アドベンチャーⅢとの遭遇
二の章
ルナステーションを発って二週間目、船は既に二万五千六百万キロメートルを進んでいた。十時間後に小惑星軌道を通過する。
もちろん、航路は小惑星帯を迂回するコースに設定されている。
しかし、今回は実習訓練を兼ねているので、小惑星帯の外縁部まで接近するコースをとっていた。デッキにはいつもの四人の候補生が詰めていた。
アーノルド船長は副操縦席に収まり、二人の正規乗員はいつでも飛び出していけるように待機しながら、メインスクリーンを見つめている。
スクリーンには破壊的なショーが展開されていた。船長は小惑星の微小な欠片を敵艦に見立てて、チャーリィに攻撃指令を出したのである。
果たして、チャーリィは狙いを一つも外さない。変化の乏しい日常業務が繰り返される生活に、それはとびっきりの気晴らしを与えてくれた。
デッキに入れなかった者は、側面窓にへばりついて見入る。チャーリィは連続射撃で、華々しくも壮大な花火を繰り広げて見せた。
思わず歓声が上がった時、船の緊急警報が響いた。微小な隕石が船の何処かを突き破ったのである。
実地演習の開始だ。
候補生達は酸素が漏れている箇所をチェック。計器を調べ、異常がないか確認を急ぐ。
ライルは船の貫通部分を船体見取り図から確認すると、場所を通報すると同時に、周囲の隔壁を下ろし、これ以上の空気の流出を防ぐ。
チャーリィは、まだ、小惑星帯を抜けていないので、引き続きレーダーを監視し、障害になるほど大きな欠片を片付ける。
シャルルは微小な動きで最も障害の薄い宙域にコースを取る。
貫通箇所は機関室の近くだった。直ちにバブルで穴を塞ぎ、用意した鉄板で溶接してしまう。
チャーリィの花火ショーのおかげで、微小小片が、辺りに山ほどできたもので、演習はその後三回続いた。
だが、小惑星帯は直ぐ後になってしまう。勇はとっくに機関部の点検に降りていた。この後、三回目の加速が始まるからだ。
今度の加速は6Gで十分間。毎秒五十八・八メートルの加速で秒速三百十七キロメートルに達する。一日で約二千七百四十万キロ進む速度である。
その後、微調整による断続的航路修正を行いながら、三百三十六時間後にガニメデに到着。その九時間前から毎秒八・五メートルの減速にかかり、最終的に秒速十・八キロメートルの速度で木星を回る軌道に入る。つまり、ガニメデにとって相対的に定置点の上空で静止するわけである。
加速開始にまだ間がある今、デッキにはいつもの四人が居るだけだった。機関部から戻ってきた勇とチャーリィは、いつもの口喧嘩をのんびりと遣り合っている。
ライルは決まりきった加速計算を早々に終え、自分の研究を呼び出してそれに没頭していた。シャルルは半分眠っているようにみえる。
チャーリィがぱっとレーダーに向き直った。探査機を素早く調整し、照準を合わせる。
勇と無駄話をしているくせに、緑灰色の鋭い眼はモニタースクリーンの臨界線の隅に走った一瞬の輝点を見逃さなかった。
十分の一秒も続かなかったろう。しかし、彼は、それにぴたりと焦点を決める。
敵艦命中! 内心叫びながら、画像を調整し、分析を急ぐ。金属含有量、質量、密度、云々……。
一瞥した彼は、とっさに緊急警報の封印カバーを叩き割った。
それに相当する重大な危険が迫ったわけではない。だが、今の船の速度でこれを捕まえておけるのは長くて五分もないだろうし、それを見損なわせでもしたら一生恨まれるのは間違いなかった。
船長を始め、正規乗員が血相変えて飛び込んでくるのを尻目に、彼は船内放送マイクに向かって言った。
「右舷上方、七十五度に注目! モニターにもキャッチ。我が勇敢なる先達の船、発見!」
指令室は騒然と活気を帯びた。こんなチャンスは千万に一遇もない。
命令されもしないのにライルは研究課題を止めて、既に船の座標と漂流軌道の計算を済ませていた。
シャルルが意味ありげに船長を見上げる。
アーノルド少佐は残念そうに言った。
「駄目だ。航路を外すわけにはいかん。予定時間を消化できなくなるばかりでなく、地球へ戻る燃料が不足する。予定通り、二時間後に加速だ」
シャルルが口を開きかけたが、先にライルが提案した。
「接船は無理ですが、許す限り近づくことは可能です。目標までの航路軌道と最も効率の良い修正コースの残り全行程を算出しましょう。シャルル、君なら、それでやってみせてくれるだろう?」
シャルルが任せてくれ、と親指を立てる。
「地球の科学者達は、あの船の正確な軌道と詳細な情報を求めるでしょう。時間がありません。よろしいですね?」
船長は一瞬、唖然とした。彼の提案に対してではない。たかが十七才の少年の言葉を受けて即座に実行に移そうとした自分に対してである。
何気なさそうに発言した彼の中に不思議な威厳と自信があって、それがベテランの軍人を無条件に動かしかけたのだ。
が、彼は踏み止まり、ベテランに相応しく冷静沈着に素早く考えた。十秒か、二十秒の熟考の後、決断し命じた。
「よし。ライル。コースを設定したまえ。ただし、1ミリも誤差があってはならんぞ。1CCの燃料不足も。0.1度のミスも許さん。シャルル、お前は引き続きそこでやってみろ。0.1秒も余分に噴射させ、1ミリも余分な加速をかけたら、直ちに外に放り出してやる。ライルの計算通りのコースへ乗せるんだ。それができて、それでも何処か失敗があったら、俺が全責任を取ってやる。では、行け!」
乗員が通信機を取り上げ、発見とコース変更の報告を送る、地球からの返答は、どんなに早くとも四十分近くかかる。地球の認可を待っていては間に合わないのだ。
船に近づくにつれ、ジュピターDⅢ号に取り付けられた機器類が詳しくデータを集めていく。さらに無人探査機を送り込んだ。遠隔操作は勇が担当する。
ライルはコースの計算と収集データの処理に掛かりきりだ。その軌道修正に従って、シャルルが巧みに操縦し、船長がそれを見守る。
失敗や困難があったら、直ちに介入するつもりで待機しているが、今のところその必要はなさそうだった。船長は内心、舌を巻いた。
――俺がこの年の時は全くのガキだった。この青年はきっと歴史に名を残す男になるだろう。
チャーリィはレーダーをぴたりと漂流船に向けたまま、モニターに映像を流し続ける。勇の無人探査機から送られてくる映像も処理して船内モニターに流した。
だから、船内で多々の仕事に駆け回っているリオ達にも、指令室に居るのと同じように経過を追う事ができた。
ジュピターDⅢ号が減速しながら、その悲しい船に最接近した瞬間を誰もが見た。まだ、五百キロメートルも離れていたが、その一瞬、彼らにとって時間が止まったように鮮やかに脳裏に焼きついた。
『アドベンチャーⅢ』――第一次有人宇宙探査船。
無数の塵に傷つけられ穴の開いた船体であったが、その横腹にはっきりと読めた。声を出す者はいなかった。
『アドベンチャーⅢ』の名とともに、四十一年前の惨事を知らない者はいない。
この船はどういう経緯があって、故郷へ戻ってきたのだろう。中には、まだ当時の乗員が居るのだろうか?
とにかく、彼らは故郷へ帰ってきたのだ。
油圧系統の思わぬ故障により、史上初の猛スピードで太陽系を駆け抜け、まだ見ぬ外の世界へと飛び出して行った『アドベンチャーⅢ』。
それは、何を見、何を聴いてきたのだろうか。多分、船内は当時のままに違いない。乗員の家族や知人は、どんな思いでこのニュースを聞くのだろうか。
ジュピターDⅢ号はこれ以上近づくことはできないが、必ず近い将来、この船を回収するであろうことは予想される。
既に、ジュピターDⅢ号は『アドベンチャーⅢ』から遠ざかりつつあった。一同は厳粛な思いで勇敢な先輩に敬礼を捧げる。
探査船はゆっくりと横腹を返し、母なる太陽に向かって去っていく。巨大な重力井戸への緩慢なる落下。太陽へ近づけば、その速度は累乗的に加速されていくが、それはまだまだ何十年も先のことである。
船はたちまち小さな点となり、ジュピターDⅢ号が加速を開始するとふっと消えてしまった。
忙しくコンピューターに向かっていたライルは、データの解析処理を終えた分をファイル処理に回して、スクリーンを見た。
『アドベンチャーⅢ』の輝点が一瞬のきらめきを残して消えたところだった。
彼を構成する遺伝子の一部を提供したレオンハルト・フォンベルトはあの船で死に、そして…………。
過ぎた事だ。だから、どうだというのだ? 彼は再びコンソールに向き直り、軌道計算にかかった。
船が新しいコースに乗って順調に航行を開始した頃、地球から返信がきた。
『アドベンチャーⅢ』発見のニュースは、地球上に一大センセーションを巻き起こしたらしい。
人々はジュピターDⅢ号が帰還してくるまで、二ヶ月も詳細な情報をお預けにされるのが我慢できなかった。おかげで、通信部は非常に忙しくなった。
さらに船長を始め、発見者のチャーリィや船のメンバー達のインタビュー要請もあり、毎日のように誰かが地球に向かって説明したり、愛想笑いをしたりしなければならなくなった。
だが、船内の仕事はそれで減少するわけではないので、やがて船長はこの面倒な仕事をチャーリィに押し付けた。
連邦宇宙局は大衆受けを狙って、美貌の天才ライル博士にもインタビューの要請を繰り返したが、本人は急務中を理由に、一度専門的解説をしただけで二度と応じなかった。
彼にとっては数十億の人々に笑顔を見せるより、トイレの床磨きでもしているほうが遥かにましだった。
その代わり、美男で能弁なチャーリィが巧みに視聴者の心を掴み、当局の思惑を上回る宣伝効果を果たし上げてくれた。
翌年度のアカデミー入学希望者が全年度より数倍はね上がり、しかも女子がその半数以上を占めていたことは、確かにチャーリィ効果だったに違い。
十日前に10G十五分の加速後、秒速三百七十キロメートルの慣性航行を続けて、真っ直ぐ木星へ向かったジュピターDⅢ号は、木星の巨大な重力場を利用し、放物線を描いて冷たいメタンの上部大気層で、運動エネルギーを熱転換させながら減速する。
結構、船内温度が上がったが、危険なほどではなく、一人涼しげな顔をしているライルを除く全員が上着とシャツを脱いでしのぐ程度で収まった。
燃料の予定消費以上の浪費もなく、きっかり予定時間に、ジュピターDⅢ号は、木星から半径約百七万キロメートルの軌道に秒速十・八キロメートルの速度で入った。
ライルにとっては単なる天体物理数学の計算問題にすぎなかったし、シャルルは、航宙航法の一例として、わくわくと非常に楽しくやり遂げた。
***
訓練生は各自、自分の荷物をまとめ、ハッチに並んで、目の前のごつごつとした天体を、思い思いに眺めていた。
誰も初めて訪れる世界である。
或る者は無関心に、或る者は喜々として。
そして、残りの大部分の者は恐れをなして。
ジュピターDⅢ号の下方にあるUSAガニメデ前線基地――U-G基地へ連絡艇が向かった。
ジュピターDⅢ号が積んで来た候補生と物資を降ろし、代わりに地球へ運ぶデータ類やサンプル等を受け取ると、再び地球に向かって出発する。
この時、八人の候補生と入れ替わりに、基地勤務の者が六人地球へ帰還する。次の便で、新たな基地勤務者がやってくるまで、候補生達はどうしてもここに足止めされることになる。
八人は連邦宇宙軍の制服を互いに点検し合い完璧であることを確認すると、ヘルメットを装着し襟を立てて密着した。ガニメデのこの辺りなら、このような軽装でも十分なのだ。
艇を出ると、きびきびと二列横隊を取る。基地から迎えが来ており、勇の号令で一分の隙も無くさっと敬礼し、少しでも相手に感銘を与えようとした。
だが、その男はヘルメットの中の顔をにこりともさせず、無愛想について来いと身振りで示し、基地ドームのほうへ歩き出した。
連絡艇のハッチから荷を慌ただしく運び出している男達も、彼らの方を一瞥だにしない。
簡易エアロックでヘルメットを取るよう指示を受け、それを小脇に抱えたまま広い部屋に入る。会議室を兼ねる多目的ホールらしい。
正面に、B5版のP-Tbを片手にした黒髪のがっしりした男が不機嫌な顔で待っていた。その横に熊のように大きくて髭だらけの男と赤ら顔のずんぐりした男が立っている。
何れも一癖も二癖もありそうな面構えだった。離れて右側に、髪に白いものが混じった歴戦の戦士たる司令官が、後ろ手に目立たぬように立っていた。
八人は一列横隊に並んで敬礼する。班長の勇が代表して申告する。
「実習生、八名。ただ今到着いたしました。よろしくお願いいたします!」
正面の男が、じろりと睨みつけて言った。
「俺はブレイク中尉。貴様達のガニメデ基地訓練の始動に当たる。実地指導はこのレッド軍曹とスライド軍曹が主に担当する」
レッド軍曹と呼ばれた大男と、赤ら顔のスライド軍曹がわずかにうなずく。
「だが、まず、貴様らに言っておきたい事がある」
ブレイクが厳しい口調で続けた。
「どれほど正しく認識しておるのか知れんが、ここは地球上でのようにはいかん。外へ出るにも酸素を持っていかねばならんし、何より人間の数が限られている。人の手を当てにするわけにはいかんのだ。ここは常に人員が不足しておるし、今また六人が減ることにより、いっそう不足することになった。貴様らは一人前の軍人として働き、不足を補わねばならない。できるできないを問わず、全て自分一人で解決せねばならんだろう。
同時に訓練も厳しい。我々は如何なる状況でも有能に対処できるよう、貴様らを修練するつもりだ。貴様らが一日も早く一人前になる事は、我々の利益でもあるからだ。はっきり言って、人手不足のこの基地に貴様ら半人前の連中を抱え込む事は、我々にとって迷惑以外のなにものでもない。上層部の命令でやむなく引き受けはするが、その分辛く当たるかもしれん。
ジュピターDⅢ号は、五時間後に出発する。もう一度よく考えるのだな。貴様らとは、五時間後に、また、ここで会おう。例え、再び会えなくとも、我々は残念に思わぬし、むしろ喜ばしい。できるなら、全員、直ちにここで引き返して欲しいくらいである」
言葉を切ると、ブレイクは候補生の列を見渡した。
「近藤勇は誰だ?」
「はっ。自分であります! サー」
勇はさっと敬礼してきびきびと答える。中尉はひとつ頷く。
「貴様の父上には、たいへん世話になっている。しかし、だからといって、容赦はせんから、そのつもりで覚悟しておけ」
「はっ。承知しております! サー」
額に入れて飾っておきたいような模範振りである。彼は生まれる前から、軍人になるべく定められているようなものだった。
「シャルル・マーシンは?」
「は。自分であります!」
長身のシャルルも勇に倣って敬礼する。中尉はじろりと睨むと、
「チャーリィ・オーエン?」
と、訊く。
「はっ」
チャーリィも一応それらしく敬礼した。彼が身につけると制服も伊達になる。中尉はフンと鼻をならした。
「ライル・フォンベルト?」
既に、中尉の視線は彼を捕らえていた。その端麗な美貌を無視できる者はいない。
「はい」
ライルもおとなしく敬礼した。中尉は驚きを込めて彼を上から下まで眺め、明らかに侮蔑を含んだ調子で言い捨てた。
「ここはボーイスカウトではないぞ。やわな科学者の仕事はない。俺達は子守をしている暇はないんだ。坊やは船が出る前に、さっさと乗り込め!」
ライルは侮辱の言葉にもいささかも動じず平然と答えた。
「僕は士官候補生としてここに来ました。それで、全ての回答となるでしょう」
中尉は面白くなさそうな態度を隠しもせずに全員を見渡した。
「以上! 解散!」
くるりと踝を返す。司令官が先に立ちさっさと出て行く。軍曹たちも後に続いた。
残された八人が戸惑っていると、まだ残っていた伍長――外で彼らを出迎えた――が、
「宿舎に案内する。そこで所持品を整理するように」
と、一同を通路へ導いた。
狭い通路を何回か折れて、扉が左右に並んでいる袋小路へと出た。突き当たりは食堂になっている。
本来一人用の部屋に、二人ずつ割り当てられた。
シャワールームや洗面所は共有である。前線基地では決して贅沢はできない。全てが狭くできている。居住空間は貴重なのだ。
それでも、輸送船から降りたばかりの彼らには天国に思えた。重力もあり、水も使え、堅固な大地があった。
チャーリィは、バッグを自分の分に決めた下側のベッドに放り込み、続いて身体も投げ込んだ。同室者がロッカーに荷物を納めているのを眺める。
――親父連め。しっかり嵌めてくれたな。
チャーリィは胸の中で呟く。時間はたっぷりあるのだ。慌てることはない。
――きっと、特注付きで書類が回っているんだろう。
ブレイク中尉の不吉な視線を思い出す。
――おとなしい俺がどうして鼻であしらわなければならんのだ? こいつの場合は、しょうがないが……。
ライルはたった一つの小さなデスクの前で大量の資料データを整理している。
――あいつはデータしか持ってこなかったのか? あれだけで、規定量になっちまうぞ。
二重ドアのすぐ横にデスクとロッカーがあり、ベッドが正面横幅一杯取って狭い部屋は終わりだった。
そのベッドの上に簡易ベッドを取り付けて二人部屋にしている。従って、ベッド上の空間も狭く窮屈であった。子供部屋の二段式ベッドや、二昔前の寝台列車のようなものだ。
――当分、どうしても奴と鼻を突き合わす事になった。なんて組み合わせだ!
チャーリィは忌々しげに口を尖らせる。奴とだけはご免だったのに……。
――もっとも、奴と組んでうまくいく奴なんていないだろうが……。
本当に寡黙な男で、こちらから話しかけなければ会話にも入ってこない。それも最小限度だけ。無駄話は一切しない。
ミーナは、奴のどこを気に入ったのだろう? 確かにぞっとするほど綺麗な男だが、あんまり配列が完璧すぎて、まるで作られた精巧な人形のように異質にみえる。
それなのにこいつは、気の強いミーナの頬を、少女のように初々しく染めさせる。
それなのにこいつは、ミーナを見る時だけ、視線が柔らかくなる。
ちくしょう! と、思った。
この人形は、ミーナにだけ、人間に戻ってみせるのだ。
ガニメデにいよいよ到着です