トレーンの魔女 *
ちょっと大人の雰囲気のスペースオペラで^^b
ハッチと基地ドームは、直接耐圧プラスチックチューブで繋がれる。巨大な気泡式ドームの彼方に、鬱蒼と茂る植物群が見られた。このチューブやドームは、雨と湿気を防ぐためのものであることは直ぐ判る。
この星の大気は豊かな酸素型で、人間が呼吸しても問題はない。しかし、間断なく降る雨から、人間を守るためにこの大きなドームが必要なのだ。
中はちょっとした町になっていた。このドームは三つの宇宙船発着場基地の一つだったので、他より遥かに大きく賑やかだと言うことだった。
真っ先に目に付くのは、この辺りの工場から届く製品の保管倉庫の群れだった。ドームの向こう側はずっと工場になっていると、グレコが説明した。
製品が湿気を嫌うので、工場も全てドーム内に在るという。そう言われれば、何となく空気内に澱んだ麻薬の揮発成分が混じっているような気がする。
工場と倉庫群の間に挟まれた小さな空間が、ここに住む人間達のためのものだった。
管理ビルから出たチャーリィは、その雑多さに目を見張った。宿舎を囲むようにして、バー、ゲームセンター、飲み屋に売春宿等々、あらゆる享楽の提供の場が所狭しと並んでいる。
薄汚い通りの工場側のほうには、一段とみすぼらしいバラックが並んでいる。工場で働く為に連れてこられた哀れな労働者達の宿舎らしい。
雨風の心配がないから屋根すらない、ただ仕切ってあるだけの建物とさえ言えない代物だった。
通りをうろうろしているのはここの組織の配下の者ばかりで、昼間から酒を飲んで騒いでいる。だらけきったごろつきどもを見なくても、ここの道徳律は宇宙でも最低だろう。支配しているのは、組織の掟だけなのだ。
そこへ、労働者の群れがぞろぞろとやってきた。酷薄そうな監督にグレコが合図すると、彼は労働者達を乱暴に突き飛ばして、ハッチのほうへ向かわせた。
奴隷と言っていい彼らは、一様に生気のない顔で疲れ果てた体を黙々と運んでいった。よろめいて列を乱した男に、監督の容赦のない鞭が飛んだ。
傍らを通り過ぎていく人々を、彼は体中に怒りが満ちる思いで見ていた。
シャーリー達の姿が彼らに重なる。彼らもまた、過酷な労働と容赦のない仕打ちの前に、希望も理性も剥ぎ取られて、無気力な奴隷に成り果ててしまうのだろう。
だが、無論、それは多くの世界で行われている小さな一例に過ぎない。彼らを救うためには、麻薬組織の大本から叩き潰さなければならないのだ。
だから、チャーリィは表情も変えず、黙って労働者の列が通り過ぎるのを待っていた。
ライルならどうするのだろう、と、ふと思う。あいつなら、つかつかと進み出て監督を捕まえ、そんな酷いことは止めなさい、と言い出しかねない。
ライルは素晴らしい頭脳を持っているが、実際面では信じられないほど愚かだった。人と言う矛盾した社会常識を何度教えてやっても、一向に理解しない。
俺が側についていてやらなければ駄目なんだ、と甘酸っぱく苦しいほどに切ない痛みが胸を刺す。
彼らの最後の一人が貨物ハッチへ消えていくのを見守っていた彼の所へ、グレコが晴れ晴れとした顔でやってきた。
「さあ、とりあえず、俺の今のところの仕事は済んだ。あとは、出発前に積荷を調べりゃいい。その間、丸一日、暇があるんだ。行こうぜ。ゆっくり羽を伸ばそうや。上等なものはないけど、まあまあ楽しめるぜ」
彼に促されて歩き出したチャーリィは、胸の中で一日か、と呟いた。それまでにライルの消息を掴まねばならない。
ゴミの散らばった通りを歩いて、一軒のバーに入った。ドアを開けると、中から女達の黄色い声が迎える。
まるで何十年もここにあるようじゃないかと呆れる。これらの全てが、ほんの数年のうちにできたものだとは信じがたい。
店の中は、地球上の裏通りのバーと変わりがない。ただ違うのは、紫煙の煙る薄暗い中に異形の女や客が混じっている。
グレコはここの馴染みのようだった。
「待っていたのよ」
「今度はどのくらい居られるの?」
カウンターに座ると直ぐ、女達が寄ってきて声を掛けてきた。
隣に座ったチャーリィが煙草を出すと、女の一人が擦り寄ってきて火をつけた。
青い肌と青い髪を持つ悲しげな目の女で、チャーリィはその指の間の微かな薄い皮膜をじっと見た。
「トレーン出身かい?」
声を掛けると、はにかむように笑った。
このうぶで儚げな印象は、実は見せ掛けだけで、この地球人に良く似たトレーンの女はしたたかな凄い魔女なのだ。
見かけに騙されてうっかり気を許すと、骨の髄までしゃぶられて身を破滅させてしまう。酒場の売春婦は彼女達の天性の職場だった。
グレコは女達に囲まれて上機嫌だった。それを眺めながら、カウンターの向こうに訊いてみた。
「船を降りた連中は、だいたいこの店に来るのかい?」
「ああ、まともなバーはここ一軒だけだからね」
バーテンダーが答えた。
「なるほど。じゃあ、繁盛間違いなしだな」
彼は笑うと、さっきから横に座ったきり動かない青い女にウインクして見せた。
途端に、トレーンの女は活気がでたようだ。彼の腕に長くしめやかな指を絡ませて、流れる砂のような声で囁いてきた。
「赤い髪の素敵な人。あたしのところに来ない?」
その後に続く台詞を黒い瞳で告げる。瞳孔が欲情に濡れ、薄い唇が半開きになって中からピンクの舌先がちろりと覗く。
彼は胸が高鳴るのを感じた。情報を集めるにはトレーンの女が一番だった。彼女達の耳は地獄耳だ。相手から絞り取るためには知識が要るから。一方、彼女達の誘惑に溺れずに済むのは非常に難しい。
チャーリィにとってもこれは危険な賭けであった。勇だったら、トレーンの女の周囲十メートル以内には絶対近寄るまい。
だが、チャーリィは女の腰に腕を回して囁いた。
「案内してくれるかい?」
眉をひそめるグレコに手を振って店を出る。
女は吸い寄せるように、暗い路地の狭い入り口からその二階に連れて行った。
ベッドと僅かな調度品しかない狭い部屋に、青が広がっていた。
天井も床も壁も青、ベッドもシーツも何もかも深い海の色だった。
ねっとりとぬらめつく彼女の肌を抱くと、まるで大海の中で人魚と戯れているような錯覚を覚える。
その欲情の海に溺れる一歩手前で、彼はやっと踏み止まれた。ライルの肌を思い出した所為かもしれない。あのしっとりと吸い付くような夢の感触……。
「誰を思い出しているの?」
感の良いトレーンの女が聞いてきた。
「恋人さ」
「あたしより、魅力的なの?」
さらさらと砂が流れる。嫉妬の響きはなかった。
「男なんだ」
「きっと、美しい人ね」
「彼を捜している。君なら、きっと知っていると思うんだ」
「そう。教えてあげたら、抱いてくれる? あなたが欲しいわ」
「ああ、約束する」
果たして、彼女は情報の宝庫だった。パトロールが聞いたら、輪になってマイムマイムでも踊りだしそうな情報を山と持っていた。
しかし、今はライルに焦点を絞らなければならない。
ヒトではない夢のように美しい若い科学者がこの近くの研究所に連れて行かれたことを、彼女は掴んでいた。
ライルに違いなかった。パトロールや麻薬取り締まり機関でさえも知らない、彼らの秘密の基地の中の更に閉ざされた懐で、連中は安心して彼を料理しているのだ。
チャーリィは約束通り、彼女に身を任せた。
神秘の海の底で密かに育まれてきたトレーンの魔力で、女はチャーリィを自分の虜にしようとする。
だが、彼はバリヌール人の肌を知っていた。ライルの美しい暖かい微笑が、彼を魔女の呪縛から守ってくれた。
「あなたは、既に、彼の虜なのね。あたしのものにならなかったのは、あなただけよ。彼は何者? あなたをこれほど夢中にさせるなんて……」
さらさらと感嘆をこめて、砂が囁く。トレーンの海の砂の音かもしれない。
「彼はバリヌール人なんだ」
彼女への礼に、彼は情報を与える。
青い海の魔女は息を飲み、そして深く溜息をついた。
戸口で見送りながら、彼女は古いトレーンの歌を歌っていた。砂が流れるように。
『昔、海がまだ青かった時、光の者が訪れて、毒の泉を枯れさせた。女は自由に飛び出して、空にも海があることを…………』
チャーリィは彼女が秘密を守ってくれることを知った。
思った以上に時間が経っていることに気づいたチャーリィはグレコを捜した。バーに戻ってバーテンダーに行き先を尋ねたが、
「何処かそこらの女と居るんだろ。俺は知らないな」
と、笑っている。もっともだと彼は通りに出て途方にくれた。
船に乗り込む時間を過ぎれば、怪しまれる。彼は疑いを招かずにライルを捜したかった。
スパイが潜入していると知れれば捜索しづらくなる上に、チャーリィの命も危うくなる。
さらに、せっかく突き止めたライルを、また巧妙に隠されてしまうだろう。焦った連中がライルに手荒なことをしないとも限らない。
肩をすくめると、チャーリィは工場の方へ歩いていった。ジャングルへの出口は、そこしかないと、思われるからだ。
工場は剥きだしで、製作過程が歩きながら見学できる。そして有害な排気ガスが、不十分な換気の所為で辺りの空気中に漂っていた。
麻薬組織は手放しで安心しているのだ。裏を返せば、いかに機密が厳重に守られているかというもの。
ベルトやチューブで連結された様々な機械群の周りで、たくさんの労働者がぼろきれのようになって、脇目も振らずに働いていた。
麻薬は微妙な製品なので、人手に頼る部分も多い。それを監督していた男の一人が、彼を胡散臭げに見ていたが、果たして誰何の声をあげて近づいてきた。
「やあ、邪魔して悪かった。ここは初めてなんでね」
チャーリィはにこにこと人懐っこい笑顔で応じる。
「俺は今度、グレコと組んで仕事をすることになったチャーリィ・バトラーって言うんだ。船で立つ前に、ちょっと外の空気を吸いたくなってさ。ここだけの話なんだが、俺は少し、閉所恐怖症の気があるんだ。船から降りたと思ったら、このドームだろ。せっかく外にうまい空気があるっていうのにさ」
手を大きく外に振って訴える。グレコの名前を聞いて警戒を解いた監督は、呆れ顔で言った。
「馬鹿言うなよ。外の怖さを知らないな。ここにいる奴は、間違っても外に出ようなんて思わないぜ。止めたほうが身のためだ。グレコを泣かせちゃいけない」
真面目に心配してくれるのへ、彼は未練がましく外を眺めながら食い下がった。
「遠くへ行くわけじゃない。恐ろしい怪物でもいるわけじゃあるまい? 乗り物ぐらいあるだろ? ちょっと貸してもらえないかな。ほんの少しでいいからさ」
渋い顔をしている男に、更に、
「考えても見ろよ。見知らぬ世界に来て、バーとホテルを行き来して終わりなんて、話にもならないぜ」
などなど言い立てて、ついに監督を根負けさせてしまった。
彼は案外気のいい奴らしく、門番に軽飛行艇を用意させながら更に念を押していた。
「遠くへいくなよ。お前が考えているより、ずっとここの雨は恐ろしいんだ。お前がグレコの仲間じゃなかったら、取り合わないところなんだぜ。奴に俺を恨ませないでくれよ」
無闇に外へ出ることは自殺行為に等しいと知っている彼らは、チャーリィの好奇心に呆れながらも、彼が連盟関係者だとは露とも疑わなかった。
よしんばそうだとしても、その仕事は、このドームの中にこそあるもので、植物だけの世界に何の用があるだろう。ライルの件は上層部の一部しか知らないからなおさらである。
まんまと外に出たチャーリィは、慌てて機首を上に向けなければならなかった。
ドームの周り数メートル先には、もう鬱蒼たる背の高い木々が立ちはだかっていたのである。
一年中晴れることのないどんよりと重い大気を被う分厚い雲に届くまで伸びているのではないかと思うほど、木々は太く絡み合いながら何処までも伸びている。
木立ちの間を車で抜けることは不可能だった。びっしりと立っている大木に、相互に絡み合った枝が見渡す限り上から下まで網目のように張り巡らされ、しかもその上を太い蔦が毛布のように覆っている。
地表はパイナップルのような植物が鋭い葉を突き出して、これも足の踏み場がない。麻薬の原料を取りに行く作業員達はどうやって、この森の中へ入っていくのだろう?
ずっと急上昇を続け、限界高度近くになってやっと木々の上に出た。ほっとして、辺りを見回す。上から見ると、見渡す限り切れ目なく続く緑のカーペットだった。その気になれば、ずっと木々の上を歩いていけそうだった。
だが一旦、下に下りようとすると、たちまち枝や蔦に捕らえられて身動きもできなくなってしまうだろう。
ドームの周りを旋回して方角を確認する。五百キロメートル先か……。チャーリィは艇を大きく旋回し始めた。
「いやっほー! 広いってのはいいなあ。いい眺めだ」
これはゲートで待っている門番に聞かせるためである。彼は肩を竦めて苦笑していることだろう。
機首を研究所から少しずれた方角に向ける。いかにもかって気儘に乗り回しているように、度々方角を変え、雲の中を突き抜けたり、森の上すれすれを飛んでは歓声を上げる。
そうして徐々にドームから離れ始め、やがて完全に視界からもレーダーからも消えた。そろそろ方角が判らなくなることにしよう。
彼はちゃんと通信機が動いていることを確かめると、ぎょっとした声でわめきだした。
「しまった! 方角を失った! 畜生!何処も同じに見えるものなあ。おーい! 誰か聞いていないか? 俺は、チャーリィ・バトラー。グレコの仲間だ。助けてくれ!」
わめき散らしながら、機首を研究所に向ける。樹海の上で迷子になったと聞いたら、グレコは悲しむかなと考えた。
その時、突然、空が落ちてきた。
「わあ!」
一声、悲鳴を上げると、軽い小型艇は樹海の中へ、激流のような豪雨に叩き落された。
枝や蔦を裂きながら、軽金属の機体はずたずたになる。大木と大木の狭い空間の間で、逆さに絡まった形の彼は、枝の先によくも串刺しにされなかったものだと思ったのも束の間、雨が樹木の幹を滝のように流れてきて、蔦に絡まった飛行機の残骸もろとも下へ下へと押し流された。
しかし、豪雨は始まったと同様に、突如として止み、あとはまるで何事も無かったかのように、いつものじとじととした雨が降り続く。
蔦に絡まったおかげで、彼は地面まで叩き落されず途中で引っかかっていた。
ぬるぬると苔と藻が密生した滑りやすくて、やたら丈夫な蔦から苦労して抜け出たチャーリィは、慎重に枝を伝って下りて行く。
枝はいくらでも張り出しており足場には不自由しなかったが、その代わり下手に踏み込むと一歩も動けなくなってしまう恐れがあった。
樹肌は苔むして水分をたっぷり含んだ藻が張り付き、ぬらぬら滑ってはなはだ掴まりにくい。うっかり滑り落ちると串刺しになるから気が抜けない。
それでも、ようやっと地面に辿り着いて、その根方に無残な姿の元飛行艇で在ったはずのものを見つけると、どっと疲れを感じてその場にへたりこんだ。
うまく艇から放り出されなかったら、あの中にいることになったのだとぞっとする。
これで、グレコを本当に悲しませることになったと、顔を顰める。確かにこれ以上はないくらい、完全にドームに戻れない理由ができたが、研究所まで歩く羽目にまでする予定ではなかった。
あんな雨がこれからも度々あるようでは、今、ここで遺言状でも書いたほうがましだろう。
それに、この絡み合った木々にとげとげの葉っぱ! 泥んこのぬかるんだ地面!
彼は、研究所があると思われる方角を見て、うんざりと首を振った。
トレーンの魔女VSチャーリィ
チャーリィの反則勝ち?




