチャーリィには知るはずもない。


 次いで、ライルは顎に手をやり考え込む。再び表情が失われ、非人間性を帯びた。その目が真っ直ぐチャーリィの目を見た時、彼は嫌な予感を覚えた。

 果たして、


「ここを掘ろう」と、言ってきた。

「ええっ?」


 我ながら、なんて間の抜けた返事だろうと口惜しくなる。


「掘るんだ。この下にある物質のサンプルが欲しい」


 有無を言わせぬ語気だった。チャーリィは仕方なく一緒に掘り始める。最初はピッケルで、最後には十本の指を使って。やたらと硬い土だった。


 ――くそ! 俺はもう奴と組むのはご免だ!


 腹の中でぼやきながら、それでもせっせと掘った。


 ライルの方はひたすら一心不乱に堀り続けている。なんともお粗末な原始的方法だった。彼の手も血を吹き出している。こんな荒作業は、彼には不似合いだった。

 それでも彼は優美に見える。天賦の気品だった。本人は全く意図していないにもかかわらず。


 チャーリィは指を血だらけにして掘り続けながら、これからもずっとライルに引き摺り回されそうな予知を得た。


 ――冗談じゃない! 


 だが、それが彼の運命だとしたら……?


「あった。やはりそうだ。少し削り取って行こう」


 チャーリィはライルの嬉しそうな声にはっとした。見ると、土が除かれた穴の奥に、鈍く光る黒い金属のような石が肩を出している。ライルは自分の銃で削ろうとしたが、ビームが空しく跳ね返ってしまった。


「俺がやってみよう」


 チャーリィが申し出て、自分のニードル銃の出力を最大にした。


 彼は今年八月の十九歳の誕生日に、連邦政府司法射撃法特別許可証――いわゆる殺人許可証と呼ばれるもの――を取得している。射撃の腕は保証つきで、判断力には定評があった。同時に手に入れたのが、この愛用のニードル銃だった。


 普通の人間の手にある内はたいした効用もない小型の銃器だが、これがいったん彼の手に収まると、恐ろしい威力を発揮する。

 彼は決して的を外さないのだ。針の先のようなニードルビームだが、最大出力は戦艦の装甲に穴を穿つ。心臓を貫けば……。そして、彼は五十メートル先の投げ上げたコインの中央を射抜く。


 ニードルビームは黒い金属石にゆっくりと穴を開け始めた。じれったいようなスピードで線を描く。


「ずいぶん、硬い金属だな」

「原子量六百三十八。重い物質だ」


 小さな欠片を取るのに、だいぶ時間がかかった。ライルはそれを断放射能袋に入れる。

 チャーリィはぎょっとした。


「放射性か?」

「心配することはない。普通はほんの微量だ。だが、活性化し始めると……ガニメデぐらい、吹っ飛ぶかもしれない」


 チャーリィはぞっとして、ライルが持ち上げて見せた鉛の袋を見、次いで地面に埋まっている重金属を見た。




 峡谷の下へ戻ると通信機が鳴り出した。応答すると、断崖の細長い空の切れ目に光が円を描いた。

 彼らがザイルを掴むと上で引っ張って、登るのを助けてくれる。這い上がった二人は軍曹にこっぴどく叱られた。


 シフトに戻って、初めて事故があった事を知る。ライルは持ち場を勇と交替すると、隊長のシフトに急いだ。

 ラジは全身赤く爛れ、消耗性の高熱を発している。消化液の一部が皮膚から血管に入ったらしい。口や目を始めとする粘膜が腫れ上がり、呼吸器障害も併発していた。


 点滴で水分を補給し、全身を洗浄、対症療法として軟膏の塗布の後、皮が剥け落ちないようにガーゼで保護し、酸素吸入を当てて応急処置とする。医療キットを掻きまわし、消炎用アンプルと強壮剤をみつけて注射する。本格的な治療は、基地へ帰ってからとなる。



 彼の治療を見守っていたブレイク中尉は、どうやら彼の命が助かるらしいと解ってくると、安堵の吐息を漏らし、ライルの肩を優しく叩いた。


「ありがとう、博士。基地へ戻るまで保つまいと覚悟していたよ。おかげで若い優秀な命を、一つ散らせずに済んだ。俺は彼らを情け容赦なく厳しくしごいているが、それは彼らの将来の命を守る為なのだ。連中は良い士官となるだろう。……もちろん、これからも訓練に手加減はしない。博士、貴方であってもね」

「当然です。中尉」


 見上げたライルの顔は相変わらず表情がないが、その瞳の奥がふっと和んだ。



 基地へ帰るや、即、駆け足生活が続けられた。

 ライルはラジの治療に当たるため、今日の当番は免除された。ジュピターDⅢ号で帰った医師の臨時交代要員として、実は、彼は配属されてきたのだ。


 ラジの血液のサンプルを取り、毒性物質の特定を進めると同時に対症療法を続ける。

 ハブの毒に似た血液性の毒が含まれ、これが硫化物による炎症を強めていた。直ぐに血清を作り、ラジはみるみる快方に向かった。




 仲間が任務から解放され、部屋で宿題を片付けて眠る頃、ライルは基地の実験室に閉じこもり運んできたハイフェヴィウムの分析を夢中で続けた。


 その数日後、彼は長い電文を地球に向かって送り出している。宛先は、ジュネーブの科学学術協会。


『……半減期測定により、この物質が太陽系生成時期より遥かに早く生成された事は、数値の示す通りである。太陽系生成から数億年の頃、既に形成されていた木星の衛星にこれが落下した件については、埋蔵深度や周囲の地質の変化推定時期によって証明される。また、これは同時に、ガニメデの密度のごく一部の不均整を説明する。

 さらに、かつてティテウス・ボーデの法則として提唱された等比数列的尽数関係によって発見された小惑星群の起因もまた説明される。

 外宇宙から、推定するに巨大恒星の超新星化により放出され、飛来したハイフェヴィウム塊は太陽系の重力場によって軌道が修正され、半ば必然的に小惑星の有るべき軌道上に存在していた惑星に衝突し、惑星は砕け散って現在の小惑星帯を形成した事を示唆するに重要な実証となる。

 その時、天体の一部が弾け飛んで木星の引力圏に落下、保持していた角運動量の為に木星の衛星となったのが、アマルティアと考えられる。アマルティアは、今でも、木星への落下と離心率による摂動を続けているのである。

 同時に、衝突によって砕けた一部のハイフェヴィウムがガニメデに落下、深い裂溝を作る。これがバーナード断層崖である。

 ハフェヴィウムは後に説明するように非常に高密度の物質なので、その大部分は速度を数%消失だけで飛び去ったはずだ。…………」


 彼はハイフェヴィウムの生成からその性質・特質を、全く屈託なげにガニメデから地球へ至る長い距離に渡って公表し続けた。


 連邦宇宙局がこれを傍受し、軍の科学者が事の重大性に気づいて機密にしようと動き出した頃には、既に関心を持つ者にとってはもう既知の事実となっていた。

 しかし、それが直接ガニメデの彼らに関わってくるには、まだ、しばらくの時間があったのである。

不穏な物質が発見されました 

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