エプカトル第四惑星
一の章
緋色の渦巻く霧の中から、鉛色の巨大な手が伸びてきた。先が異常に膨れ上がった指が近づくにつれ、丸太ほどの太さに膨張する。電子ペンの太さの注射針がきらりと光った。
その光の冷たさに射られたかのように、突如、意識が鮮明になる。
踊り狂う緋色の渦は消え、巨大な指の代わりに三人の男が現れた。一人の手に圧縮注射器があり、彼の腕に打とうとして動きを止めた。
助手は、真ん中に腕組みをして立っている男を振り返った。問われて、中年期に入っている男は不安そうに、隣の小男に訊いた。
「薬が効いていないようだ。ちゃんと打ったんだろうな」
聞かれた小男は、麦わらのような髪がすっかり後退したいびつな頭を振った。、
「そんなはずはない」
呟きながら、横たわっている彼のほうへ屈み込んだ。
ざっと計測し、その数値を見てまた頭を振る
「薬はまだ十分残っている。念のため、通常の1.3倍分を打ったんじゃ。効能中で何もわからんはずだ」
「だが、あの目は、とても薬が効いているようにはみえん」
なおも、男は主張した。
「種族によっては薬の効き方も様々で、現れ方も一様ではないこともある。しかし、これだけの量に耐えられる生物はいない。だが、そうだな。もう一本、念のために打ってみるか」
鉛色の服を着た助手が、医師の言葉を受けて注射器を改めて構える。
彼は声を出そうと必死になった。
体が麻痺して声すら出せない。発声器官を随意に動かす為のあらゆる組織、筋、神経、細胞のコントロールを取り戻そうとする努力で、汗が流れた。
夢の中で走ろうと懸命にもがくのに似て、それはもう一息と思えながらなかなか思うように為し得ない。
彼にとって非常に長い時の苦闘の末に、やっと声を絞り出す。
「やめろ……」
舌がもつれ掠れた声だった。が、それは、三人の動きを凍りつかせた。
助手は注射器を危うく落としそうになり、慌てて身を引く。
「やっぱり、効いていないんだ!」
エプテ四支部長は、殆ど勝ち誇らんばかりに叫んだ。驚きのあまり、しばらく口も利けないでいた医者は、まだ信じられない様子で首を振りながら、もう一度彼の上に屈み込んだ。
「何度調べても同じだ。僕には麻薬は効かない。無駄なことは止めるんだ」
一度、麻薬の呪縛を解くと、後は言葉が楽々と出てきた。
「バリヌール人の意思を、麻薬で束縛することはできない」
猫背でその背に大きな瘤を持つ医師は、やぶ睨みの濁った目でじろじろ眺め回すと言った。
「なるほど。百三十単位では不足というわけじゃ。だが、この麻薬に対し、完全な抵抗力を持つ者などいるはずがない。何処まで耐え得るのか、試してみよう」
残忍な喜びに目を輝かせる。
支部長が慌てて割って入った。
「リン・カーネン。この男を廃人にしてしまっては元も子もないのだぞ。お前の実験材料ではない」
小男は横目で上司を見ると、舌を鳴らした。
「そのくらい、承知しておるわ。とりあえず、あと、百単位追加して様子をみよう」
だが……と、リン・カーネンは心の中で続けた。
――これほど興味をそそられる被験体はない。必ず、わしの手に入れよう。
一方、彼のほうも首を傾げていた。
――リン・カーネン? 何処かで聞いた名だ。何処で……。
だが、思い出す前に、麻薬の追加を受け、再び混沌の渦の中に巻き込まれていく。
極彩色の幻覚と前衛的な音とリズム。全身の全ての感覚器官を狂わし、精神と肉体の調和を崩す。麻薬と言う名の怪物が、彼を討ち滅ぼそうと襲い掛かってきた。
最初から、いきなりピンチの二人です
どうぞ、お楽しみに^^b




